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私が乗鞍すもも荘を始めたわけ〜東京に出て仕事や家庭を持つ編~

こんにちは、すもも荘としえです。
最近すもも荘の成り立ちについて聞かれることも多くなってきて、
備忘録や整理のために、すもも荘を始めた理由についてシリーズで書いてみたいと思います。(多分最大3回~4回くらい!)
いろんな人との出会いと繋がりですもも荘があることをお伝えできればと思っていますので、その時々の登場人物をお楽しみに。
想い出しながらつらつら書くので、長くなります。

私が乗鞍すもも荘を始めたわけ〜乗鞍で育ち、高校で乗鞍を出る編~はこちら

2003年 憧れの東京・憧れの仕事と現実

2003年に1年間、留学の準備のために東京に出て家族と暮らしました。その後2年間アメリカの短大に通うため日本を離れて一人で暮らしたのですが、「寂しさ」と「ワクワク」と、いろんな感情があり、勉強はもちろん、異国の地で「暮らす」という経験をさせてもらったことが私自身の財産です。

ホテルで働くことが夢だったので、留学から戻って憧れのホテルに勤めました。仕事の中でホスピタリティを学び、多世代の方々とコミュニケーションができ、新しい知識が増えてうれしい半面、土日勤務や夜勤がはある働き方の中で自分の将来と働き方を考えるようになりました。当時付き合っていた今の夫との結婚や子育てをシミュレーションした結果、家族と自分の時間を大切にしたい!と転職しました。

2008年 仕事の方向性と子育てとの両立

ホテルをやめたあとは、経理の仕事を探し、派遣で働いたこともありましたが、母と母のパートナーが会社を始めて、その会社を土曜日だけ手伝いに行っていたところ、パートナーの社長から、
「としちゃん、うちで働くかい?」
と言ってもらい、社員として働かせてもらう事になりました。

調剤薬局だったので、結局は土曜日は仕事があったものの、
有難いことに、結婚して子どもが生まれてからも、
「なるべく子どもと一緒にいられる環境であったほうがいい」
と、育休後は長女は3歳になるまでは保育園に預けず職場に同行し、その環境で仕事をさせてもらっていたり、子育てとの両立にとても理解のある会社でした。社長と母、一緒に働いていた方たちには本当に感謝しています。

仕事面でも、経理だけでなく、労務などの仕組みを小さな会社ながら全部やっていた会社で、法人の会社が必要な一通りの月次や年次の作業は私が任せてもらっていたのも、今の私になるのに大事な要素だったと思います。

しかし、社長や母も65を過ぎた頃から、調剤薬局業自体も経営が難しくなり始めました。
国の定期的に行われる薬価の改定やジェネリック医薬品の推進により、売上が減り、安い薬を売るということは利益も少なくなるので、人も雇うことが難しい業界に。

2021年 変化の時、代表取締役に就任し事業変更

順調に経営していた会社でしたが、事業が少しずつ変化の兆しを見せてきました。経営陣や地域の医療機関の先生方の高齢化や、国の定期的に行われる薬価の改定やジェネリック医薬品の推進により、売上が減り、安い薬を売ることで利益が減少、人材の雇用が難しいなど調剤薬局業自体も経営が難しくなり始めました。

2020年に東京の本社を、2022年3月に千葉の店舗をたたみ、調剤薬局業から撤退しました。
2020年から自分の個人事業として始めていた乗鞍すもも荘を会社の新しい部門としていきたいことを経営陣に相談して、事業を継承し代表取締役に就任しました。

この時私は36歳、長女は9歳、次女は6歳で未就学のタイミングでした。

4足のわらじの内訳とその理由

1足目:中小企業とフリーランスのサポート
2017年から、自分にできる「経理」でフリーランスに転向できるように準備を始めました。調剤薬局の会社で培った知識は、私が思っていた以上に有益な知識だったようで、周りの中小企業の社長さんたちやフリーランスの方たちから「仕訳がわからない」「そもそも何をどうしたらいいかわからない」「書類整理はどうやったらいい」という、税理士の先生に依頼する前の段階で相談が来るようになりました。
その人それぞれの悩みを個別にヒアリングしたり、会計ソフトへの入力方法や、試算表のチェックの仕方・見方を教えるようになりました。

最終的には自分でできるようになりたいという方が多かったので、私は伴走して情報の整理をサポートすることが多いです。

2足目:社労士事務所
ご縁があって、北海道の社労士事務所のお仕事をさせてもらうことになり、日々社労士の先生のサポートや顧客対応・事務所内の管理業務を行っています。

3足目:株式会社の代表取締役、乗鞍すもも荘のオーナー
事業変更はしましたが、10年以上続いてきた会社で、私たち家族がお世話になった会社なので、なんとか続けられないかという想いで継承しました。今までにない重い責任と不安感が断続的に襲ってきますが、私の決断は間違っていなかったと自信を持っています。

よく皆さんから、「としえさんの想いが物事と人とを動かしているんだよ」と言ってもらうのですが、本当にその通りだなと感じています。私自身の芯となる「こうしたい」という想いや確信するきっかけとなったことについては、次のストーリーで書きたいと思います。

4足目:子育てする母親
今年(2024年)で、長女が生まれて12年、次女が生まれて9年になります。
成長があっという間過ぎて、もっともっと幼い頃の姿を目の前で見ていたかった!と思う事も正直ありますが、子育てと仕事と両方が充実しているのは、子育てを私と夫2人だけではなく、周りの方たちにたくさん助けてもらってできているからだと思います。

娘たちからは、
「とっしー(私)は、いつもパソコン見てるか、電話か打ち合わせをしてるよね」と言われますが、娘からもらった手紙に「お母さんみたいに、仕事も子どもの相手もできるお母さんになりたい」と書いてあって、そんな姿が娘の目にうつっているのかと、こんな母親でも認めてくれてるんだなと、うれしいくて少し泣いてしまいました。

正解も不正解も無い「子育て」を通じて、自分のことも、家族のことも一生懸命できているのかな?

2024年 私も、私たち家族も成長しています

乗鞍から東京に出てきた時の自分には、こんな未来が想像できていなかったけれど、根底にある「子どもたちとの時間」を持てている暮らしは私は安心感があって良いなと感じています。

この先にも、いろんな決断があったり岐路に迷ったりすることがあるかもしれませんが、都度私自身と私たち家族は、周りの人の力を借りながら決断して、前に進んでいくんだろうと思います。そういう「私」の背中を見てどんなふうに子どもたちが成長していくのか、私自身楽しみにしています。

私が乗鞍すもも荘を始めたわけ
〜すもも荘が出来る編~へ続く

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