髭切膝丸双騎出陣2020とは何だったのか?
10月11日、1ヶ月半に及ぶ「髭切膝丸双騎出陣2020」が無事閉幕しました!
私は会場と配信と千秋楽はライビュで観劇し、今年の秋はぎゅっと詰まった双騎の季節を過ごしました。この1ヶ月半の間、嫌になるくらい双騎!双騎!双騎!ことあるごとに双騎の話しかしてませんでしたが、
「なぜこんなに双騎出陣に夢中になれたのか?」を今回は書きたいと思います。
双騎出陣を観劇したことのある方はご存じかと思いますが、
「まだ観てないよー」「これから観るかも」とゆう方のためにも、
「そもそも、髭切膝丸双騎出陣とは?」を一緒におさらいしましょう!
髭切膝丸双騎出陣とは、
ブラウザゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」を原案としたミュージカル 名称は「ミュージカル刀剣乱舞」通称は「刀ミュ」の作品です。第一部がミュージカル、第二部がライブの全二部構成となってます。刀ミュは2015年10月に第1作目である「阿津賀志山異聞」が上演されてから、毎年、新しい作品や再演が上演され、今年で5年目を迎えます。
髭切膝丸双騎出陣は、2019年に「ミュージカル『刀剣乱舞』 髭切膝丸 双騎出陣2019 〜SOGA〜」として上演されました。今年、昨年の再演として「ミュージカル『刀剣乱舞』 髭切膝丸 双騎出陣2020 〜SOGA〜」が上演されました。
※以下、1部をメインに書いてます。あらすじ含むネタバレがあります。
OKな方は引き続きお読みください!!
☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆
ミュージカル『刀剣乱舞』 髭切膝丸 双騎出陣2020 〜SOGA〜
【日程・会場】
2020年8月29日(土)~9月6日(日) あましんアルカイックホール
2020年10月1日(木)~10月11日(日) 舞浜アンフィシアター
【演出】茅野イサム
【脚本】御笠ノ忠次
【振付・ステージング】 本山新之助 DAZZLE
【出演】
髭切・曽我十郎祐成(一万)...三浦宏規
膝丸・曽我五郎時致(筥王)...高野洸
瞽女・別当・母上...加納幸和(花組芝居)
工藤祐経...丸川敬之(花組芝居)
アンサンブル...笹原英作 西岡寛修 村上雅貴 河野健太 服部悠 宮尾颯
☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆
-あらすじ(1部)-
セットは大まかに、舞台上に足場が組んであり、正面から元々あるステージと足場の上に組んであるステージ(2階建てをイメージしてください。)があり、上手側には下段中央から上段上手に続くスロープがあります。下手側には下段端から上段の端にある扉(襖)に続く階段があります。どちらからも上段のステージに行けるようになっています。雰囲気は、(壊れ廃れているように見える)庵のような日本建築の建物の内部です。
お話は、「雨の音」と「三味線の音」で始まります。
舞台上段の中央に瞽女(ごぜと読みます)(加納幸和氏)が登場します。瞽女は「冥冥、闇闇、冥冥、闇闇...」と唱えながら、上手端に移動してから下段に移動します。ここで、瞽女が唱えているのが1曲目の「瞽女のしらべ」です。
すると、舞台下段の両脇に椅子に黒い布が被せられた”何か”が現れます。(”誰か”が座っているようです。)黒い布には、それぞれ「髭切」「膝丸」と書かれた長細い布(お札のような)が貼られています。(まるで”何か”を封印してるみたい)
先ほど登場した瞽女が「語りましょう、歌いましょう、そなたたちの物語を」と曽我兄弟の仇討ちの説明をします。これが、2曲目の「私が語るべきこと」です。
(両脇から登場した椅子をアンサンブルさんが押しながら舞台中央に向かって移動させています。)
瞽女が、「語るべきはこの二人 語り継ぐは曽我物語」と歌った後、椅子に座っていた”何か”がにょろにょろと動きます。(椅子から立ち上がってるようです。)「一万、後の名を曽我十郎祐成」「筥王、後の名を曽我五郎時致」と瞽女が言うと、にょろにょろと動いていた”誰か”が動きをやめ、頭から被っていた黒い布はアンサンブルさんに払われ、その下に被っていたお面も外し(後ろに投げ)”何か”に解き放たれたようにキビキビと踊り出します。
(ここで、初めて一万(三浦宏規氏)と筥王(高野洸氏)のお顔と全身が見れます。物語が始まった高揚感に包まれます。)
さて、ここで「曽我兄弟」と聞いて、気づいた方もいらっしゃると思いますが、そうです、実際に1193年(建久4年)にあった「曽我兄弟の仇討ち」が題材になっています。このお話でも、曽我兄弟が仇討ちに向かう様子が描かれています。とは言っても、実際の曽我兄弟とは少し違います。ここでは、刀剣乱舞の髭切と膝丸が演じる曽我兄弟です。なので、実際の曽我兄弟とは、容姿も性格も違います。基本的には髭切と膝丸の方が近いです。
その後は、一万と筥王の父親である河津祐泰が工藤祐経(丸川敬之氏)に殺され、子2人、母一人となった曽我兄弟の母・満江御前(加納幸和氏)は曽我祐信と再婚します。
曽我兄弟は工藤祐経に父親の仇討ちをしよう決意し剣術の稽古に励みます。
その後、母親により曽我五郎と名前を改めた筥王は箱根権現(現在の箱根神社)に出家します。
曽我十郎と名前を改めた一万は、引き続き曽我の家で剣術の稽古に励みます。
箱根権現に出家した五郎は僧侶になるべく修行します。(ここでの別当(加納幸和氏)との日替わりの掛け合いがほっこりします。)
そして、五郎と十郎が再会し、五郎が十郎に「立派な僧侶になれなかった。毎日仏の前で人を殺めたいと願っていた。」と伝え、「仇討ちを忘れておらぬか」と一戦交えお互いの意思を確認します。
(ここでの殺陣が仇討ちに向かう決意が伝わってきてすごく良い!)
その後、兄弟は箱根権現の別当の元へ仇討ちのことを伝えに行きます。ここで、五郎は別当から太刀を授かります。
(作品の中では五郎しか授かってませんが、史実では、別当は兄に「微塵丸」を弟に「薄緑」を与えています。仇討ち後「薄緑」は源頼朝の手に渡ってしまいます。しかし、そこで「髭切」と再会するのです!なんという巡り合わせ!!)
そして、兄弟は仇討ちのことを伝え、今生の暇乞い(この世からの別れの挨拶をすること。死ぬ覚悟で別れを告げること。コトバンクより)をしようと母上の元へ向かいますが、母は二人を勘当します。
ここで、兄弟は母上に今まで育ててくれた感謝と仇討ちを許してほしい強い決意を「巣立ちの舞」によって伝えようとします。(それを遠くから母親が見つめています。)そして母親は、「もう止めはしない。仇討ち、立派に努めて参られよう」と兄弟を送り出します。送り出した後、母親は「愚かな、仇討ちなどあの人はもう戻ってこないというのに(中略)ほんにこの世は愚か者ばかりよ。」と嘆きます。
そして、ついに1193年(建久4年)5月28日夜、工藤祐経のいる富士の巻狩り(源頼朝が主催の共同狩猟)に兄弟は向かうのです。
(この時点ですでに30分以上経っていて、かなりのボリュームなんですが、これからです。いよいよ、このお話の本題である仇討ちが行われます。兄弟の豪快な殺陣は必見!)
そして、なんやかんやあって、戦いの最後、十郎が工藤祐経に竹槍を刺して弱ったところに、五郎が斬りかかったのが決め手となって仇討ちが成功します。
そして、肩に矢も刺さり工藤祐経に斬られた十郎が下段の中央上手側で息絶えます。雨の音が聞こえる中、五郎も下段の中央下手側に倒れ、十郎が息絶えたことに気づいた五郎が「兄者ーーー!」と手を伸ばすのですが、届かないまま仇討ちは完了となるのです。
(史実では5月28日夜半、雷雨の中、富士裾野(現在の静岡県富士市)に建ち並んだ宿舎に忍び込み仇討ちを行いました。セットの庵のような建物は宿舎なのかもしれません。所々廃れ壊れているのは、多くの怪我人(巻狩りに参加していた者)が出たため激しい戦いだったからなのかもしれませんね。史実でも先に十郎が亡くなり、その後五郎の順番です。兄・一万が5歳、弟・筥王が3歳の時に父を殺され、兄が22歳、弟が20歳の時に仇討ちを行っているので、2人は17年も父を殺された苦しみに耐え生きたんですね。)
そして、最後は冒頭に登場した椅子に2人が座り、舞台奥へと引っ込んでいき、完全に1部の終わりとなります。
だいたいのあらすじはこのようなかんじです。
初演と再演で演出が変わっている所があるので、それは以前書いたものをご覧ください。
会場と配信とライビュで何回も観て、このお話の”何が”私を惹きつけて離れないのかなってずっと考えていました。
そして、瞽女が劇中で歌う「私が語るべきことⅠ」の冒頭のこんな台詞にあると気づきました。
「物が語る故、物語。今宵語られる物語は日本三大仇討ちがひとつ『曽我物語』。
父の仇を討ち、無常にも散った気高き兄弟、一万と筥王の物語。
彼らの悲壮を、情念を、生き様を、後の世の、また後の世まで、彼らと共に語り継ぐ...
それが、私の役割でございます。」
この中にある「役割」とゆう言葉。そうです、これです。
さっきから登場してる瞽女。
聞き慣れない言葉ですが、そもそも、何者なんでしょうか?
瞽女(ごぜ)は、「盲御前(めくらごぜん)」という敬称に由来する日本の女性の盲人芸能者。近世までにはほぼ全国的に活躍し、20世紀には新潟県を中心に北陸地方などを転々としながら三味線、ときには胡弓を弾き唄い、門付巡業を主として生業とした旅芸人である。(ウィキペディアより)
十郎には「虎御前」という名前の妾(遊女)がいました。
これは推測なのですが、頭からレースの布を被り冒頭で「瞽女のしらべ」「私が語るべきこと」を歌う瞽女は「虎御前」なのではないかと思うのです。
舞台冒頭、そして舞台の終わりにも「雨の音」と「三味線の音」が流れます。
実は、その「雨の音」と「三味線の音」。「虎御前」と関係があるワードなのです。
曾我の雨,虎が涙。旧暦5月 28日に降る雨をいう。この日は曾我兄弟の仇討ち決行の日で,曾我十郎祐成に愛された大磯の遊女虎御前が,十郎の死を悲しんで流す涙が雨となって降るというもの。(コトバンクより)
「虎御前」が悲しんで流した涙、そしてこの話を語り継いだ一人目だったとしたら、よっぽど十郎を愛していたんじゃないかと思います。(とってもステキですよね。なんだかロマンチック。)
瞽女(私が推測する「虎御前」)の語り部としての「役割」
五郎と十郎が父の仇討ちをするという「役割」
髭切と膝丸が二振りにとって縁の深い曽我兄弟を演じるという「役割」
満江御前の母としての「役割」
今までに自分がたくさんの中から選んできたことは、
本当は2つから1つを選んでいただけで、
それぞれの持ち場でそれぞれの「役割」を果してきただけ。
誰にでもできるなんて言うけど、自分だけに与えられた、自分にしかできないこと。
このお話の中でのそれぞれの「役割」が分かるからこそ、
一瞬一瞬、私の胸を締めつけてくる。
切なくて、悲しくて涙が止まらないのに、役割を全うした兄弟が羨ましく、しかし、後味は清々しい。
「虎御前」が語り継いだこの話は、800年以上経った今でも「愛しさ」で溢れている。
ここには夢中になれる「愛しさ」がいっぱい詰まっている。
Written by アレキサンダー李乃 / Alexander Rino