見出し画像

グランドツアーが終わります #3 フォードはアメリカ車?イギリス車?

グランドツアー (The Grand Tour) のS3の最終回は、いま改めて見ても奇妙なものでした。付けられたサブタイトルは Funeral for a Ford(フォードの葬式)です(邦題は 'さらば愛しきモンデオ フォードでたどる英国史' というずいぶん柔らかい表現になっています)。
異様なサブタイトルに一体何が始まるのかと再生ボタンをタップすると、フォードコルティナはイギリス人の生活に深く根付いた車だった!ということがいきなり共通認識のように語られ、戸惑います。
イギリス人はもとより欧州人なら、イギリスフォードやヨーロッパフォードの存在を知っている人が大半なのでしょう。そもそもフォードコルティナの 'Cortina' とはイタリアのコルティナ・ダンペツォのコルティナで、そのボブスレーコースを試走したことから名付けられたイギリスフォード製造の欧州車です。
アルペンスキー回転で猪谷千春が銀メダルを獲ったコルティナ五輪のコルティナね!などと思い付く人は既に老衰で全員死んでしまいましたから、日本人でそんな地名がわかる人はいません(なお2026年ミラノ五輪のスキー競技の会場になりました)。
ともあれ欧州から遠く離れた極東に住まう我々にとって、フォードはアメリカ車です。当のアメリカをはじめ欧州外の世界の多くの国でも同じでしょう。オーストラリアや南アフリカなどの左側通行の国にはコルティナが輸入されていたとのことなので、また違うのかも知れませんが。

コルティナがもたらした新たな階級社会

何だかよくわかりませんが番組を見ていくことにします。階級社会のイギリスに従来と異なる新たな階級をもたらしたのがコルティナの車種体系だ、と説明されます。イギリス人は皆コルティナを買ったので、コルティナのどの車種を買うのかが焦点になったのです。
1969年、サウスヨークシャーの街・ドンカスターの小学生だったジェレミー・クラークソンは、ある日学校に迎えにきた父親の車が新車のコルティナ1600Eに替わっていたのを見て、父親を誇りに思ったことを語ります。1600Eはコルティナの上位車種です。
その2年後の1971年、南ウェールズのジェームズ・メイの自宅に、コルティナの最上位車種であるGXLがやってきます。美しいGXLに子供心に性的興奮を覚えたのだと思い出を語ります。

中産階級の2人と異なり、バーミンガムの労働者階級であるリチャード・ハモンドの家にはコルティナはやってきませんでした。代わりに来たのは人気のない大衆車のオースティンアレグロでした。こんな車で情けない思いをした、僕のコンプレックスの原因は低身長じゃない、この車だ!とハモンドは番組内でオースティンを叩き壊します。
ここで手動で叩き壊すのでなく火炎放射器で火を放つか爆発させるか、または上からグランドピアノを落とせばまんまトップギア (Top Gear) だな、と思って、はたと気づきます。
この回のフォーマットは世界に向けた番組であるグランドツアーのそれではなく、良くも悪くも英国の番組が結果的に世界で売れただけ、のトップギアのフォーマットを踏襲しているのです。
俺たちはあくまでもイギリスのことをやる、それは俺たちがイギリス人だからだ、見たけりゃ見ればいいし嫌なら見なくていい、好きにしろ!
この誇り高き内向き具合、それが奇妙さの正体です。
(この項つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?