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そして、今日も一日が終わる。インアンドヤンって清濁合わせ持つって意味なんだよね。

今日は結構一日中夏の庭にいました。
水撒きに行ったら、タンクの中の水に藻が湧いてしまってしまっていて詰まってしまって、掃除しようと思ったけど思うに任せず。(´;ω;`)ウッ…
結局、週末にプロの手を借りることにしました。

夏の間に夏の庭へ行く、最も大きな動機は、生ごみです。
家で出る生ごみを土に捨てたくて、貯めて置いて三日置きぐらいに土に撒きに行きます。
生ごみの臭いって、最初のうちは、「うっ!」ってくるくらい「嫌な臭い」だったはずなのに、今日気づいたんですが、今の私は全然不快に感じてません。

生ごみが、土の栄養になるもの、と言う認識が出来たころ合いから
生ごみの臭いに対する不快感が、物凄く軽減された、と思います。
酸っぱ臭いのとか、ある意味、ぬか味噌の匂いとニアミス。

菌ちゃん先生に言わせれば、漬物こそが最高の肥料なわけで。

その延長線上で言えば、人間の糞尿も、最高の肥料です。
水に流すなんて、なんて勿体ない、とすら思えてきます。
夏の庭に行ったときにお馬さん達の糞が落ちてると、有難いと思えます。

しかしながら、文明社会の都市生活をしてると、なかなかそうは
「感じ」られませんよね。
うちの息子くんなんかにとってもコンポストトイレなんてもっての外!
キャンプとかに行って、仕方なく使わざるを得ないならまだしも
そうではい場所でコンポストトイレなんてものが存在してはなりません!と
言う感覚です。

ワインだって、納豆だって、チーズだって、ヨーウルトだって
糞尿と実はニアミスな存在だ、と言うと
まあ、確かに言い過ぎですが
でも、既に、私の感覚では
インアンドヤンな、同列な存在です。

人間だって、社会だって、宇宙だって
清濁併せ吞むからこそ、存在してるんです。

あいつは間違っている!とか
私が絶対正しい、と言う、そう言う決めつけに頼ってしまうのは
祟り神になり掛けている自分の自己愛に注意した方がいいのですが

一方で、
賢そうに、斜に構えて、
「私ってば清濁呑み込める大きな心で対処してる。」って関心を示さないと言うのも、また、違う、と感じちゃいます。
正論を「ああ、それは正論ね。」とか言って上から目線な存在にはなりたくないな、と。
漬物は好きだけど、生ごみは食べないよ!

嫌だ、と思うことは
青臭くても
絶対やだ!って言い続ける、自分を信じてあげたい。

生ごみを土に捨てながら、そんなことを考えていました。

行ったついでに
新月にはまだ二日ありますが
夏の庭の葡萄を手でつぶして、素焼きの壺に仕込んできました。
ガラス瓶と違って、内容量が見えないので往生しました。
発酵の加減が全く予測付かないので、多分、壺の半分くらいまで入った感じで止めました。
カッパドキアの岩石で囲まれた洞窟の片隅に置いてきました。

新月二晩前の魔法の壺

2週間くらいしたら一度濾そうと思います。
なんとく作業自体も気に入ったので、壺をもう一個買って
マジに新月にも再トライしてみようかなー。
野生の葡萄は、まだ売るほど生っています。

全ての友人たちに健康と幸運を!

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