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3月に取り残される

動物番組でよく目にする捨てられ、人間不信になった犬たち。些細な音や光に震え怯え慌てて薄暗いケージの隅へと戻る。動物にも表情があるのかは知らないが、明らかに困惑し不安な顔つきの彼ら。
今の僕はきっと彼らと同じだ。

新年度が始まり、煌びやかに桜は散ってゆく。僕は1人部屋で悶々とする日々を送っている。自分で選んだこの孤独だが、いやはやなかなかの辛さがある。

微々たる変化や相違に不安を煽られすぐさま音楽というケージに逃げ込む。有線のイヤホンを両耳に挿し、世の中の音をかき消す音量で音楽を聴く。ただひたすらに、その状況に耐えるために、思考を無理矢理停止させるために、音楽を聴く。

カメラロールには楽しげな3月の僕が。
そんな僕に伝えよう。

3月の君が想像していたより、遥かに4月は眩しいです。みんなは大きな一歩を踏み出しました。
とても大きな一歩です。

でも君はまだその一歩を踏み出す必要はないんだよ。半歩、いやもっと小さな歩幅でいい。どんなに小さく僅かなものでもいいから、3月から出ておいで。その笑顔のままで出ておいで。焦らずゆっくりでいいんだ。あの犬たちだっていつかはケージの外に出るんだよ。

3月と4月の間に横たわる境界線は、ときには高い壁となり、ときには深い谷となる。僕はこれをどう越えようか。

未だに模索中だが、確実に言えることがある。
対岸はある。

どんなに大きな境界線があろうとも、3月の先には確実に4月が存在している。先に進めば見えるものがある。その見えるものが何かはまだわからないが、とにかく僕は、僕が3月から脱出する算段を立てるんだ。立てなくてはならない。できれば桜が散って無くなってしまう前に。

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