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一体私に何が起きていたのか? 「大人遠足」ハジベクタシュ霊廟で盛大に癒された話。

昨日、友人が思い立って
ハジベクタシュに行こう、と誘ってきました。
前々から、暖かくなったら行こうね、と言っていたんだけど
別段、強く興味が惹かれていたわけでもないので空返事をしていて
昨日誘われた時も、気持ち的には『友人たちに付き合う』様な気分で承諾した。

私はカッパドキア現地で日本人向けの旅行代理店を仲間と経営しているので、どこへ出かけても、お客様をご案内する目線で見てしまうところがある。
でもハジベクタシュ霊廟は、基本、お客様の観光プログラムに組み込む場所ではないので、今まで「見ておいた方が良い場所リスト」からは外れてた。

ハジベクタシュとは一体なに?
ハジベクタシュはカッパドキア地方のある町の名前ですが
名前の由来になった「ハジベクタシュ」と言う人物が大事。
今回はその霊廟を訪れるのが遠足の目的です。

自宅付近からは車で30分超程度の距離。
一緒に行く友人が英語ガイドさんなので、車中で軽くハジベクタシュについてのレクチャーを授かる。
曰く、イスラム神秘主義者としてはコンヤを拠点にするメヴラーナ(またの名をルーミー)が世界的に有名なれど同時代的にも偉大さや人民の敬意は同じくらい集めるイスラム哲学の賢人。

現地に着いて車を降りると
周囲にやたらと大型な野良ワンコが目に付く。
8匹兄弟の子犬が興味深げにワラワラと寄ってきて和む。

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友人が言うには、ここはカッパドキアでも野良ワンコが最も多い地域で
ハジベクタシュの礼拝者や近所の善男善女がしっかり面倒をみてくれるので
わざわざ飼えなくなったワンコを捨てに来る輩までいるのだそうな。
(けしからん)
しかしどの野良もまたしてもやたらと丸々して艶々だ。
ご近所の皆様に感謝。

入り口でハジベクタシュの銅像があったので写真撮影。

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早速、中に入ることに。

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入り口を入ったところで
コーヒーおじさんの墓を見せられる。
こーひーおじさんのはか?

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順路通路のど真ん中。知らなきゃ踏んづけちゃいますよ。
ガイド友人の説明によると
この方はトルココーヒーを作る係で生涯コーヒー豆を粉砕してトルココーヒー粉を作っていたそうなんだけど
その豆の粉砕には大変な騒音が(当時)伴うので、亡くなるときに
「私は生涯大変な騒音を立てて皆に煩い思いをさせたと思うので、この度亡くなるにあたって、墓で静かにしてるのでは申し訳ないから、どうか墓は皆が騒々しく踏みつける様な場所に埋葬して欲しい。」と遺言なさったんだそうな。
こちらはベシクタシュ教団の先人達に敬意を示したくて礼拝に参っておりますので、わざわざそんな墓を踏みつける様な真似などしたくありません。
全く迷惑な自虐主義だな。
と、言ったところで友人のガイド魂に火をつけてしまいました。
そこからベシクタシュ教団の教えや考え方、在り方、生き方の大レクチャー大会。持つべきものはプロのガイドの友人よ。

メヴラーナの教え、スーフィズムとほぼ同じで
神、宇宙との合一感が教えの中心。
そして、その合一感を何によって得るか、と言うとベシクタシュ教団では
普段の生活、食事を作る、掃除をする、縫物をする、と言った
現実世界の「生活」からイニシエーションを得て、瞑想、神との合一感に至る、と言う。

もう、そのまま「禅」です。

友人も、その通り!禅なのよ!とおっしゃる。

結局、スーフィズムもベシクタシュ教団の神秘主義も禅も
全て同じものなのよ!と。
禅が宗教を超えて受け入れられているのと同じく
このベシクタシュ教団もまたイスラム哲学、イスラム神秘主義の教義に関しては鷹揚で、賢人たちの知恵全てに敬意をしめしているそうな。
もちろんメヴラーナも聖人として敬っている。

一緒に行った友人たちはヨガ仲間なので
禅やイスラム神秘主義やスーフィズムなどにとてもとても親和性が高い。
それぞれが霊廟内で得たインスパイアを何とはなしに話題にする。
と、そこへ、7,8歳くらいの坊やが寄ってきた。
手には板チョコ。
我々の横に来て、板チョコを割って配ってくれる。
驚くと、後ろにはお父さんらしい男性がいて、優しく見守っている。
聞くと、わざわざイスタンブルからこの霊廟を訪ねていらしたのだとか。
ボクが割ってくれたチョコを、更に周囲にいる他の外国人観光客にも分けて
皆で一かけらずつのチョコを口にして、自然と笑顔になる。

女友達だが、割りに個々個性がしっかりある人達なので
中に入ってからは皆バラバラにそれぞれのペースで見学をした。

私は建物の装飾や美術品などの写真を撮って廻る。

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ふと、この遠足のメインであるベシクタシュご自身の棺が安置されている小部屋に辿り着いた。
中に入ると、皆それぞれがそれぞれなスタイルで礼拝をしている。
足のおぼつかない老夫婦が棺の周りを四つん這いになって
時々、棺に被せてある布に口づけをしながら周囲を回っている。
お向かいにには完全に瞑想状態に入った老婦人が座っている。
入り口の脇には正座したガタイの大きなお爺さん。
小部屋の中はなんとも言えない良い匂いが漂っている。
冬の日の石づくりの霊廟の中で柔らかな絨毯が敷き詰めらえた小部屋の中はシンとした空気に包まれている。
その何とも言えない清々しさをゆっくり味わおうと思って私も一角で正座をした。
ふと、後ろを振り返ると、中年女性が座って何やらお祈りの言葉を呟きながら鼻をすすっている。
私も、思わず目を瞑る。

と、

目の裏側からすーっとした感覚が感じられる。
思わずびっくりして、目を開ける。
そして、また再び目を瞑ると、やはり
目の裏側から後頭部に向けて、何とも言えない清涼感。
例えば、物凄く自分に合った疲れ目用の目薬が見つかったら
こんな風に気持ちよく感じるかもしれない。
思わず深く深く深呼吸をしてしまう。
小部屋の何とも言えない良い匂いと、清涼な空気と目から頭蓋骨全体に響くような清涼感に、うっとりと身を任せる。
もう、いつまでもこの清涼感を味わっていたい。
そうだ、このまま瞑想しよう。
ここで長く時間をとっても文句を言う様な友人たちではない。

背筋を伸ばし息を整えて
深く、そして規則的な呼吸に身を任せる。

時間の感覚は消えて
ただ気持ちよく漂う。

と、
あれれ、

涙がこぼれてきましたよ。

別に、何かを考えたとか
何かを思い出したとかではない。

全く、理由のない涙。

あれ?
周囲からみたら変かな?と
一瞬動揺するも。

だからと言ってこの恍惚感を手放す気にはなれない。
すぐに、そんな事はどうでもよくなる
後ろに座ってた女性だって泣いてたじゃん。
ここは泣いても良い場所なんだよ、きっと。
涙は目からこぼれて頬を伝い、顎からぽたりぽたりと膝の上にまで落ちる。

別段、理由もない涙なのに
後から後から涙が出てくるし
終いにはウックウックと肩まで震わせて泣けてくる。

実は友人の一人が、この時、同じ部屋のお向かいに座っていて
やはり瞑想をしてたそうなんだけど
私がウックウックと泣き出したのをぼんやりと眺めていたのだそうな。
だいたい半時間くらい私は泣き続けていたそうな。

泣く快感を味わいつくしてから
棺に手を置いて感謝の気持ちを伝えてから建物を出た。
顔がめちゃめちゃ腫れぼったい。
目が重たい。

なれど、身体が驚くほど軽い。

歩いているのに自然とスキップしてしまいそうな程
全身が軽く感じられる。
泣くことの癒しは、絶大だ。

隣の建物の前には壮観な老木。
係官の人が言うには祈りの木なんだとか

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思わず見とれて
友人たちが集まるまでベンチに座って待つことに。
と、そこへ、
杖をついてそろそろと歩を進めるお爺さん。
歩き方や背格好が、まだ歩けたころの亡き父に似てなくもない。
傍まで来ると、手元の紙袋からクッキーをくださる。
さっきの坊やのチョコと言い、このお爺さんのクッキーと言い
なんて素敵で美味しい甘い体験でしょう。
近くまで来てたガイドの友人が言うには、この霊廟では皆が分けられるものを分けるのだそうな。
分かち合うことで祈りになったり、願いになったりするんだそうな。
外も野良犬たちへの施しも同じく分かち合うためにせっせと餌をやってるんだそうな。

なるほど!
今度来るときは私も何かここで何方かと分け合えるものを持参しよう。
日本の父の墓参りはちょくちょく出来ないけど
その代わりにここへ来よう!
そうだ!それ、間違いなく父は墓参りだと分かってくれるはず。

友人たちも、皆それぞれに気持ちの良い時間をここで過ごして
心身ともに軽くなった心持ちで帰路に着きました。

誘ってくれた友人に大感謝。
そして、何か分からないけどこの霊廟の尊さに感謝。
やはり大人遠足は楽しいな。

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