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これからについて

 眠りにつくまでの所要時間がだんだんと短くなり、遂には一睡もできずに3日目に突入したので、格闘すること3時間後の今、睡眠を諦めた。今日こそはきちんとお薬もらいに行って睡眠と再会したい所存である。

 睡魔と一時的冷戦中なので、これからのことについて考えてみる。これからのことというのは、なにも直近のことに限ったものではなくて、今後5年先、10年先、20年先の自分のことを考えようと思う。ほらよく自己営発本とかで提唱されてるあれあれ。

 かれこれ5年ほど学生という身分で居るが、ここ3年ほど週5~6で働いているから、学生と言うには辛酸を舐めたつもりだし、しかし仕事人と名乗るには甘えが残っているとも思う。仕事ばかりしていると偶に甘えが顔を出してきて、学校行くのなんてやめて働くことに集中したらどう?なんて唆してくる。そうすればもうちょっと睡眠だって摂れるだろうし、学費というお高い出費だって無くなって生活が大分楽になるだろう。でもそうしてしまったら、私はこの身を切るようないつまで続けられるとも知れぬ仕事を、ずっと続けさせていくしかないだろう。それは単に生きるだけが目的なら、比較的容易で、大層なスキルも経験も必要とはしないこの仕事をするのがよいのかもしれない。けれど、言ってみれば他人の替えが幾らでも効くような仕事をしていては、社会的弱者になる可能性が高くなってしまう。もっとも、そんな理由などどうだっていい。唯一重要なのは、自分の生きる目的が、自力でどこまで行けるのか知りたいということだ。

 自分の能力の限界値を知りたいということの中には、できる限り多くの未知のものを知りたい、というのも含まれてる。正直なところ、単なる知識欲だけでこの目的は成り立っている。知ったところで別段それを生かして社会に貢献しようなどとは思わないし、高みまで上り詰められたからと言って自分で事業を起こして名を轟かせたいというのも微塵もそそられない。そんなものはそれを行いたい人が行えばよいものだし、そんな意思が毛頭ない人間がやったところで、それこそ何の生産性もない徒労に終わる。全く以て無駄なことだ。

 だからまあ、高みに上るという目的のために最短なのはきっと、今すぐ無駄な学校など辞めてしまって、自分が最も得意とするスキルで戦っていけばよいのだろう。しかし残念かな、自分はそんな天才ではない。ずば抜けた閃きを持っているわけでもなければ、恐ろしく地道に努力をしていく才能を持っているわけでもない。かの有名な先生は「才能とは99%の努力と1%の閃きに因るものだ。」とおっしゃったそうだけど、それがすべて通ずる真理なら、私の人生はとっくに詰んでいる。まあその言葉自体は一つの真理ではあると思っている。なにはともあれ、才能も無い社会的アドバンテージも生まれ持って無い現状、優先すべきはスキル上げとスタート地点の向上だ。

 スキル上げは言うまでもなく、人より多少は優れていて、かつ自分が最も得意とすることの能力の向上。スタート地点の向上は要するに、生まれ持ってはこなかった社会的アドバンテージを上げること、つまりスタート時(卒業時)に自分の役に立ちそうなことや人を増やすということだ。社会的優位に生まれた人が勝手に授かる財力もコネも知識も、そんなのぜんぶ自力で増やしていけばいい。天才に必要な一つのことに集中して努力する才能は持ってないけど、ありがたいことに知識欲と負けず嫌いは持ち合わせている。無いなら作ればいいじゃないという精神は正しいと思う。

 昔、そんなに努力してどうすんの?上には上がいるし、下には下がいるじゃんと言われたことがある。今だって言外に仄めかされることもある。そんなわかりきったこと、知らないような温室育ちだと思ってんのかってぶちまけたくなる。そんなの百も承知だ。悔しいほど実感したことも、実感させられたこともある。もうやめてしまいたい、楽になりたいなんて何千回も泣いた。それでも、それでもみっともなく意地汚く足掻くのは、まだ辛うじて自尊心が残ってるから。プライドが諦めることを許さない。ただそれだけだ。何回叩き落されてもその度に這い上がろうとするのは、そのなけなしのプライドを捨てないためだ。プライドが高すぎる?そんなの褒め言葉だ。

 とまあ、いろいろ吐き出せてすっきりしたから勉強に戻る。
 自分のために足掻き続けろ。


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