YouTubeで力説。だってそう思うんだもんね。全ての人類の認識は偏っている。
★テントウムシはトルコ語でウーウルボジェーイ(幸運の虫)と呼ばれています。日本語でもお天道様に向かって飛ぶから天道虫だそうだけど、トルコ語でも光(幸運)に向かって飛ぶからついた名だとか。
わが社Lotis Blue Travelのシンボルバグでもあります。
大坂なおみさんのバッシングのニュースを見た驚きから、YouTube動画で政治的意見を持つと言うことについて喋りました。
社会性動物として社会を営んで生きてる以上、政治に無関係に生きる事など不可能なのに、なんで日本ではこんなに政治的であることが毛嫌いされる空気があるんでしょうか?なんのアレルギーなんだか。
前に、日本の教育者の方々の集まりに参加させていただいた時に
最近の子供たちの傾向として
「すぐに答えを知りたがる」
「間違うことを異常に恐れる」
「答え合わせが済むまで不安そうな様子である」と
言う感想を伺いました。
もちろん、傾向と言うだけで全員が全員ではないんですが
そう言う空気や同調圧力が感じられるそうです。
政治的発言は否定される可能性が高いので
間違いを指摘される恐怖を味わうくらいなら黙っておこう、と言う、
そう言う心理がある、と言われたら何となくわかる気がしなくもない。
でも、正解なんてないじゃんね、元から。
全ての人は、その人自身の見聞、見解から自由ではないし
幅の大小はあっても、必ず偏っているわけで
その偏見の在り処を自覚的に発言している以上
怖がることなどない、と思うものの
そうそう簡単に開き直れないのも、何となくわかる。
その上で、
他人が勇気をもってした発言を「政治的である」と言うだけで
(大坂さんの発言は政治的発言ではなく人権問題提起ですけどね)
批判の矛先を向けている人達、と言うのは
ただ、勝ち馬や尻馬に乗ったヤジ馬でしかないですよね。
その証拠に実名でそれをやらかす人はほとんどいないですもんね。
パンくず撒いたら鳩がきた、と言う態で。
益々、これから「個人」と言うものが試されるタームに入っていきます。
既に分水嶺は超えました。
間違うことだけ畏れる人は、その不安だけで大変な負荷を背負うと思います。間違うことも必要なステップと開き直ったり
(そもそも、根本的には間違いも正解もないんだけど)
期待した結果が得られない事があっても自分は自分、と思えるかどうか
そこは、本当に大きな分かれ道になるんだろうと思いますよ。
自分は不安感が強い傾向にあるな、と思う人は
まずは、安全圏(どんなに小さくても結界が張れる場)を確保して(←これ重要)そこから、ちょっと足先を出してみる(突破)と言うことをしてみましょうよ。
やばかったら、すぐ足を引っ込めればいいんです。
そうやった試し試し、自分の安全圏を広げていって
自分は何をどう感じているのか、どう考えているのかを
少しずつ言葉にしていってみたらどうでしょう?
最初は絶対に自分を否定しない、と確信できる相手をみつけて。
突破を重ねて行った先に
試されてもびくともしない本当の自分が見つかるかもしれませんZE!
オレは政治的な事は一切話したくない、と政治的であることを否定して生きて行く、と、そんな覚悟があるなら
紀元前から隠遁者が隠れ住んだ、と言うカッパドキアの地下洞窟で
一生誰にも会わない人生を送ってみますか?
流石にそこまでぢゃないんでしょう?(≧▽≦)
全ての友人たちに健康と幸運を!