Ep.1『白井司とトマト』
Webドラマ原案応募
🍀
そこは、巷ではパワースポットだとうわさだった。
パワースポットなんて信じてないけれど、僕は自分がどうすればいいかわからず、藁にもすがる思いで訪れることにした。
森の中のゆるい上り坂を抜けると、そのゲストハウスが見えてきた。
古い民家のようだが、大正時代のようなモダンな雰囲気を漂わせている。
入り口の格子戸を開けると、がらごろと心地のいい音を立てた。
音をききつけた女性がぱたぱたと駆けつけてくる。
僕の顔を確認するとパッと顔がはじけたように明るくなった。
「こんばんは。白井さまですか?」
「はい。急な予約ですみません」
「とんでもない。ようこそコトホギハウスへ。オーナーの春日美衣です」
そう名乗った女性は屈託なく笑った。オーナーにしては若い。二十くらいに見える。
「お部屋へご案内しますね」
美衣さんはゲストハウスの説明をしながら、部屋へ案内してくれた。
僕は部屋に一人になると、ベッドに倒れ込んだ。
「あ~! どうしろっていうんだ。内定も決まったのに」
着信音が鳴った。母さんだ。
「(不機嫌そうに)もしもし」
「もしもし? まだ怒ってるの? あんたの好きにしていいって言ったのに」
「そうだけど」
「うちなら大丈夫だから。お父さんだって、別にあんたに継がせるつもりはないんだから」
「わかってるよ」
わかってる。だけど、僕は継ぎたかったんだ。
「それに、あんたトマト食べれないだろ?」
「……。とりあえず。明日そっち帰るから、じゃ」
ぶっきらぼうにそういって電話を切った。
風呂から出ると、リビングルームの外にあるテラスにでる。
ベンチに腰掛け、スマホで「脳卒中 後遺症」と検索していると
「どうぞ」
美衣さんが冷たい麦茶を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
「どなたか、ご病気ですか?」
「あ~、いえ。まぁ、父が」
「そうですか」
「実家、トマト農家なんです。たぶん廃業すると思うんですけど。でも、本当は僕が継ぎたいんです。いや、病気のことがあってからそう思ったんですが。父が大事に育てた農園を残したい、というか。まあ、そうはいってもトマトだめなんですけどね、僕」
美衣さんの話しやすい雰囲気のせいか、色々と喋ってしまった。
「アレルギーですか?」
「いえ、そうじゃないんですけど。小さい頃、急に。きっかけはわからないですが、食べようとすると、嫌な気分になるというか」
「白井さん、明日出発されますよね」
「はい」
「朝食。私作るので、ぜひ食べて行ってくださいね」
食事は自分で作ってもいいし、頼めばスタッフが作ってくれるらしい。どっちにしろ僕は料理ができないからありがたい。
「はい。じゃあ、お願いします」
翌朝、リビングに入ると、キッチンで美衣さんが料理しているのが見えた。
「おはようございます」
「おはようございます。もうできますから掛けててください」
テーブルにつくと、猫を抱えた男が入ってきた。
「あ~! 美衣ちゃんに作ってもらってるんだ。いいな~」
「あ、こちらも宿泊されてる方です」
美衣さんが紹介してくれた。
「どうも、平田です」
「どうも、白井です。今のはどういう?」
「普段、料理は修さんが作って、美衣ちゃんは特別なときにしか作らないの」
どういうことだろう?
「ま、食べればわかるよ」
と、謎だけ残して平田はソファに腰掛けた。
「どうぞ」
朝食が並べられた。
トマトの肉詰めがある。昨日、食べられないと話したのに。
「あの、僕やっぱりいいです」
立ち上がると
「じゃあ。俺が食べる~」
と平田が嬉々として立ち上がった。
「(平田に)駄目です!」
外見に反して厳しい口調で美衣さんが言った。
「ご実家、継ぎたいんですよね?」
継ぎたい。分かってる。トマトを食べれないと美味しいトマトは作れない。愛情をかけて育てないと野菜にだって、買ってくれる人にだって申し訳ない。
僕は意を決して食べた。
トマトの酸っぱさと肉のうまみがチーズと混ざって旨い。一口食べだすと止まらなくなった。
「あ。……なんか、きっかけ思い出しました」
「え?」
「トマトがだめになったきっかけ」
「じゃあ、もう大丈夫ですか? トマト」
トマトが大丈夫ということは、僕の道も決まった。
「はい。もう大丈夫です。トマト」
「よかった」
「ありがとうございます。美衣さんのおかげです」
「いいえ。白井さんの中にお父様の愛情がある証拠です」
僕は驚いて思わず美衣さんの顔を凝視した。
美衣さんは、ただにっこりと微笑んだ。
晴れ晴れとした気持ちで、来たときと同じ森の小道を帰る。
僕は幼い頃、父さんの畑仕事を手伝うのがうれしかった。
父さんの大きい背中。
額に汗をかきながら大きな手で大事そうにトマトを収穫している。
僕は幼い手には大きすぎるハサミを持って、トマトの茎を切ろうとしていた。自分の指も一緒に切りそうになるほど危なっかしく。
「司!」
父さんが怒鳴り声のように名前を叫んで僕の手からハサミを叩き落とした。
わけが分からず泣きだす僕。
慌てて抱きしめて頭をなでてくれた父さん――。
幼かった僕は怒られたショックだけが残ってしまったけれど、今は大切なことも思い出せた。
父さんの温もりを思い出しながら、僕は実家へと帰った。
🍀
(本文2068文字)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?