『支えるに足る共同体。』そこで生きる意味とか。改めて地下都市に思いを馳せるなど。
★写真は前に偶然出会った朽ちかけた修道院の中から見上げた宙でございまする。
さっきまで、岡田斗司夫のYouTube動画、特にジブリ関係のコンテンツを流し見してました。
以前はニコ生の岡田斗司夫有料チャンネルに登録してたんだけど、マジで中身濃いし、面白いし、いちいち深堀したくなる内容で、コスパめっちゃ良い、と言うのは分かって満足してたんだけど
面白過ぎて、中身濃すぎて、追いきれなくなって退会した、と言う不届きものです。今は時々、集中して無料コンテンツだけ見捲くる、なんてことしてます。
【UG】風の谷への移住案内ナウシカを風土的に考察する / OTAKING explains "Nausicaä of the Valley of the Wind"
を家事をしながら聞き流していたら
ふと、物凄く胸に響くキーワードが流れてきて、家事の手を停めてしましました。
ナウシカの住む「風の谷」と言う小国の話を詳細に解説していくなかで
腐海の毒に冒されて、厳しい風土の中で、徐々に死に絶えて行こうとしている地域、と言う話でしたが
では、なぜ、人々はそこで暮らし続けているのか、と言う考察をしていました。岡田斗司夫氏が、そこで使った言葉が「風の谷」はそれでもなお、人々が『支えるに足る共同体』であったからだ、とおっしゃいました。
また、原作の宮崎駿氏が、若いころから砂漠の民に魅了されていた、と言う話をしていました。砂漠の民は遊牧民族で、常に移動しながら暮らしていたた。では、なぜ、水の豊富な地域へ「移動」して暮らすことを選ばなかったのか、と。それは、砂漠での暮らしが続けていくに値するものであったからだ、と。魂のあるべき場所であったからだ、と。
先日、カッパドキアの地下都市についてのZoomツアーのプログラムに参加しました。地下都市と言うものの存在の不思議や、そこでの暮らしへのイマジネーションや、歴史ロマンなども網羅した愉しい内容になった、と思います。
改めて、地下都市の暮らし、と言うものを考えてみます。
普段は、おそらく、普通に地上で暮らしていた人々が、身の危険、共同体の危険を察知した時に迷路のような地下深く隠れ住む、と言う選択をしたのだと思います。
危険が去るまでに間、長ければ数か月閉じ籠っていたこともあっただろう、と言われています。
そのコミュニティがどんなリーダーと共にあったのか
陽の光や新鮮な空気から閉ざされた空間で、人々は日々のストレスとどう戦っていたのか。
そんな思いをしてまでも、
そこはきっと支えるに足る共同体であったからきっと耐えれることが出来たのであろうしそこに、もしかしたら、魂のあるべき場所として、
その空間が存在していたのだろうな、と改めて思索してしまいました。
支えるに足る共同体、と言うものを手に入れたら
人間は、風の谷の人々の様に、例え自らの体が腐海の毒に冒されようとも
次の世代へ繋がる努力をたゆまずにしていけるんだと思うんです。
その時の人間のエネルギー、と言うものはおそらく無尽蔵に生まれて
そして、多くの人と分かち合えるだけのものになっていくんだろうな、と思えました。
このnoteでも、前に書いたことあるんですが
何となく、おじゃぴぃ的理想的な未来は
1万人くらいの小さなコミュニティが沢山集まって
相互平和なやり取りを形成していくってイメージなんですよねぇ。
ギリギリ、直接会って物々交換が出来る範囲でありながら
大概の職業がだいたい揃う程度の人口。
足りないモノは、隣のコミュニティとのやり取りしながら
なんとか自給自足が成り立つ共同体。
自分が食べたくなるものを作って皆で食べる。
顔の見えない誰かに無責任に放り投げるようなものは作らない。
支えるに足る共同体
今日、胸に刺さったキーワードでした。
全ての友人たちに健康と幸運を!