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呪いと祈り、信頼と心配の渦。母親との関係って曼荼羅なのだなぁ、幾つになっても。

★写真は小学3年生くらいの私と兄弟&ハハ。

この間の新月廻りで、結構、心理的にも現実問題的にも、天候的にも、星回り的にも、随分と賑やかな数日を過ごしました。

昨日、一昨日とnoteにも書いたんだけど、フアンカンお化けにも久しぶりに対面して、驚かされたり、シミジミしたり、振り返れば気付きの多い数日間でした。

そんな、超個人的内面の気づきのうちに一つに、ハハの存在がありました。

もう八十寿、傘寿を過ぎたハハです。

私のお誕生日の月星座はうお座で、I Believeがキーワードだったりして
全体重で何かに賭けてしまう様な欠損は自覚的で、なんか乗り越え終えてしまった気になっているここ数年です。
月星座、月の欠損のついてはマドモアゼル愛先生が有名ですが
端的に言って、月は7歳までの間に、母親から授かった祈りと呪いの呪縛なんだろう、と言う解釈です。
「心配」から発する規制や決めつけ、「希望」から発する祈りや失望。
そんなものに塗れて育っても、いつか、その呪いを振り切って自立出来れば
いっちょ上がり、そこから本当の自分の人生がスタートするのだ、と。
私なりに、そんな風に捉えていました。

で、私は、既に、その領域には達していて
もう、自分の人生を自分の手で前へ進めているのだ、と
特に、この数年は、そう思ってきていましたし、
そう体感もしていました。

若いころから、元々、どちらかと言うと自立志向で
実家を出て一人暮らしの頃は、お正月ですらまともに実家に顔を出さない様な有様でもありました。

そんな自分が、
この歳になって、遠く海外で暮らしていて
今回の様に、ふと迷った時に
フアンカンお化け、と相対して
自分の中の幼い自分、ちっちゃくて正直なエゴちゃんと会話していく中で
答えは出ているのに、なんだかまだ落ち着かない気持ちにナニカを持て余して、夜ごと、ベッドで輾転としている時。

ふと、目が覚めて
「お母さんに電話しよう」と思ったんです。

トルコの親子関係と真反対に
そんなに頻繁に電話をし合う母娘ではありません。

トルコの義母を最も驚かせたのは
私が実家に電話する間隔と
日本の母が「知らせが無いのは良い報せ」と割り切っている、と
説明したことです。
急な報せが入ると、良い報せな訳がない、と。
なにも連絡してこないってことは、こちらを忘れるくらい充実して幸せに暮らしているってことだから、と。
トルコの家族関係では連絡が疎遠になって、自分の事が蔑ろにされたり、忘れられている、なんて事は耐えられない、と言う心持ちが鉄板です。
日本の家族関係は冷たいのね、と思うと同時に、そんな風に考えられる親側の心理には大きな敬意を感じる、と言っていました。
ほんと、そうですよね。

そんな感じで
割りにドライな母娘関係ですが

この度の、この歳になってまでも
フアンカンお化けとの数日間に、思いついてハハに電話しました。

自分的には、既に結論が出ている話を
改めて、頭から説明をして
どんな経緯で結論を出したかを話しました。

ハハは、小さいころから、「心配」していた
私への愛ある呪いの言葉を、口にして茶化しながらも
大いに賛成してくれました。

ああ、まだ、ハハは、私のことが「心配」なんだな、と
思うと同時に、ハハに、私の結論を支持して貰っただけで
やっとストン!と肚落ちした音がしました。

そこでまた
自分でびっくりしたんです。
「私ったらまだお母さんに認めて貰いたかったのか!」と
言う、自分に改めて気付いたからです。

アラフィフおじゃぴぃが傘寿の母に求めていたものが
「承認」だった!

もう、そんなものが、私の中に残っていないと思ってたし
と、言うか、その感情があったことすら忘れている様な生活だったのに。

心が揺れた時って言うのは、寧ろ揺れたからこそ
本当に鮮やかな自分と出逢うことが出来ますね。

コロナ禍が収まって
また、頑張って、トルコまで渡って来て欲しいものです。
ハハにこそ、魔女となって150まで生きて欲しい、と心底思った
2021年最初の山羊座新月でありました。

全ての友人たちとハハに健康と幸運を!

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