緩めるの推奨なおじゃぴぃの自己矛盾に笑えて来たので、改めて『ぼんやり』して『自動運転感』を愉しむことにした話。
いかん、いかん。
短くても良いから日記代わりに毎日書こう、と思ってたのに
投稿し忘れておりました。
何となく、心ここにあらず且つバタバタした時間が過ぎていました。’
色々動き始めている感じがしてるのに
心が追い付ていない感じを味わっている人も多いのでは?
さっき、何となく二度寝にトライしてベッドに再び入ったものの
寝入る訳でもなく、ただ目をつぶってぼんやりしていました。
さあて、私の魂は何て言っておるのだ?
私は一体何を感じているんだね?
君の「自分軸」とやらは何処にあるのかね?
私は、とにかくこのnoteでも一貫として「緩む」ことばっかり推奨してます。日常の一旦停止線。
緩めて初めて見えたことが沢山あるので、それが私の人生経験としてとっても有益だったので
「緩めるといいよぉー」みたいな事ばっかり言ってる訳です。
まあ、それは、取りも直さず、私自身の超個人的な「体験」だったわけで
世界中の一個人たちが皆違う「体験」を同時進行的にやらかしているこの地球上に於いて、どっか重なる体験をした人としか共有出来ない感覚っすよね。
ま、それはいいのですが
さっき、寝床でぼんやり自分に
「ねえ、ちょっと、なんでこんなにボンヤリしてんの?あんたの自分軸とかがうすぼんやりしてっからじゃないの?ええ?どうしたって言うのさぁ。」って声が響いてきて
「もー、いちいちうるさいなぁ。」と思ったんですわ。
自分軸のハンドルとやらをね
指が白くなるまで握りしめて運転してなきゃいけないわけじゃないのよね。
緩める推奨な私は
なんで緩める推奨か、と言うと。
つまり、うっかりガッツリやらかす癖があるからなのよね。
うすぼんやりしてる人に向かって
「あなたの意見はどうなのよ!」って襟首掴んで詰問してしまう。
いや、実際にそう言う行動をするってことじゃなくて
そうしたい欲求が常に根底に在って、その延長線上に、
何かをシカとしてしまう。
自分に対しても同じことをし続けてきた。
なので、
自分を緩めて隙間を作っておく、と言う処世術を編み出したのよね。
なのに
今さっき、自分への問いかけでやらかしていたのは
「ちゃんと『緩んでいるか』点検する行為」
なんか究極の自己矛盾って気がして、可笑しくなってきました。
ガッツリとぼんやりする。
なんじゃそれ。
その空回り感こそが今のこの世界のフラクタルって気がするわ。
とりあえず、
ぼんやりしてる時間もあって良し。
つーか、点検して『ぼんやり』を冒してしまってはいけない。
無心に遊んでいる子供に意味を問う莫れ。
しばらく『自動運転感』を愉しんでみよう。
全ての友人たちに健康と幸運を!