コーヒーの記憶 ー家族の暗号ー
家族には、自分たちでは意識していないけれど、その家の中でだけ伝わる、暗号のようなコミュニケーションがあると思っています。
わたしはコーヒーが好きなのですが、自分とコーヒーとの出会いの記憶をたぐると、ほんとうに小さな4、5歳の頃。
無類のコーヒー好きで、寝る前にも濃いブラックコーヒーを飲む母。
夕食後に「ハナちゃん、コーヒー淹れて」と言う父。
ふたりを見て、当時のわたしははっきりと思ったのです。
「性格も好みも、生き方も全然違うふたりだけど、コーヒーが好きなのは一緒なんだなあ」と。
その後、いろいろな変遷があった家族ですが、わたしの家族の情景の中には、いつもコーヒーの香りがあります。
美味しさのわからなかったコーヒーも、10歳くらいには牛乳をたっぷり入れて飲むようになって、今でも朝はコーヒーがないと!というくらい好き。
気がつくと、10代の頃はコーヒーを飲まなかった姉も、家に遊びにいくと「コーヒー飲む?」と義兄の分と一緒に3人分を淹れてくれます。
思い返すと、姉の旦那さんも、初めはそんなにコーヒーを飲む人でなかったような・・・。姉の子どもたちも、いつかコーヒーを好んで飲むようになるのかもしれません。
コーヒーは、わたしの家族の中では、何かおなじものを分かち合ったり「あなたを気にかけてます」という「暗号」なのだなと思います。
我が家の場合はコーヒーでしたが、こういう「暗号」は、子どもの頃の原体験や親との関係性を見ていくと、それぞれの家族の形で出てきます。
忙しくても、夕食後には、必ず家族みんなで果物を食べる。
家計がギリギリでも、洋服はこぎれいなものを揃えて、翌朝のためにたたむ。
ふだんは仕事で家にいないお母さんだけれど、仕事が休みの日にはオムライスを一緒につくってケチャップで絵を描く。
etc.・・・
当人たちにはあたり前の日常で、何も感じていないこともあります。でも、もう少し掘り下げてゆくと、その習慣には祖父母の影があったり、両親の間でのかつての暗号があったり、言葉にはしない愛情表現があったりします。
その暗号をどう読み解くかは、自由で正解はないのですが、そこにあった暗号でのコミュニケーションに気づくと、自分の中の家族像も、親との関係性も、(時には旦那さんやパートナーとの関係も)大きく変わっていきます。
そして、自分が子どもの頃から背負っていた、「役割」や「思い込み」から、自分を解き放ってくれるということも起きます。
そこはミラクル!
自分の生き方のハンドルを自分の手にとり戻すって、こういうことなのだと、感じさせてくれます。
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