海士滞在記①大好きなマスターとの出会い、そこにある公民館
ふと、海士にいたときのことをよく思い出す。
思い出すのは、鎌倉での生活にすっかり慣れてきて、海士での暮らしが日常から遠い「記憶」へと変換されてきているからだと思う。
海士町がものすごく懐かしく感じられて、ちょっと寂しい。だから、断片的な海士町滞在記を気が向いた時に書いて残しておきたいなぁと思った。
海士町での日々の暮らしといえば、平日は朝8時に家を出て、シェアハウスのみんなで役場にいく。私は机に向かったり町に飛び出したりしながら、毎日地域通貨のお仕事をする。17時半には仕事を終えて、みんなで車に乗って峠をこえて家路に着く。
そのとき毎日みる夕日が綺麗で、綺麗で、
紫やオレンジやピンクや青や、いろんな表情を同時に見せてくれる圧倒的な大自然に包まれながら一つの小さな生き物として誇らしげに生きるような感覚だった。何もしなくても生きる喜びが内側から溢れてくる。自分が大きなものに優しく包まれていると感じられる瞬間ほど、幸せなことってないんじゃないかと思う。この瞬間を今、どれくらいの人が感じられているんだろうか。海士を離れて、こんなに豊かな自然が残る場所は全然ないことや、これからますます失われていくことを感じて、自分に何ができるだろうと考えている。
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〜海士町滞在記①大好きなマスターとの出会い、そこにある公民館〜
海士町にきて1ヶ月ほど経った6月のある日、大きな出会いがあった。
地域通貨のことを説明するお店まわりで出会った、「喫茶MG」
これは、喫茶MGに初めて出会ったときに撮った写真。
「喫茶MG」の小さな看板がぶら下がっているけれど外から内側の様子が見えないのがなんとなく入りづらくて、資料を片手にお店の前を行ったり来たり。そのとき、一人のおじさまが窓から顔を出し「どうした、なんか用か?」と話しかけてくれた。私は、見つかってしまった!という気持ちと、声をかけてくれたことの感謝の気持ちで揺れながら、からんからんと鳴る扉を開けて中に入った。声をかけてくれたのは店主のマスターだった。
(ちょっとブレたかわいいマスター)
中に入ってみて驚いたのは、1ヶ月ここに滞在して、「出会ったことのない人たち」ばっかりだったからだ。
イベントやマルシェで出会うのは、移住してきたIターンやUターンの方々や一部の地元の方々だけ。知っている顔が増えてきたと思っていた私は、出会いやすい人としか出会ってきていなかったことに気づいた。
喫茶MGはまるで公民館みたいな場所だと思った。
「〇〇さん、来ないね〜」
「本当だね、大丈夫かな」
(からんからん、と人が入ってくる)
「あ、きたきた!」
「よかった〜!!」
という会話がされていて、身近な人が今日も元気かどうかを確認しあえる場なのだ。
こんな公民館みたいな場。まさに私が創ってみたい場。
素敵すぎて尊くて涙が出そうになった。
それからというもの、私はMGに入り浸るようになった。
話したいことがあってもなくても、とりあえずMGに来て、マスターや常連さん達が元気であることを確認し、目を閉じてレコードや町の人のささやかな会話に耳を傾ける。たまに、好きな人を呼んでパーティをしてみたり。すごく幸せだったな。
今は遠く離れてしまったけど、たまにマスターとは連絡を取っている。すぐには行けなくても、今日もMGが存在しているというだけで、嬉しい気持ちになる。