グランドツアーの批評の批評 #1 ガーディアン編
最初に取り上げるガーディアン (The Guardian)は、言わずと知れた英国を、ていうか地球を代表する高級紙です。三体星人が地球に来襲したら参考資料として間違いなく持っていく新聞の一つです。いやThe Sunとか東スポも持っていくような気がしないでもないですが。
中道左派で環境問題等にも意識高く、クラークソンら3人の仇敵?と言える存在です。評者はスチュアート・ヘリテージ (Stuart Heritage) 氏。レーティングはありません。
ガーディアンの記事の要点は以下になります。
アフリカで苦戦しているのはプライムビデオそのものだ
まずは①から見ていきます。彼らはBBCを辞めた時点で事実上終わっていた、という指摘です。
ジンバブエ東部から出発した3人でしたが、早々にハモンドの車 (Ford Capri GXL) が壊れます。ハモンドを残して、クラークソンとメイは首都ハラレの市場を訪れます。そこでクラークソンが地元住民から彼らが1面に載った新聞を手渡され、それを読むシーンがありました。ガーディアンはこれを①の象徴的なシーンと看做しているようです。記事内でも取り上げられているので引用します(Google翻訳による訳文を付けます)。
ちょっと恣意的な感じを受けます。実際の場面はこうです。
クラークソンとメイは、Ford Capri GXLの壊れたハモンドのためにハラレの市場でエキゾーストパイプを探しています。そこで地元の男性から、君たちのことが載っている、と地元紙を渡されます。
1面には彼ら3人の写真と、トップギアのレジェンドがジンバブエに来たる、というニュースが掲載されています。クラークソンとメイはその記事を読みます。トップギアで名声を得たスーパースターだったが番組をクビになったと書かれており、クラークソンの "and then blew it" という言葉はそれに対するものです。苦笑いというほどでもない、笑いながらの会話です。
ガーディアンの記事では引用した段の少し前に、トップギアはかつて新聞の見出しを飾っていたがグランドツアーが見出しに載ることはるかに少なかった、ということが書かれていました。それもあって、まるで彼らがトップギア以降何も成し遂げられなかったという印象になってしまいます。そしてそれをクラークソンが悔いていると。
番組を見ていない読者を誤誘導しようとしていると言われてもしょうがない状態です。
そもそもトップギアの全世界視聴者数は3億5000万人(正確ではないという指摘もあります)、それに対してアマゾンプライムの加入者数は2021年時点で2億2000万人と差があります。
しかもアマゾンプライムビデオはアフリカ市場では苦戦が伝えられています。
2023年11月時点では、プライムビデオはアフリカのストリーミングサービスでの市場シェアはわずか5.6%にとどまっています。アフリカ発のストリーミングサービスであるShowmaxが39%でトップですが、アフリカのコンテンツを積極的に取り込んだNetflixが33.5%で肉薄します。これらに遅れを取ったプライムビデオは、今年1月にはアフリカ地域で大規模なレイオフが行われたことが報じられました。
アフリカでグランドツアーの知名度が低いのは、プライムビデオ自体が馴染みの薄いものだからなのです。
プライムビデオが普通に見られている国での例を示します。メイのアマゾンプライムでの単独番組、ジェームズ・メイの世界探訪 イタリア編 (James May: Our Man in Italy) です。
エピソード4の冒頭で、メイはトスカーナの小さな町、モンテ・サン・サヴィーノを訪れます。町の広場に行くとポスターが貼ってあり、メイがそれを読み上げます。トップギアとグランドツアーのジェームズ・メイが撮影に来る。トップギア時代のずいぶん若い写真が添えられているのはご愛嬌です。
自動車大国であり彼らも頻繁にロケに訪れたイタリアでは彼ら3人の人気は高いので、他国に比べてグランドツアーもよく見られているのかも知れません。
しかしアフリカでのプライムビデオの苦戦や大規模レイオフをガーディアンが知らないわけはないと思うし、それ以前に事実を捻じ曲げているように思えるし、地球を代表する高級紙なんだからしっかりしてくれ!と思わざるを得ません。あんまりいい加減なこと書いてると三体星人も怒るぞ!
番組を迷走させた他者の視点の喪失
②の指摘に移ります。トップギアに牽引力を与えたものは3人のいたずらっ子というロールだけではなく、BBCという '厳しい校長先生' という存在があったからだ、グランドツアーにはそのような存在はなく緊張感はなくなった、という指摘です。
3人のそれぞれが演じているロールは何か、みたいなことはあちこちで言われることですが、それに対峙するものが何か、という指摘はちょっと興味深いものでした。
トップギア時代は、エグゼクティブプロデューサーであるアンディ・ウィルマンが厳しい校長先生役を引き受けていたわけです。彼はその時代にはBBCの代弁者だったはずなので。
彼がBBCの中の人ではなくなって単なるクラークソンの友人に戻ってしまったことで、グランドツアーは他者の視点を失ってしまったのです。それが番組の迷走にもつながりました。実態とは相反して、グランドツアーで3人に厳しい指令を出すMr. Wilmanというキャラが作られてしまったのは皮肉でしょうか。トップギア時代には名前を出すことはなかったのですが。トップギアのインドスペシャル (Top Gear: India Special) ではトップギアバンドのボーカルとして歌っていましたが。
彼らのロールの構図はトムとジェリー (Tom and Jerry) 的だとよく言われているようです。ガーディアンの指摘に従えば、トム役はクラークソンではなくBBCそのものということになります。
私は、彼らのロールの構図は、トムとジェリーよりもガーフィールド (Garfield) 的だと思っていました。主人公のボス猫ガーフィールドはもちろんクラークソンです。メイとハモンドの間で、いじめられ役の犬のオーディーというボールを押し付け合っています。そして彼らの飼い主であるジョン・アーバックルがウィルマン=BBCです。
ジョンのいない世界では、ガーフィールドはいたずらもできません。トムのいないトムとジェリーに至っては、単なるネズミの絵です。
最後の家族旅行、そして家族の終焉
話のついでに3人のロールについてもう少し考えてみます。
彼ら3人は、あるときはあまり賢くない大学の自動車部の部室でダラダラしている馬鹿な自動車部員たちのように見えました。またあるときは、馬鹿なお父さんと口うるさいお母さんと馬鹿な子供の、馬鹿な家族の家族旅行のようにも見えました。
馬鹿な自動車部員たちが大学を卒業してそれぞれの道に進んでいくというなら、別れは別れでも希望の持てる別れですが、最終回の構図はそうではありませんでした。さながら熟年離婚を決めた父母に対して、既に成人して独立しようとしている子供が両親を誘って最後の家族旅行に行く構図です。
目的地は初めての家族旅行で訪れた思い出の場所です。
カッコよかったお父さんも綺麗だったお母さんももはやヨボヨボの老人です。小さくて可愛かった子供は初めての家族旅行でバオバブの木と背くらべをしました。成人した子供は再びバオバブの木と背くらべをします。両親は子供の身長が全然伸びていないことに愕然とします!というのは置いておいて。
彼らは有害な男らしさの象徴のように言われる一方で、疑似家族的あるいは機能不全家族的とも見做されてきました。長期間にわたるリアリティ番組で '家族の終焉' を見せたのは初めてかどうかはわかりませんが、かなり珍しいことではないかと思います。
熟年離婚しなくとも夫婦のどちらかが先に死にます。子供が独立しなければそれはそれでこどおじこどおば一直線で、それもまた家族の崩壊につながります。家族も結局終わるもので最後は皆一人で死ぬのだ、というわりと絶望的な結論を見せてしまったのがこの最終回です。
そういうわけなので、イギリス中部・コッツウォルズのチッピングノートンの農場をランボルギーニのトラクターで爆走している人は、お父さんではなくお父さんの生まれ変わりの他人です。ですからお母さんや子供がチッピングノートンを訪れるときは、墓参りなのです。
長々と話が脱線しましたが、ガーディアンの評に戻ります。③には別に異論もありませんからまあいいです。
というわけで、レーティングを付けます。①が酷かったので点数は下がります!
ガーディアンの番組評評価: ★★☆☆☆
(この項つづく)
2024/9/26追記
今更ながらタイムズ (The Times) に3人が寄稿した記事の全文を読みました。
(' Two decades of Top Gear and The Grand Tour — by Clarkson, Hammond and May' The Times (1 Sep 2024))
文中の②ってクラークソンが書いてることほとんどそのままやんけ!そうなったら何の取り柄もないぞガーディアン。このタイムズの記事は、大衆紙やネットニュースにまるで自社がインタビューしたかのように引用されまくってるけど、高級紙が他人の書いたものを評者独自の見解のようにしれっと混ぜ込むのはあかんでしょ。大丈夫なんか本当に。