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「全力で取り組む」

面接で良く聞かれる質問だし、前職の現場でも度々考えたこと。皆もしかして「全力で何かに取り組む」という事自体やったことないんじゃないのか?と身も蓋もない疑いを持つ。

単に気持ちいいから

全力で何かに取り組んで、成果が出るにせよ出ないにせよやれる事全部やりきってみると、とても気持ちいい。例え失敗に終わったとしても、ある程度精神的に踏ん切りが付くし、ちゃんとやってれば誰かがその事を認めてくれる。
仕事が楽しいかどうかとか、生きてて楽しいかどうかとか、それはまあ色々あるだろう。個々人様々な事情をもって生きてるもので、それ自体を否定しようとは思わない。
しかし、自分がおかれた状況でどうすべきかとか、そもそも自分がおかれている現在の状況自体を変えてしまう事はできないかとか、そういう事を考えた事がもしかして大半の人には無いのではないか。

Maximizers vs Satisficers

"Maximizers vs Satisficers"という議論は太古の昔から続いているし、有名な議論だから別に紹介するまでも無いような気がするけど、私は人間に備わっているこの二つの性向を両方うまく使いこなす必要があると考えている。
常に最善の努力、最大限の力を発揮する事ばかりを考えているとその内心筋梗塞で死ぬが、かといって常に諦めの境地では人は永久に成長しない。

つまりこの二つの側面を両方持ち合わせて、時と場合に応じて使い分ける事ができなければ真の意味で人生を楽しんで行く事などできないと思う。

私はその意味では、まだ短い人生ながらも最大限の努力で最大の成果を発揮したことも有ったし、逆にサボり倒して他人に迷惑を掛け倒したこともある。
だから努力して何かをやり遂げる事の面白さを知っているし、またぼんやり過ごす時間の大切さも知っている。要は両方が必要なのだ。どちらか片方だけでは人生はマトモに回らない。

「足るを知」…った気になってるだけ

日本において多くの人は"Satisficers"としての精神性、すなわち物事に満足し(ある意味では諦めて)、そこまでで立ち止まろうとする精神は理解してるように見える。
「足るを知る」なんて言葉が意味も分からず流行る事がその証拠のような気がする。

しかし事実として「足るを知る」の続きには「強めて行なう者は志有り」と続くのだ。
人は満足しつつも努力し続けなければならないという矛盾する性質を持ったものだと老子すらも語ったわけだが、このような"Maximizers"としての人の性質を知るものは日本にはもしかすると物凄く少ないのではないかと思う。

成果は出なくてもいい

努力して成果が出るかというよりも、とにかく後先考えず努力しないとその人の成長に繋がらないのである。
それが人として生きる事であると私は思う。

はっきり言って成果なんて全く出なくて大失敗に終わるとしてもそれはそれで良いんだ。ちゃんと努力して大失敗に終わるなら、そこから学べる事が幾らでもあるので、それこそその人の成長には物凄く寄与する。

例えば私の例で恐縮だけど、一つ。私は転職活動一発目の面接に備えてネットを見ながら想定質問集やら回答集やら色々と作り込んで頭の中に叩き込んで行ったが、あえなく大失敗に終わって普通に落ちた。
けどその大失敗面接を後から精密に分析して、答えられなかった質問を深堀りして全部練り直して行く事で、その後の面接は全部上手く行くようになり最終的に内定に繋がった。

先ず何にでも取り組め

とかく何でもいいから先ず全力で取り組んでみる事が重要なんだよ。
「これは仕事だから」…仕事だから全力発揮しないのか?
「これは趣味だから」…趣味だから全力を出さないのか?
何にでもとにかくバカみたいに理由を付けて人は全力を発揮しないように生きようとするけど、少なくとも若い時期には仕事にも趣味にも全力全開で良いと思うのだ。

そんな事言ってながらも毎日ぐっすり寝るし、遊んでいる時間だってあるし、割と人間はのんびり過ごしているものだから、ブラック企業で寝てる暇がないとか言わない限りは多少なりとも自分の興味ある色々な物事に全力で取り組んでみたって良いじゃんか。そう思わないか?

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