生煮えの言葉を生煮えのまま世に放つ
私が初めて宝塚歌劇に触れたのは知人が貸してくれたBlu-ray Discで、何の知識もなく観始めたはずが、お芝居でもショーでもなんかもうどうしてもその人ばかり見てしまう!というジェンヌさんがいるのに気付いてしまったのがすべての始まりだった。
画面に映るたくさんの素敵なジェンヌさんたちの中から彼女ひとりの姿を必死に探していた。彼女のお芝居と歌とダンスをもっともっと浴びたくて、湧き上がるようなその気持ちに抗えなかったのを昨日のことのように思い出す。
我ながらあっという間すぎる。でも、もっと他の組や他の演目を見てみたら、もっと好みのジェンヌさんがいるかもしれない……なんてことは微塵も思わなかった、マジのマジのマジで(直感の女S)。スティーブ・ジョブズもスタンフォード大学の卒業式のスピーチで言ってましたもんね、「心というものはよくしたもので、見つければそれとわかるものです」って。まさにそれ、完全にそれだった。
その後「宝塚歌劇団って5組あるんだ、へー!」というところからスタートし、友の会にも即入会を申し込み、チケットの取り方を調べて訳の分からなさに絶望しつつ、e+で座席を選んで買える公演があるという情報に辿り着いて、なんとか次に彼女が出演する大劇場公演を一人で観に行った。最高だった。
興奮冷めやらぬまま、この気持ちの中のきれいな上澄みだけを書きたい、伝えたい、と思って日常に戻ってきた後、割とすぐにコーヒー屋さんでお手紙を書いて勢いで出した。そこから始まるめくるめくスペクタクルワールド(比喩)!なんにも知らなかったから飛び込めたのだと今となっては思う。カルチャーショックを受けることもあったけど、好きの気持ちだけを抱きしめながら必死に食らいついて郷に入って郷に従った。楽しかった!
……そして、今に至る。
そんなわけで、私にとって宝塚歌劇と和希そらさんはほぼイコールで結ばれていて、彼女の退団後、私はどうなってしまうんだろう、とぼんやりとした不安を抱えていた。
過去の作品や、他の組の公演ももちろん可能な限り観てはいたので、その後も十分にわか宝塚ファンとしてやっていけるような気もした。でも、惰性で宝塚を追うことだけはしたくなくて、以前よりも一層自分の心の声に耳を傾ける意識が強まったと思う。大丈夫?無理してない?と何度も自分に問いかけたし、今もまだ問いかけ続けてる。わからない、私はこの先どうしたいのか。
(結論を無理に出す必要はないよなーと思うので現時点で結論は出さない。わからないことはわからないままでも別にいいというのが私の気持ち)
宝塚歌劇は今年で110周年を迎えるらしい。たくさんの人たちの愛と努力とその他諸々のパワーで連綿と続いてきたこのすばらしい世界を、ほんの数年触れただけの私も「守りたい!!!」と強く思う。
と、同時に、受け入れがたいこと、納得できないことも正直ある。
何かスパッとスカッとすることが言えたらいいのに、そんな言葉は何も見当たらないのがある意味私らしいと思う。宝塚歌劇に対しての気持ちは晴れない、でも、好きな気持ちは間違いなくあって、関わる人たちにはどうか幸せであってほしい。そんな煮え切らない私の思いを生煮えのまま世に放つ。アーメン。