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表現はその人の生き方。人生はアート。だから上手い下手じゃない

いつでもどこでも行けた・何にでもなれた、あの頃を想い出した

「本当は小さい頃、楽しいことがいっぱいあったはずだよ。こう言いながら私が泣きそうだけど」

先週、仲間のスピリチュアリストさんであり、同じくアート活動でも繋がっている“ゆひゃん”さんにリーディングしてもらった際、そう言われました

“そうだった”、“そうかもしれない”

お話を聞きながら、そんな想いがじわじわと心の中に響き始めました

近頃、過去を手放そうと無理をし過ぎていたかもしれない

ブロックとなっている感情や記憶に気付いているのならば、

まだ見たくない・怖い・辛いという思いでさえ、感じることを認める必要があるんだったな、と、そう思いました

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ピュアで無垢で明るい少女時代から随分変わってしまった、と思っていたけれど

数年前、奇跡的にみることが出来たVHS(家庭用ホームビデオ)の荒い画面に映る小さな私は、

楽しそうに「お父さん、見て!空がきれいだよ」

と言っていました

そのとき、あぁ良かった私は私なんだ、と思ったのを覚えています

そういった記憶を持つことさえ、放棄しようとしていたのかもしれない

忘れようとしていたのかもしれない

エネルギーと創造力のなかで、

いつでも・どこへでも・なんにでもなれた自分は、今もここにいるはず

そんなことをぼんやりと感じました。

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翌日、わたしはよどみなく小説を書いていました

10代以降は、何十作も書いては途中で力尽きていましたが、

とめどなくアイディアが溢れ、書き続けていた自分がそこにはいました。

久しぶりの感覚でした。

私の根源にある自由な表現、

ただ単に楽しい!と思う表現をすればいいのだな。

改めてこの気付きに至るまでには、少しばかりのストーリーがありました

【表現することは、傷つくこと】という思い込み


私は演劇でプロを目指していた時期がありました。

しかし、それはもう、どちらかというと修行でした。

我慢強かった私は、良くも悪くも【もうこれ以上はできない】というラインまでやり切ろう、と、今思えば自分をかなり精神的に追い込んでいました

惨めな想い、悔しい想い、理不尽な思いも死ぬほどしてきたけれど、

自由な世界であるはずの表現の世界がこんなままで良いわけがない!ともはや謎の正義感から闘いモードへ。

そのときの経験と、元々の自己表現への苦手意識も重なって、

(意外かもしれませんが自己表現が苦手だったからこそアートに助けられてきたのです)

傷つくこと🟰自己表現すること

はしない方がやっぱりいい!!と無意識に思ってきたのかもしれません。

(絵を描くことへの抵抗はあまりありませんが、それ以外の自己表現には恐れがつきまとっていました)

それでも演劇は大好きだったので、プロへの道を断念したときは、半分ホッとしながらも、内心ぐしゃぐしゃで、泣きながら企業説明会へ向かいました笑。


“評価されること、否定されることが怖くて充分に表現しきれない”

プロの世界関係なく、日常の自己表現の場でもそんなひとたちがきっと沢山いるのだろう、と思います。

表現が平均から逸脱すると、変人という枠に入れられてしまったり、

あふれる内面の思いがあるに関わらず、上手く表に出せなかったり。

私のように、自分の中の

【アートをやる本当の動機(自分らしく居られる場所はここしかない)と、表面的な動機(芝居を通して多くのひとの人生を生きたい)】

の違いを見分けられず、何だか分からないけど苦しい、悩んでいる、という人たちも沢山いるのだろう、と。

((特に日本では表現すること自体ハードルが高いですから、そこで認められることやその場所にいることで「特別な存在」であることに固執してしまうケースもありますよね。

そして知名度をあげたいという思いから活動に励んでいる人も多いように思います。

それ自体が悪いことだとは思いませんが、では、何故そんな思いを抱えているのか?本当は何がしたいのか?自分と向き合う必要がありますね。

本心とアート活動の動機のギャップに気が付かず苦しんでいる人をたくさん見ました。私も含め、ね))

でも、それが悪いことだとは思いません。そのなかで考え、感じ、訓練し、成長するプロセスがそこには必ずあるからです。

それはアートに限らず。
どんな道だとしても、本気でなにかに取り組むことは、本当に素晴らしいこと。

少し話が逸れましたが、

誰もが表現者。上手い下手じゃない。表現はその人の生き方だから。

だから今思うことは、

人間が内側にある自分を表現したとき、それは【得手不得手かかわらず】立派なアートであり、尊重されるべきだということ

それはアート作品にせよ、そうでないものにせよ【その人への評価/ジャッジにはならない】ということ

ドロドロしたところもキラキラしたところも、すべて含めて自由に表現することがわたしたちには許されている。それこそが美しさである、ということ。

どのように表現するかで、その人が歩んできた道のりが見える

その人自身を感じられる

だから私は、人生は私たちが創り出す最大のアートであると思っています。

湧き出た内面の表現がそのひとらしくあればあるほど、

そこに魂のエネルギーが強く出ていれば出ているほど、

そのエネルギーに魅せられ、同調するひとたちが、集まっていくのでしょうね

さて、私たちの表現には何が待っているんだろう

あなたは人生のキャンバスに何を描きますか🕊

Shall we create together?

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