いつもこの時期になると考えること
毎年この時期になると考えることがある
子供のころ大人が言っていた
「勉強していい学校に入りましょう」というのは正しかったのかと
公立の中学から高校受験で付属校に入ったため高校受験しか経験しなかったがその時期は学校の先生、塾の先生、友達の親など会う人それぞれに受験がんばってという話をされた(まぁ他人の子供に勉強なんかしなくてもいいなんて無責任なことはなかなか言えないだろうが)
スポーツしかしてなかったやつ、普段からうるさいやつ、遊びまくってるやつ、ヤンキーっぽいやつ、程度は違えどみんなある程度勉強するムードになっててとても記憶に残っている
この時期になると受験にどんな意味があったのか考えてしまう
大人になって考えてみると「自身へのレッテル張り」と「努力した経験」の二つが大きな要素なのかなと思う
前者は子供でもうすうすは感じていた部分だが後者は大人になってからしか気がつくことができなかった
大人になればなるほど「努力した経験」の差や「努力できる土台」の差をひしひしと感じるようになる
努力しないで偏差値70の人と努力して偏差値70の人どちらが優秀か子供のころよく考えていた
自分は努力しなくてもできるから努力してやっとできる人よりは上なんだと
まったく違っていた
努力しないで偏差値70の人は努力して偏差値70の人に負けている上に努力して偏差値60の人にも負けている
そのことに気がつけたのはたぶん24歳とかそこらだったかな
それからというもの趣味をはじめるときはとことん努力した
努力という言い方は多少おかしくも感じるが「限界までリソースを注ぎ最大限上達、上位の結果が得られるように取り組んだ」ととらえてもらえれば間違いない
これは個人的な意見ではあるけど、受験やスポーツで限界まで努力してきた人って結果が出た出ないにかかわらず自信があるように見える
昔はこういうのがうらやましかった
何をやっても人よりできる自信はあっても胸を張れるような自信を持っていなかったから
趣味に全力で打ち込むようになってからは自分は自分だ!という謎の自信がついたきがする
今まで受験やスポーツで限界まで胸を張ってがんばれたと言えない人って結構いると思う
そんな人には趣味に本気になることをお勧めしたい
できるできない考慮せず今より少しでも上達、前に進むことだけを考えてひたすら取り組む本当に限界だと思うところまで取り組み続けるそれだけでいいです
本当に限界だと思ったとき周りを見渡せば今まで見たことがない景色が見れるはず
それが自信へつながります
あくまで経験則なので万人に共通するかどうかはわかりません
自信がない人や努力したことがない人はぜひ試してみてはいかがでしょうか
最初に書き始めたとき書こうとした内容とまったく違うこと書いてる気がする
そもそも今までの日記の趣旨から大きく外れてるしなにがしたいのかよくわからない・・・
書くことないので番外編ってことで
コミュニケーションがんばる編は来年に持ち越します!