本音の缶詰をあける
やりたいことがあるのに、なぜか向き合えてない。
休日は休日で、あれもこれもしないと・・・
でも、いざ時間ができると浮かんでくるのが
「わたし、本当はどうしたいんだろう?」
自分のことなのに、自分でもわからないって、考えてみたら不思議なのだけど、ほんとにあるのです。
人の本音を引き出す仕事をしているにも関わらず、わたし自身が「自分の本音がわからない」という状況に陥ることは、今でもしょっちゅうあります。(相当年季が入ってます)
それも、自分にとって大切なこと、現状を超えていくのに必要なことであればあるほど、固く閉じられた缶詰のような本音の前で立ち止まってしまうのです。
「わたしきっとこれがこうでこんな気持ちなんだ、だからイライラしてるんだ」と、表面的にはわかる。
のだけれど、スッキリしない。
「きりかえよう!」と気分転換したり、ポジティブなことを考えても、やっぱりスッキリしない。
本音の周辺をうろうろしている感じです。
残念なことに、どんなにもやもやして悩んでも、複雑な心境を無理にポジティブに切り替えても、そのこと自体に努力賞が与えられることって、ない・・・
でも、もやもやな状況もいよいよ煮詰まってきて、
「よし向き合おう!」と覚悟を決めても、机の上のノートに向き合ううちに、なぜかぼおっとしてきて眠くなってしまったり、
「あの人に相談してみよう」とお願いしても、少し前から体調がおかしくなったりする・・・・
それくらい、わたしたちの無意識が、本音を知るのを恐れてるのだと思います。
「その缶詰、開けちゃダメだよ!!」と呼びかけている。
でもほんとは、開けたら、スッキリなのです。
心の奥にどしりと鎮座していた缶詰が、そのしまい込んでいた歳月のぶん重たく黒光りしているように見えるだけ。
この本音の缶詰を、しまい込んで生きていくこともできるけれど、その存在と重たさを感じるようになってきたなら、ほんとは開けてほしい!というサイン。
そんなタイミングは人との出会いとともにやって来ます。
鍵となる人が、じっくり向き合って、「あ、ここよ、ここ!」とプルタブを引いてくれた時に、缶詰はパカっとひらくのです。
繰り返しになりますが、開いたらほんとに軽くなるのです。
わたしには、最近、ほんとはもうひと山越えないといけないタイミングがありました。
でも自分ではすっと表面的に理解して通り過ぎようとした時に・・・、待て待て待てと缶詰をプシュッと開けてもらって、びっくり。
そこにはこんな思いがあったのかと、ほろりと涙が出てしまいました。
見たくなかった本音は、大事なメッセージでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?