私と相撲
こんにちは、早稲田相撲部の学生コーチの土屋和也です。
現在は早稲田大学スポーツ科学部の大学院修士1年として、「相撲部屋経営と地方創生」の研究をおこなっています。具体的には、巡業会場での観戦アンケートや、親方へのインタビューを通して相撲の研究を行っています。
相撲部のコーチとしては、学生の練習に参加し相撲をとりながらアドバイスや、チーム運営のサポートをしています。
私のプロフィールを少しお話すると、小学3年生から大学院1年の現在まで約13年間相撲を続けてきました。代表的な成績は下記になります
小学6年生:白鵬杯1位
中学3年生:白鵬杯2位
飛龍高校 :団体戦全国1位
早稲田大学:体重別全国3位、団体戦全国ベスト8
大学院時代;国スポ出場
今回は、大学院卒業を間近に迎えてこれから就職するという段階で、これまでの相撲人生を振り返ってみたくなりました。
そこで、今回は私の相撲との出会いと本格的に習い始めたきっかけを振り返りたいと思います。少し長いですがお付き合いいただきたいです!
私について
静岡県駿東郡清水町で私は育ちました。母は塾講師、父は東京の企業勤めで、2人私達兄弟は、夜は祖父母の家に預けられて、平日を送っていました。
土日は特に習い事をするわけでもなく、近所の中学生や同級生とただただ遊ぶ一般的な田舎の小学生をしてました。特に運動は全くできなくて、小学校1年生の時の体育の授業の鉄棒で前周りができませんでした。その様子を見て、「お前は太りすぎだ」と中年太りの先生から「トンカツの食べ方」と「適切なキャベツの量」を指導されたのを鮮明に覚えています。今でも恨んでいますw
スポーツは、小学校1年生の時に少しだけサッカーをしましたが、小児喘息になってしまいドクターストップ。
治ってからお父さんに、柔道教室やレスリング教室を体験させられましたが、マットで前回りもできない自分が周りと比較して「何もできない」と劣等感を感じてしまいどの習い事もやりませんでした。
相撲との出会い
そんな私が相撲を始めたきっかけは、小学1年生の時に開催されていた三島市のわんぱく相撲大会でした。兄が学校で大会の申し込みをもらってきて私も流れで応募。当時、小1で50キロあった私が出て優勝しました。祖父母を含めた家族全員が見に来て優勝をめちゃめちゃ喜んでくれて、夜お寿司を食べたのを今でも覚えています。
この相撲大会優勝というのは、それまで運動も勉強も苦手な私にとって初めて人から褒められて、自分でなにかを達成したという経験が得られた人生の初めての「成功体験」となりました。
その後、3年生まで3年間三島大会を連覇したところで地元の相撲クラブの先生から「県大会に出てみないか」と声をかけていただきました。これが私の恩師である栗原幸喜先生(三島相撲クラブ監督)との出会いです。
その後に出た県会は、当時70キロ近くあった私は当時35キロくらいの焼津の大桑選手(現:颯富士)と戦い惨敗しました。この大会の後から相撲を始めることになりました。当初「自分より小さい相手に負け他のが悔しくて相撲を始めた」と周りには言っていましたが、実は違います。
相撲を始めた本当の理由
その後、県大会の打ち上げで三島の広小路にある「昭和ホルモン」という焼肉屋さんに行きました。当時ご飯を食べるのが好きだった私は、「相撲やればこんなに美味しいものが食べられるんだ!」と思いながらご飯をいっぱい食べていました。その時に、相撲クラブの会長である鈴木忠友(三島相撲クラブ会長)さんから「相撲やるか!」と言われて、「はい!」と言ったのが私の相撲を始めるきっかけです。
こうして私は、焼肉目当てで小学3年生から三島相撲クラブで相撲人生を歩むことになりました。
今回は私の13年間にわたる相撲人生の始まりを紹介させていただきました。
①相撲以外は何にもできなかったこと。
②兄がきっかけ相撲を始めたこと。
③焼肉に釣られて相撲を始めたこと。
かなり盛りだくさんでしたね。こうして始まった相撲でしたが、小学校の間だけでもかなりいろいろな思い出があります。
次回予告
次回は相撲を本格的に始めた私が、「2か月で辞めたくなった話」について「始めての全国大会」の2つを書きたいと思います。
ご覧いただきありがとうございました。
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