グランドツアーの批評の批評 #4 タイムズ編<前編>
タイムズ (The Times) は1785年創刊の、世界最古の新聞にして新聞の代名詞的存在のウルトラ超高級紙です。そこらの日本の中学生でもその名を知っています。スタンスは中道右派です。
このウルトラ超高級紙が英国の(大衆紙を含めた)全新聞の中でグランドツアーやトップギアに最も近しい存在であったことは、番組を注意深く見ている人には周知のことですが、寝耳に水の人もいるかも知れません。
評者はトム・ペック (Tom Peck) 氏。レーティングはありません。
タイムズの記事の要点は以下になります。
散文的ですが全編死の臭いに覆われている評です。番組への追悼文という位置づけなのでしょうか。
最も直截的な①に相当する部分を引用します。文中のDignitasとはスイスの安楽死支援団体です。Google翻訳の訳文を付けます。
考えてみれば彼らのトップギアの躍進は、リチャード・ハモンドをヴァンパイアの生贄に捧げたというか魔女の大釜に投げ込んだというか、そこから始まっています。
2006年9月20日、ハモンドはジェットエンジン車のヴァンパイア・ドラッグスターの試乗中に463km/hから横転事故を起こし、一時危篤状態に陥りました。トップギアS9の撮影中のことでした。
生命が危ぶまれる大事故のニュースは、衝撃を持って受け止められました。心を痛めたのは番組のファンだけではなく、ファンではない人々もハモンドの生還を祈りました。
事故から4カ月後、奇跡的な回復を遂げたハモンドが番組に復帰するとあって、翌2007年1月28日に放送されたS9の初回は大きな注目を集めました。その結果、従来のシリーズの倍、イギリス国内で813万人もの視聴者数を集めることになったのです。
続くS9の第2回以降もその視聴者数はほぼ落ちず、それまで単なる人気自動車情報番組だったトップギアは '化け物番組' への道を歩み始めます。
隣り合わせの '死' と諍う番組
ところで、ヴァンパイア・ドラッグスターの事故報告書 (Investigation into the accident of Richard Hammond) には驚くべき記述が見られます。
まず1つは、ハモンドはわざわざ規定時間を超えて7回も走行したということです。
事故が起きたのは元英国空軍基地のRAFエルビントンで、1992年に飛行場が閉鎖されたのちは主にモータースポーツの会場として使用されています。
事故当日、BBCは夕方5時までの契約で会場を借りていました。
4時56分、ハモンドは6本目の走行を終えました。この6本目で試乗を終えていれば、何も起きなかったわけです。ところが30分の延長を申請し、それが認められて7本目の走行をすることになったのです。延長を命じたのはなんとハモンド本人です。
報告書内に当時のこの番組内企画の組織図がありますが、エグゼクティブプロデューサーのアンディ・ウィルマンがトップ、ハモンドは彼に続く2番目に位置します。当日ウィルマンは現場にいなかったようですから、ハモンドが事実上の現場のトップです。
プレゼンターは単なる演者ではなく、私たちが考えるよりはるかに現場で大きな権力を持っているのです。
まさしく自ら魔女の大釜に飛び込んだ状態です。
2つめは、このヴァンパイア・ドラッグスターに当初乗る予定だったのは、ジェームズ・メイだったということです。
'Captain Slow' のニックネームを持つ彼が何故に?と思うでしょうが、報告書の著者も、これにはやや違和感がある (This would be somewhat incongruous) とか報告書に相応しくないような主観を書いています。
試乗日が9月20日または21日に決まったことで、その日に別の仕事がブッキングしていたメイは試乗不可能となり、代わりにハモンドが試乗することになったのです。
ブガッティヴェイロン 407km/hへの挑戦
ハモンドより一回り大柄なメイが同じ事故に遭っていたら生きてはいないだろう、と思う反面、彼は400km/hも出す可能性は低いしそもそも時間を延長してまで試乗を続けないだろう、ということはわりと確信を持って言えるわけで、高確率で何も起きなかったのです。
しかし、自分はあの日死ぬ運命だったのではとか自分の代わりにハモンドが大事故に遭ったんじゃないかとか、そういう思念はメイにのしかかってきただろうと思います。彼は自分は理性的な人間だと主張しますが、3人のプレゼンターの中で一番感情の起伏が激しいのはおそらくメイです。彼は自分の感情を他人に見せることを極端に嫌がっているだけではないかと思います。
ともかくリベンジの機会は、すぐにやってきました。ハモンドの事故からわずか2カ月後の2006年11月、メイは世界最速の市販車ブガッティヴェイロンを試乗することになりました(なお2024年時点の世界最速市販車もヴェイロンの後継車のブガッティシロンです)。
場所はドイツ・ニーダーザクセン州のフォルクスワーゲンのEhra-Lessienテストトラック。目標はヴェイロンの実測の最高速度とされる253mph (407km/h) に達することです。
400km/hの世界からの帰還者、その涙の意味
Ehra-Lessienテストトラックは9kmもの直線を持つテストトラックです。
上手い具合にというのか縁起でもないというのか、その背後に遠くブロッケン山を望むロケーションです。実際に見えるかどうかはわかりません。
テストトラックに立ったメイは、直線コースで地平線が見えることを説明します。ちなみに地平線までの距離は4.4kmらしいので、直線コースのちょうど中央からなら両側に地平線が見えてしまいます。
両側に地平線が見えるような長大な直線コースとはいえ、その手前のコーナーを200km/h超で抜けないと407km/hには到達できません。
ヴェイロンに乗ったメイはコーナーを200km/h超で駆け抜けます。コーナーを抜けて直線コースに入る瞬間、Here we go! と声をかけます。常套句でありジェレミー・クラークソンの口癖ですが、weが指すのは自分とヴェイロンだけではなかったはずです。そこには未だ療養中のハモンドが乗り、クラークソンが乗り、番組を支えるスタッフたちも乗っていたはずです。
自動車での400km/h超はおそらく '死' の世界です。駄洒落ではありません。この日のメイの任務は '死' の世界に突入し、そこに転がされたままだった番組を取り戻し、生きて帰ってくることだったはずです。
周りの風景はぼやけ、400km/hに達します。デジタルのスピードメーターは400km/hを超えてからはもどかしく動きますが、遂に407km/hに達しました。
メイはようやくアクセルを緩めます。ヴェイロンのリアスポイラーが立ち上がります。スピードメーターは300km/h台に下がり、周りの風景がはっきりしてきます。'生' の世界に帰還したのです。
メイは涙を浮かべており、それを隠そうともしません。隠さないのはおそらく個人的な感情から来るものだけではないからです。'死' の世界を見、そして皆の番組を '生' の世界に取り戻した、その任務完了の安堵の涙だったのではと思います。
'馬鹿な若者ごっこ' の足元に広がる千尋の谷
しかし彼らに死の影はついて回ります。2015年3月、クラークソンはトップギアS22の撮影中にプロデューサーの一人に暴行を働いてBBCとの契約が終了となりましたが、このときクラークソンは母親の死、離婚問題、そして自らの舌癌の疑い(のちに舌癌ではないと判明しました)を抱えていたと伝えられています。クラークソンもまた死の影に怯えての大暴れだったわけです。
足場をグランドツアーに移しての2017年6月、ハモンドがまたも撮影中に大事故を起こします。電気スポーツカーのリマック・コンセプトワンでスイスのヒルクライムイベントに出場し、コースアウトしてリマックは横転、炎上したのです。
ハモンドはリマックが炎上する前に車から脱出したため、生命に別条はありませんでしたが膝を骨折(脛骨高原骨折)する重傷を負いました。
リマックは5日間燃え続けたといいますから、電気自動車の事故は凄まじいものです。
この事故の模様はグランドツアーS2のエピソード1に収録されていますが、トップギアのヴァンパイア・ドラッグスターの事故とは異なり大きな話題にはなりませんでした。魔女の大釜が欲しているのは青年の血であって中年の血ではないのです。
彼らの足元にあるのは、もはや何かを投げ込めば報酬の得られる魔女の大釜ではありません。ただの崖です。
更に2022年、一番事故を起こしそうもなかったメイがS5の撮影中に事故を起こします。乗っていたのも三菱ランサーエボリューション8という凡そ知性派で売っているメイに似合わしくないタイプの車ですが、事故の内容がまた酷いものです。
なんと彼らは行き止まりのトンネルを使って、どれだけスピードを上げられるか、そして行き止まりの壁に近いところで止まれるかという度胸試しをしていたのです!ほとんど老人と言われる年齢に差し掛かった人たちが、まるで馬鹿な若者の遊びをやっていたのです。それもランエボみたいな若者カーで!
しかし考えてみれば、老境に差し掛かった彼らは馬鹿な車好きの若者に戻りたかっただけかも知れません。馬鹿な若者の好む車に乗って、馬鹿な遊びをしたかっただけなのですたぶん。
そうは言っても実際のところはほぼ老人である彼らの足元には、千尋のDignitasの谷間が広がっています。一歩どころか半歩踏み外すだけで谷底に真っ逆さまです。
(この項つづく)