
極私的信仰告白カッパドキア陽子の場合。
改めまして
カッパドキア在住のサイマズ陽子と申します。
今回、「宗教」と言うキーワードで何をやり取りしたかったか、と言いますと
私自身、トルコと言う国に移り住んで
その文化の中に身を置きながら、この国でイスラム教を信仰し十数年経ってしまいました。
その中で思ったこと、感じたこと、考えたことをそろそろアウトプットしたくなってきたのです。
イスラム教を信仰しようと思ったきっかけは、理由として説明できるような言葉が見つからず
ただ、そこにあったから、ピンと来たから、めぐり合せを感じたから、としか言えないのです。
生まれは東京下町で、基本的にめちゃめちゃ保守な地域で生まれ育ちました。
50年以上住んでる実家でさえ、町内会では「お宅は新参だから」と言われてしまう様な地域です。
お祭りが盛んで歩いて5分ほどのところにある神社が「氏神様」。
お七夜や七五三祝いなども当然氏神様で執り行ってきました。
合わせて神田明神では両親、兄貴夫婦、弟夫婦の結婚式を執り行って貰ったご縁に重ねて
兄弟全員が(甥っ子たちも含め)参加しているボーイスカウトの本拠地がこの神田明神なので
当ボーイスカウトの「宗教章」は通常神田明神のご協力で子供たちは「神道」で取得します。
年に一回のお祭りでお御輿を担ぐことが一年で最も重要な事だと思えるほどの十代を過ごしました。
実家は父は比較的強めの仏教徒で真言宗です。
私も物心つく前から菩提寺には祖母に連れられて通い
仏教的世界観が培われたきたと思います。
朝は炊き立てのご飯の最初のひと掬いを仏壇にお供えするのが私の仕事でした。
同じく、最初の一杯のお茶も。
それを前にして父が毎日お経をあげるのを聞いていました。
だからと言って、他に宗教に関わらせて貰えなかったと言うと逆で
小学生時代に通っていたガールスカウトは近所の天理教の教会を借りていましたので
場所を借りている関係で、敬意を表す意味で、集会前には必ず天理教式にお参りをしました。
夏には天理教最大のお祭り、天理市が開催する「おじばがえり」にも参加しました。
今でも天理教式のお参りはほぼ完ぺきに出来ると思います。
大学時代にパニック症候群を患った時には父の紹介で禅寺での座禅会などにも参加しました。
そして大学はミッション系の明治学院大学でしたので、プロテスタンティズムも聞きかじることになりました。
イザヤ・ペンダサンこと山本七平氏の「日本人とユダヤ人」の著書そのままに
まさに「日本教的」環境で生まれ育ったのだと思います。
そんな中で
今度は、イスラムの国で暮らすことになりました。
当初、興味は人一倍持っているもののイスラムは縛りがキツイ宗教、と言うイメージで
とてもとても私に完遂出来るものではなかろう、と思っていました。
しかし、嫁ぎ先の義実家で
敬虔で、それでいて大らかにイスラム的生活を送る義父母を近くで見るうち
そして、実際は、非常に柔軟で合理的な宗教である事が分かってくるにつけ
もう、これしかなかろう、と言う気持ちになり
夫に改宗したい趣旨を告げました。
夫も当初慌てて、押し戻しまして
夫曰く、イスラムで異教徒の妻を娶った際には生涯に一度だけ改宗の意向を尋ねてよく
(何度も尋ねるとそれはプレッシャーになるのでいけないそうです)
何れ時期を見て尋ねるつもりであったので、そう、簡単に結論を急ぐべきではない、と言うのでした。
止められれば余計意地になる性格でしたので
今日にでも改宗したいのだ、と言い募りました。
結局、私の意地に負けて、じゃあ、そう言うことで、と言うので
どうするのかと思うと
夕飯の席で陽子がイスラム教に改宗したいんだって、と義父母に伝え
「ムハンマドを信じるか? 天使の存在を信じるか?」と聞かれて
「うん、信じる」と答えて「はい、じゃあ、貴方ミュスリマンね」と言われておしまいでした。
今、思い返しても
なるほど、そう言うことか、と思うんですが
信仰は私が何を信じるか、だけが大事なので
そう宣言した段階で信仰者です。
けったいな洗礼式や、儀式は必要ないんです。
そんなこんなで始まった私のミュスリマンライフですが
幸い、義父母は信仰を押し付けてくる様な真似は一切せず
信仰を深めるのは己の中でだけ、と思っていてくれましたので
周囲の日本人のお嫁さん方が経験した鬱陶しい同調圧力はほぼ感じずに暮らしてきました。
寧ろ、親戚やご近所さんが競って私のグル(信仰指導者)を気取ろうとする際も
進んで防波堤となって、私のペースを守ってくれました。
様々な宗教行事があります。
それぞれにそれなりの意味付けがあるのは、他の宗教と一緒です。
その一つ一つに合理性を感じています。
そう言ったものの経験を重ねていくうちに
様々な宗教的矛盾や、不可解な疑問も生まれてきました。
その昔、大学の必修科目であったキリスト教概論の授業で
新約聖書の中の聖者のやり取りで、疑問を呈したら
「信仰に疑問を持つことは禁忌である、当時は文化習慣も今とは違うので、
それはそういうものなのだ、と受け入れることが大事」と言われて
大変白けた思いを味わいましたが
イスラム教も同じ事を仰る。
コーランの記述に疑問を持ってはならぬ、と。
己で解釈してはならぬ、と。
アッラーは信じていますが
どの宗教も呈するこの「思考停止」を促す禁忌とはなんぞや、と
不可解さと不信感が芽生えました。
トルコはイスラム教の教義が国の法典になっていないものの
ここ10数年で保守系政党の独裁化が進むにあたって
妙な信仰の押し付けが起き始め、益々、本来大らかであったはずのイスラムの教えが
窮屈で押しつけがましいものに変わってゆく様を目の当たりにしました。
所謂、宗教の政治利用です。
更に
自分のなかで、ある種の霊性を肯定するような出来事も起き
信仰の中の「祈り」は
自分の霊性を肯定する行為であり
自分の霊性を肯定せずして、本来の自尊心は生まれないのではないか、と言う思いを確信してきました。
自尊心なき信仰は結局「盲信」で思考停止を生み
例えどんなに大きな組織の「宗教」でも「盲信」を推奨する宗教は「カルト」なんじゃないか、と
そんな考えが生まれました。
天に向かって(私の場合はアッラーに)祈りを捧げ
アッラーとの一体感を感じる中で、ぼんやりしてたイスラムの解釈が自分の中で
ますます辻褄があって来て
トルコのトンチキな宗教指導者が
「女は殴って教育する」とか「車で90㎞以上のスピードを女が出すのは宗教的禁忌だ」とか
ほざき始めているのを見聞きするにつけ
「宗教」はシステムでしかなく
「信仰」を利用して管理抑圧するためだけに存在している、と言う当たり前の事実だけが浮き彫りになってきました。
私は空にあるアッラーと、自分の胸中におわしますアッラーが同一の存在で
自分の中のアッラーと直接話が出来るのであれば
なんで知りもしないホジャ(宗教的指導者)の文言をアッラーより優先しなければならないのですか?
それこそ罰当たりだ!と思うようになりました。
様々な人が陳腐な教えに引き戻そうと働きかけてきましたが
教義に中のイスラムの神髄と思える教えには反しないものの
それ以外の訳わからない習慣には一切従わないことにしました。
例えば、イスラムを信仰するにあたって
イスラム名を付ける様に言われました。
イマーム婚(宗教婚)の時に暫定的に「アイシェ」と言う
おそらくトルコで最も多い女性の名前の一つを選んで自分でつけました。
私の事をこのイスラム名で呼びたがる人も多くいましたが
(多くは信仰押し付けタイプの人々でした)
私は実名のYOKOで通しました。
親戚が集まっている場などで「なぜ、イスラム名を使わないの?」と無邪気に尋ねられるので
「アッラーは創造主でしょ?世界を作った偉大な存在よね。
て言うことは、アフリカも、中国も日本もロシアもみーんなアッラーが創造したわけでしょ?
なんで、この地域の名前でなきゃいけないの?
名前が気に入らなきゃアッラーは庇護しないとでも思ってるの?
アッラーは偉大で慈悲深いのよ、そんなみみっちい考えを持っている訳がないじゃない?
アッラーをそういう風に矮小化させる方が罰当たりだわ。」と言うと
誰も反論してきません。多くは、その通りだな、と言ってくれますし
言い返したい人も面倒なので反論してきません。
そう言うことを積み重ねてきたお陰で、今では、私にイスラム談義を仕掛けてくる人は皆無です。
自由にアッラーを信仰しています。
いつか、
素晴らしいグルに、メンターに出会って
本当の意味で信仰を昇華していける望みは捨てていませんが
奇しくも
先日、ダライ・ラマが
「仏教は考える為にある。考える方法を示しているだけだ。
仏教を信じるな。自ら考えよ。」と言う説法をなさっていて
私も、アッラーと言う存在を頼りに自分で考えを深めていこう、と思えました。
思考停止に陥らずにいる為に
日常に埋没しないためにも
誰かとやり取りしながら、自分の考えを深めていきたい、と強く思うようになりました。
やり取りをしながら
今ある無用なイスラムフォビアを少しでも減らしていきつつ
自分の考えをまとめていく一助になったらな、と思った次第です。
決して勧誘やましてや洗脳など考えていません。
皆さんの素朴な疑問に答えていくのはきっと楽しい経験になると思っているのです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。