見出し画像

コンプレックスと私らしさの話。

こんにちは、りあと申します。
今日は少し重い話をしようと思います。私のことについて。


 でもそんなに身構えずに読んで欲しいなと思います。きっと、誰しも一度は共感できる瞬間があると思うので。

 話の前にひとつだけ。これからお話しする中で、私の体の一部が写った写真が出てきます。グロテスクな写真などではありませんが、見たくない方は気をつけてください。



 私には、コンプレックスがありました。
 生まれつき私は腕の毛だけが濃く、それがずっと嫌でした。先天性のものなので遺伝なんだと思いますが、写真のように腕だけ長い毛が生えていたんです。


この写真は最近撮ったものですが、幼少期からほとんど変わっていないと思います。

 周りと違うことに気づいたのは小学生の時でした。休み時間によく上級生の先輩と校庭でサッカーをして遊んでいたのですが、半袖で遊んでいたので腕の毛を見られたんだと思います。その先輩からは「毛深」と呼ばれ、笑われるようになりました。それがきっかけで、自分の腕を出すことが怖くなり、先輩も怖くなりました。私は体が小さいほうで、体格の大きな先輩に言い返すことはできませんでした。かと言って、休み時間にサッカーに入れてもらえなくなるかもと思うと、先生にも言うことはできませんでした。

 先輩からそのあだ名で呼ばれ続けていたことは親にも言いませんでしたが、時々自分の異常な腕の毛については親に言うことがありました。
「なんでこんなに腕に毛が生えてるん?気持ち悪くて嫌や。」
すると父親はよく、
「男らしくて良いやん。」
と言いました。当時は、あだ名で弄られている辛さも知らないくせにと思いながら、釈然としないまま父の言葉を受け入れていました。

 結局腕の毛はずっと弄られ、生まれつきだと言っても信じてもらえず、中学校に進学してもたまに弄られることがありました。


 その頃から私が他人を見る目が少し変わりました。他の人も言ってないだけで、本当は気持ち悪いと思っているのかもしれない。教室で飛び交う笑い声やひそひそ声も、もしかしたら自分のことなのかもしれない。酷い時はそんなことを思うこともありました。

 そんなことがあって、中学2年のころにちょっとした鬱になりました。何もかもがどうでも良くなって、消えたいと思うこともありました。辛くて消えたいというよりも、何も楽しいと思えず、生きる価値がわからないといった感じで。目に光がなく、感情が無になっていたような気がします。その時は偶然出会ったとある小説が私の救いになりました。この本についてはいつか紹介します。
 
 高校からは弄られることはなかったものの、そもそも全く楽しくなかったので、暗黒の3年間だったように思います。コロナが流行したのもこの頃だったこともあり、高校からやり直したいなとたまに思うことがあります。

 大学に入ってシェーバーを買った時、私が真っ先に剃りたいと思っていたのは腕の毛でした。これが諸悪の根源、これさえなければとずっと思っていたもの。私に憑いた呪いのようなもの。

 だけど、剃った後どこか心に穴が空いたような気持ちになりました。ずっと大切にしていた物を失くしたような、そんな感じがしました。笑われたり弄られたりしながらも、20年くらいまでずっと剃らずに隠していた自分の腕の毛に、恨めしさと相反するように、心なしか愛着のようなものをどこかで感じていたんだと思います。

 育った環境は人それぞれだし、私のコンプレックスなんて大したことじゃないように思う人もいるでしょう。でもそういったものは一人ひとりの心の中に有するもので、他人と比較しても意味がない。私のコンプレックスは私にしか抱えられないもので、私らしさでもあると思うようになりました。あの時父が言ってくれた、他の人と違っていてもいいという言葉が、今では分かる気がします。


 少し話が脱線しますが、私が人の目を気にするようになってから、自分の顔も気にするようになったことがあります。人の整形については、本人が満足していればいいと思いますが、私はしないだろうなと思います。直したいところはいくつもありますが、私らしさを傷つけることはしたくないからです。私は私のことをまだ好きにはなれませんが、受け入れるしかないなと踏ん切りをつけるようにはなりました。今までのように周りに隠すのではなく、むしろ受け入れて、自分らしさをどんどん出していきたい。今ではそう思います。


 読んで頂きありがとうございました!あなたの抱える悩みも、もし良ければ教えてくださいね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?