ペットと子
昨年8月に子供が産まれた。
妻が妊娠してから出産するまで、正直、子を持つということの実感はなかった。
いや、実際にそう実感するのは、出産してからというわけでもなくて、
妻と子が退院して我が家へ帰ってきてから生活を共にするまでだったように思う。
正直、前評判として、子供を持つと相当大変だよ、と親や知り合いから言われることが多かったため、かなりの覚悟を要して、我が家へ迎えたわけだけど、思ったよりは大変ではなかったなー、というのが子育てスタートしてからの感想だ。
もちろんそれは、両親や親戚の協力を得やすい環境ということがかなり多いいのだけれど、そもそも夜泣きの回数が二回ほどで少なく、基本的な世話は妻が精力的に行なっていたことがかなり大きいと思う。
(私も積極的に世話をしていたと自負しているが、おそらく妻から見れば、頼りないものだっただろうなと思われる・・・・。)
そんなこんなで、子はもうすぐ1歳になるのだが、私の感覚がおかしいのか、どうも一人の人間として扱うというよりは、犬や猫のようなペットに見えてくるのだ。
まだ言葉らしい言葉を話すフェーズではなく、パパ、ママ、わわわ、のように同じ単語を連続で無作為に喋る様子で、おそらく本人は一生懸命コミュニケーションを取ろうとしているのだろうな、と思う。
また、ハイハイのみのフェーズから、立ち上がるようになり、今では1、2歩程度なら歩けるようになったのが現状だ。
そういった子の姿を見ていると、かつて飼っていた犬を思い出す。
子犬の頃は、不安そうな表情をよくしていたが、気がつけば顔を覚えてくれ、要求があれば顔を見て軽くワンワンと吠える様子。
お手、おかわりといった技などを教えて、一歩ずつ覚えてできるようになる様子などが、我が子と重なって見えるのだ。
話が変わるけれど、私の実家では、猫を2匹飼っている。
2匹とも保護猫で、産まれてから2〜3ヶ月ぐらいから飼い始めて、現在まで約3年になる。
上に書いた犬は、7年前に亡くなったのだが、それ以降はもうペットなんて飼わない、と母は言っていたのだが、やはり寂しくなったのか猫を飼い始めのだった。
ちなみに実家には、父と母、兄の三人が生活をしているが、母以外の二人は物静かというか無口なタイプなので、母からすると、相手をしてくれる対象が欲しくなったのではないかと推測している。
私が子を育てていくにつれて、子に対して感じたペット性をここに置き換えると、もしかしたらただ寂しいだけでは、ないのではないか?と思うに至ったので、それについて記してみたい。
変な気付きだし、ただの仮説にしか過ぎないのだけれど、母は、擬似的な子育てを猫に求めているのではないだろうか?
母は、私を含めて子供を三人育て上げ、全員が無事社会へ出てそれぞれの生活を送っている。(兄は実家だが・・)
三人とも男で、子育てはかなり大変だったという話をよくされるため、手のかかる思いはしたくないらしい。
だからなるべく手をかけず、擬似的に子育てっぽいことができる対象。それが猫だったのではないか。
(犬だと散歩に行く手間があり、飼っていた頃はよく愚痴っていた・・)
たまに子を連れて実家に行くと、父も母も初孫となる我が子を大変可愛がってくれる。
それは大変嬉しいことなんだけれど、私の目線から見ると、猫を抱くときの振る舞いとあまり変わらないように見える。(批判しているわけではない)
主観マシマシで恐縮だが、なぜペットを飼うのか?という意味がここにありそうに思えてならない。
子は大変可愛い。孫も可愛い。そしてペットも可愛い。でも子はいつしか大人になり親元を去っていくもの。
でもペットは、その生涯を終えるまで親元は離れず、最後まで側にいてくれる。(飼い主とペットどちらが先に天寿を全うするかは置いといて)
私は、子が離れていくときに、果たしてどう思うのだろうか?
1歳になろうとする子を前にして、今からその時が楽しみでならない。