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必死で

人と人が一緒に生きていくと決めることってこんなに尊いことなんだ、と最近切に思う。


みんなこんな感情を乗り越えて結婚を決めているのかな?そう思うとこんなすごい奇跡が至る所で起きてることに本当に唖然とする。

人と生きていくのが難しいこともわかる。
1人で生きていくことだって今の世の中ではできてしまえて、しかも充分に楽しいのも知ってる。
それでも人と生きないと知り得なかった感情がこんなにもあるんだなって、最近改めて感じてしまって仕方ない。

結婚って、相手を通してさらに自分をも大切に思うことができる。


わたしはわたしであることにはかわらないんだけど、それでもわたしをつくりあげたのはわたしではなくて、過去に起きた様々な出来事、点と点であって、わたしは最初からわたしであったわけではない。
わたしは最初からわたしであったわけではなくて、流れてくる様々な出来事に色んな感情を覚えて、少しずつ削られて、とおもいきや蓄えて大きくなって、変形に変形を重ねて、そして今のわたしの形があるわけで。

川にひっそりと沈む石たちみたいに、似たような石がたくさん落ちてるようでその一つ一つ全部形は違って、そしてたまたま、この形が好きだと言ってくれる人に拾ってもらったような感覚なのだ。


そう思うと、これまでの過去全部が、痛かったことも辛かったことも、その人に拾ってもらうためにおきた出来事なんじゃないかって、急に悪くない思い出に変わっていく。これってすごいことだと思う。ゆるせなくて、消化できなくて、ずっと心に転がっていた真っ黒い思い出が突然、ゆらゆら色が抜けて透明になっていく。


自分が必死に生きてきたぶん、相手の必死さも理解できて、相手のことなのに自分のことのように思えて、そしてだんだん、他人同士知らない人同士だった2人の境界線がなくなっていってもはやひとつになる。


人と生きていくって、こういうことなんだなと思った。
他人と生きていくわけじゃない。
他人は他人なんだけれど、相手の中に段々と他の誰でもない自分自身が見えてくるような、隠れているような、写鏡のようなそんなもの。
だから相手の幸せが自分の幸せになるんだと思う。わたしにとって、好きという感情は、共感の延長線上にあるものだった。


いままで、必死で、一生懸命生きてきてほんとうによかった。一生懸命生きてこなかったら、一生懸命生きるその人に気づくことができなかった。
だれかが言っていたけど、自分が努力しないと相手の努力に気づけないっていうのは本当だと思う。他人を羨む妬む気持ちがある人は、まだ自分に頑張れる余地がある人だから、切り替えて頑張っていけるからもうちょっとだけ前に進もうね。

そういうことも、人と生きることでだんだん気づいていけたよ。

一生懸命生きるのって、良いことしかないよ。
真面目に生きてたら損をするなんて嘘だよ。
真っ直ぐに生きてたら、真っ直ぐに生きてる人に気づけるよ。

そうしたら、少しだけまた、楽に息できるようになると思うんだ。

早朝のまっすぐ肺に届く澄んだ空気が好きだよ。
寝静まった住宅街の、屋根と屋根の間から見た明るい満月が忘れられないよ。
ささいなこともかもしれないけど、多分きっとこれからどうしようもなく辛いことがあった時にふと思い出すんだと思う。
それらはわたしに、頑張れとかもっとやれるよとか、そういう励ましの言葉は送らないでただそこにあるだけの思い出なんだと思うけど、それでもわたしはそれらを思い出して、心を入れ替えていくんだと思う。

忘れたくないな、忘れないようにしないといけないな。
人と人が一緒にいるには、そういうのを忘れないようにしようって意識しないとだめだとおもう。そうでもしないとすぐに忘れていくから。大切で仕方ないもののはずなのに、すぐにその感覚は日常に溶けちゃうんだよなあ。困るよね。

少しずつの意識の積み重ねが、たったそれだけが、相手を守る手段なんじゃないかとも思う。


誰かと出会って何かが劇的に変わることなんてないと思う。それでも、一つ一つの積み重ねが、何年もたったその後に、そうしてこなかった自分と大きくちがう道に連れて行ってくれるんじゃないかと思う。

そう、これからなんだよなあ。
それからの私たち次第なんだよ、これからどうなるかなんて。


絶対に見失いたくないな。
絶対にのまれたくない。
わたしが大切なのは、他の周りの誰でもなくて、その人たった1人なんだから。

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