「歩くことの楽しさ」を教えてもらったこと、可愛くて小さい材木座のこと
2024年4月3日
今から2年半前に鎌倉に来て、材木座住んで、大船に住んで、今はまた別の市に住んでいる。2年ぶりくらいにnoteを開いたら、、、材木座に住んでいた時の下書きを発見した。昔の自分の頭の中や経験していることは今とは別人みたいで、面白い!
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私が11月からお世話になっている鎌倉・材木座のまちは、小さくて可愛い。
おじいちゃんとおばあちゃんがやっている、小さなパン屋さん。素朴な甘さに心があたたかくなる。
商店もいくつかある。風邪をひいてしまったときにみかんを買ったら、お店のお姉さんがニコニコしながら袋に詰めてくれて、お兄さん(多分旦那さん)が「ありがとう」と微笑んでくれた。
建物は低くて、空が広い。夕方、段々と端の方からピンクに染まる。商店やバス停や診療所や美容室が点々とあり、人の暮らしを感じる。冬と春の間の風がすーっと吹き抜ける。夕ご飯のいい匂いがする。
九品寺(くほんじ)の梅。歩いていると、ひょっこりお寺が顔を出すのが面白い。
夕焼けの海に繋がっている、こんなにも小さくて可愛い材木座。
私にまちの面白がり方や愛し方を教えてくれたのは、ゆうさん。
ゆうさんは、広い道よりも狭い小道を好む。
二人で歩いていたはずが、横をみるとゆうさんがいない。振り返ると、小道を見つけたゆうさんが「こっちこっち!」と笑っている。その道を進むと行き止まりだった。「行ってみないと行き止まりってわからなかったね!鎌倉は面白い」と、また笑う。そうか、見通しがよくて行き止まりってすぐわかったほうが効率がいいもんな。私たちは、無意識に効率化された環境の中に住んでいるみたい、と気づく。
突然山に登り始めたゆうさん。私にとっては道なき道に見える、そもそもこの先にいけるとは全く思えない木が覆い茂った中をズンズン進んでいく。ふと、階段があるのを発見する。昔は、神社だったのかもしれない。顔を上げると、長谷のまちが一望できた。すごーーい!!
「便利」な世の中。歩くくらいなら、自転車や車や電車がいいに決まっている。じゃあ、どうしてそっちの方がいいのか?早く着くから?疲れないから?
ゆうさんといると、歩くことがこの上ない豊かなことのように見える。小道を見つけ、その先に大発見がある。自分次第で、世界の捉え方が変わるチャンスがいくつもあって、ちょっと覗いてみることができる。
私はこの世界を冒険することができる!という感覚が、そのまま世界で生きることの喜びに繋がっていくような感じがする。