「死の天使」メンゲレと、正義の恐ろしさ
彼を見ていると、「我こそ正義」「国のため」がいかに恐ろしいかがわかる。
彼らは強い正義感、そして新たなるドイツのためと信じて、これらの犯罪をやったのだ。
簡単なプロフィール
1911年、当時バイエルン帝国の中産階級に生まれた彼は、分野は大きく違えどゲッベルスに並ぶ優秀な頭脳を持っていた。
ボン大学、ウィーン大学、ミュンヘン大学とドイツ屈指の大学にて人類学や医学を学び、最終的には医学博士(Doctor)になった。
オトマー・フライヘル・フォン・フェアシューアーのもとて遺伝子について学ばなければ、彼は道を踏み外さなかったかもしれないが、それは私の推測でしかない
メンゲレは写真中央。
彼は元から右翼的であり、まずは鉄兜団に入ったがやがて突撃隊に吸収され、そこからナチ党に入るという、少し特殊な経緯にてナチスになった。
後に親衛隊へ入り、軍医としての道を歩む。
アウシュビッツ強制収容所の主任医師になったのは、1943年頃だった。
「死の天使」と呼ばれた由来
この呼称は、多くの親衛隊医師が嫌った「選別任務」を積極的にこなした姿から来ており、人体実験そのものとは無関係だが、後に実験材料となる点では関係はある。
彼の指先一つで護送されてきた囚人の運命が決まる。ガス室に直行か、それとも収容所(=実験材料)なのか、黒い制服と白い手袋でさばく姿からの呼称。
実験内容の一部
・目の色が変わるか見るため、よくわからない薬品を点眼(失明多数)
・麻酔無しの外科手術を行う
・腰椎穿刺を麻酔無しで行う
・髪の色が変わるか見るため、よくわからない薬品を注入される
・双子を縫い合わせ、人工的に結合双生児をつくる
・双子を使った臓器移植実験
などなど、見たければ自己責任でお調べ下さいとしか言えない内容だらけである。
他にも色々あるので、知りたければ自己責任で。
縫い合わせられた双子は生きており、しかし酷く苦しんでいた。
母親は見ていられず、どこからか入手してきたモルヒネで、我が子を安楽死させたという。
この話のあまりの悲しさに、私は泣いた。
戦後のメンゲレ
メンゲレは捕まることもなく、自殺することもなく、殺されることもなかった数少ない戦犯として語り継がれている。
多くの逃げた親衛隊同様、南アメリカ大陸にてひっそりと過ごし、逃げる生活をつづけた。
そして1979年、ブラジル海水浴の最中に心臓発作か脳梗塞により、溺れて死亡した。
正義とは何か
彼らはユダヤ人、ジプシー、障碍者を酷く扱うことは正しいと信じていたし、ドイツのためだと信じていた。
当然ながら、差別などと思ってすらいなかっただろう。
人体実験も、ドイツの将来のため、そして彼の好奇心もあったと思われる。
正義は人によって異なる、それはそうだが、そういうのを「独善」とも言う。
普遍的な価値観である「命を粗末にしてはならない」とか「命は大切である」とか、それすらも忘れてしまう。
だから、時々でいい。自分を疑ってみよう。
親しい人に聞いてみるのも良い。あえて親しくない人に客観的に見てもらうのも良い。
そうしなければ、その手を血に染める日も遠くは無いのだから。
参考資料番組
ナチス権力者 究極の悪