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おじゃぴぃの魔法道、道半ばなりに体感ベースで経過報告。

★写真は先日の満月の一瞬前の日暮れ前の宙。龍が会いに来てくれました💓

ここのところ、心身共に忙しい、と言う話は書いてて
それは仕事と関係しているようないないような
純粋に仕事って訳ではなく、そこから心に何か響いてきた時に
心も弾んだり膨らんだりして、それも含めて忙しかった、と言う感じで
朝のルーチンを始めたり、そんな中でディディに出会ったり、私自身のフロー体勢に入った時期と、そう言うタイミングが嵌ってしまって
とんとん拍子症候群のパワーアップバージョンの中にいました。

数年前から始まった断続的なとんとん拍子症候群の中
時に、ちょっとそれは!って言う様な偶然に出会うことが頻繁に起きてきて
偶然は必然的に起きる、と言う法則が段々読めるようになってくると
偶然に備えるみたいな、訳の分からない状況も生まれてきて
そんな時に冗談半分に、魔女だからー、とか
与太バナシ、として発信し散らかしてきました。

今日、たまたま、FB友人たちとのやり取りで、自分を魔女だ、とか魔法を使った、とかって感じる時は、一体どんな時なんだろうか、と
チャット状態で話してして、面白半分に自論を展開したら
結構な量になっちゃったので、一回このnoteにまとめておくことにしました。

始まりは、この記事で
『魔女は古くから商売上手であり現代では魔術が数千億円規模の産業と化している』でした。
最近、魔女を自称してても、私の魔法は自分にしかかけられないからマネタイズは無理だなぁ、と思って、まあ、150年生きる気満々なので100歳超えたら、魔女の看板だして魔法のインセンティブも享受しようかな、と
そんな気軽にコメントしたんです。

魔女初心者の私が考える魔法について
今、過程で体感してる事をちょっと書き出してみますね。

私の「とんとん拍子症候群」が起きる時に決まってその序章の様な現象が起きますが、それは、出逢いです。
誰かと会ってエネルギーがスパークしてから、その後に車輪が回り始めます。スパークしても起きないこともありますが、スパークしないと絶対に始まりません。
とんとん拍子症候群の最中に最も大事なことは瞑想です。
瞑想してる最中に「体感」が現れます。「体感」したことはほぼ100%の確率で遅かれ早かれ現実に目の前に立ち現れます。
最初は、10年とか先の話だな、と言う体感だったものが3年とかで「成り」ました。それは行けばいくほどスピードアップして、最近だと数日単位のことや、その「瞬間」ってこともあって慌てます。

瞑想の最中に感じる事ですが
背骨がアンテナで、受信装置です。で、多分、背骨で受け取った何かを身体に反響させているんだと思います。体の調子がいいとよく反響します。
それはきっと今注目を浴びている「周波数」みたいなもんなんじゃないかな、と思います。体の調子は間違いなくヨガの動きで背骨の中に流れる体液(骨髄液?)水分が動くと活性化する感覚があります。
体の調子(<氣>)を整えたい人が多分、ベジタリアンになったりヴィーガンになったりするんだと思います。もしくは断食したりする、と。
肉やアルコールやカフェインは「氣」を乱すので、受信装置系の人は多分、そう言うものの摂取もしないんだと思います。ディディがそうでした。
アルコールに関して、私の体感としては、少量飲む分には受信装置的な一瞬力は上がると思います。ただ、とっても短くて、すぐに落ちて、その後受信機能をめちゃめちゃ下げた状態の時間が長く続くので、効率的でないんだと思います。寧ろ常に敏感でいたい人は、その閉ざされている時間が我慢出来ないので、飲まない、と言う選択をするんじゃないかな、と推察します。
これはその人の体質にも左右されるんだと思います。

魔法的な何かに近づくのに、多分、瞑想はとっても一般的な方法だと思います。肉体的に自分を追い詰めていく方法と、究極のオーバーシンキングをして思考を追い詰めていくやり方が多分今まで、ヨガの修行者とか即身成仏とか五体投地とか断食とか禅問答などが(やや極端ですが)推奨されてきたんだと思います。でも、結局、思考と肉体は両方ともがある一定まで到達しないと、どっちが欠けても成就しないんじゃないかな、と推察しています。

陰陽インアンドヤン、って言われていることって
あの有名な図柄のように、白に黒点、黒に白点、それが混ざり合って、みたいになっていますが、あんなにすっきり線引きされたものではなくて
境界線はきっともっと曖昧で、って言うか
実は、インアンドヤンって言うけどあれはただの象徴で
清濁併せ吞むって言う意味は、単純に「遠いか・近いか」の話なんだと思います。
光とか、愛とか、幸福感とか、宇宙とか言葉だと陳腐になりがちなんだけど
その人自身にとっての「ホーリーな存在」「SOMETHING GREAT」みたいな何かを中心として
それに近づくと、ウキウキとして幸福感に包まれて光り輝いて安心する
けど、そこから遠ざかると、不安で居心地が悪くて重くて暗くて辛い
みたいな、でも、望んだからと言って決して100%の光にはなれなくて
生きてる間(この3次元で時間や重力や身体の制限を受けている状態)は、魂がその光に近づいたり離れたりして過ごすんだと思うんです。
究極、生きてる間にどこまで、その光に近づけるかチャレンジ、がこの3次元世界で生きてる意味なんだと思うんです。

で、魔法は、その光に近づけば近づいただけパワーを増して、使い易くなる。離れるととてもパワーダウンする、これが今んところの体感です。

光に近づいていて、閃きが起きやすい時は偶発的な幸運にも恵まれやすい。
瞑想中に「体感」も起きやすい。
体感は体感であって、願いでも祈りでもないです。全く別物です。
「良い体感」が起きて、それが現実世界でちゃんと手元にやって来る時
ああ、また魔法だな、と思うんです。
だから、まだちちんぷいぷいで的を得て、魔法をかけてるわけではないんです。ただ、良きイマジネーションの世界で生きておこう、と言う風には気を付けています。不安な気持ちを体感しないようにするためにフロー体勢に入った時は、特に気を付けています。

先日、ディディから私だけが一生秘密に守っていくマントラを一つ貰いました。そのマントラを唱える時には、その瞬間の自分の存在を認識出来ます。
簡単に言うとさっきの光に近づき易い体勢がすぐに整います。
ある種の自己催眠的なものなのかも。そう言う意味ではこれも魔法。

マントラって基本はサンスクリット語な訳なんだけど
仏教のお経もサンスクリット語がベースで、日本語では訳分からずもお経を有難がって聴いてきた訳なんです。うちの父なんかは毎朝、仏壇の前で般若心経を朗々と唱えていたんですね。般若心経の日本語訳も最近は色々読みやすいものが沢山ありますが、そんなもの読んでなくても「お経」って聴いてて心地よいって感じた事ありませんか?

日本ではよく「言霊」って言葉使いますよね。
言葉が「呪(シュ)」になる。ここら辺は陰陽師的ですが
カタカムナとか、ある種呪文みたいなものも話題になってきていますよね。
私は、イスラムを信仰していますが、アラビア語の祈りの言葉って
完璧な韻が踏んであって、意味も通れば音(Sounds)としても完璧なんです。
アッラーが翻訳してはいけないって言ってた意味は、このSoundsが大事だから、と言いたかったんではないか、と思えるんです。
さっき、最初の方で「周波数」を身体に響かせる、と書きましたが
そこにこのSoundsも重要な役目をしてるんじゃないかな、と思ってます。

呪文となる、言葉のパワーとそれを鳴らす周波数の謎が解けたら
もっと自在に魔法が使えるようになるんじゃないでしょうか
ホグワーツでは、それを教えているのかもしれません。

訓練を受けた周波数まで意識できる歌手やお坊さんがお経やマントラを唱えたら人を酔わせられたり、悲しませたり、喜ばせたり、安心させたりできるんだろうな、と。

卑弥呼が、盛大に火を焚いて上昇気流を起こして、雨乞いをすると雨が降って、魔術だって言われたとして
上昇気流が雨雲を呼ぶ、と言う科学的事実を卑弥呼は実験を繰り返して検証して知識として得たのでしょうか?
違うと思います。やはり、瞑想中に閃いて体感したんだと思います。
それと、天才科学者が、世紀の大発明をした瞬間の閃きは、多分一緒なんだと思います。
科学と魔術はそこでも繋がっているんです。

更に、例えば今日は水星が留です。
星回り的には、頓珍漢な出来事がハプニングが起きやすい時期です。
リベラルアーツ的な占星術の知識があるかないかで魔法の効き方も変わってくると思います。満月でも新月でも使う力が変わります。

また、最近noteでも何度も書いていますが
結構、雑草食に嵌っています。薬草にも詳しくなりたいと思っています。
もし、薬草でお薬が作れたら、それだって、知らない人からみたら魔法ですよね。
また、今、トルコの酒税法上違法にならない範囲で自家製ワインを作っていますが、ワイン作りも気持ちの上では身土不二、自分が立っている大地の滋養を発酵させて濃縮させてパワーを集めてる、と言う気分でいます。
大地から生まれたワインには薬効があるに違いないって思って作っているんです。まさに気分は魔女の仕業です。

アーシングも大地と繋がったら、自分のエネルギーが浄化されて、健康にもなって魔法の精度もあがるだろうな、と思ってやっています。アーシングしながらだと瞑想の気持ち良さが全然違うので「気持ち良い」ってことが答えだと思っています。

そんなこんなで
今書いた様な話を全体複合的に使っていくと
なんとなく人類の歴史の中で魔法と呼ばれてきたナニカ。
そんなパワーにアクセス出来ようになっていくんじゃないかな、と考えている訳です。日本語遣いの私がカッパドキアで生きているのはただの幸運ではなくて魔法を身に付けるために用意された宇宙の法則なんだろうな、と思ってます。

まだまだ魔法道は続いていくと思うので
ワクワクと楽しい事を追いかけて行きたいと思います。

全ての友人たちに健康と幸運を!

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