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言葉

ここにもあそこにも伝えたい言葉があるのだけど、言葉を体から吐き出そうとする前にポロポロとこぼれ落ちていく感覚が、ある。
だから、1人で黙々と書くという行為が好き。躊躇うことがないから、取りこぼすことがないから。
だけれど、日常においてはそういうわけにもいかない。人に伝えるとは、自分の言葉を相手に伝わるように変換したり、削ったり逆に足してみたりという行為の繰り返しだ。その中に含まれる自分の本音とはどれくらいだろうか。吐き出す前に飲み込むことがこの頃多い。だって嫌われたくないから。
こぼさずに伝えたいよわたしだって。それは相手のことを考えていないということになりかねないから、(考えていないわけはないのに)そんなことはできない。できなくて苦しくなる。
というか、伝えたいことは伝えたい人には上手く伝わらないようになっているのか?と思うくらいだ

常々、言葉とは と考えてみる。中学2年で担任だった理科の先生が、言葉とは言い換えだと話していたことを思い出す。「好きってほんとは"好き"じゃないからね」
言葉と感情の間には目には見えないけれど、厚い壁があって、その壁を薄くすべく文豪たちがせっせと書き物をしているのだろうが、恐らく言葉と感情が全く重なる瞬間というのは訪れない。限りなく近づくことはあっても。
けれど、言葉は救済だ。このもどかしさを伝える術が、共有する術が無かったのならとっくのとうにわたしも、人間も退廃している。
と、夜な夜な考えると言葉しょうもない、いやでも救いではあるし の繰り返しなので多分意味は無い。

何が言いたいかって言葉を上手に使いたいです、、、。
こぼれる言葉を掬う為に音楽をやっているのかも…
今日もよく分からなくなってきた、救いたいです自己も人も…

追記:先日池袋で食べたおでんが美味しかった








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