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誰かの運命とすれ違うとき
ほとんどの人が、生涯に何度か体験する「不幸」を経験しました。
そのこと自体は、まだ感情も気持ちも生々しくて、言葉にしづらいのですが、
そんな時ほど、たまたまその時間や場所を共有してくれた人の、人としての生身のあたたかさを、ひりひりするくらい感じます。
わたしたちは、社会や場所の一定のルールの中で生きている。でも、その中で、一人ひとりが持っている生き方や観念が、行動やあり方、言葉として、浮かび上がってくる、という感じでしょうか。
安全には最新の注意を払いながら、「お急ぎのようでしたので」と静かに急いで送り届けてくれたタクシーの運転手さん。
ルールがあるので「OKです」とは言えないけれど、目でうなづいて、姉たちに、LINE電話で最期の間際の姿をみせるのを見守ってくれた看護師さん。
「ちゃんと泣いたり悲しんだりするんだよー」と明るくも暗くもなく、忙しい合間に、淡々とおだやかなメッセージをくれた、知り合ったばかりの友人。
型として存在する挨拶だけではなく、「言葉にならない」とそのままの思いを伝えてくれたり、表情だけで思い遣ってくれるのが、こんなにも心しみることなのだとも、あらためて・・・
そういえば、海外でコロナにかかって苦しんでいた時に、いちばん寄り添ってくれた言葉が「I'm thinking of you. (あなたのことを思っているよ)」でした。
元気づけるのでも、何か意味を見出させようとするのでもない。
さびしさや哀しさはそのままに、ただその人の場所で思ってくれることが、こんなにも力になるのだと、知ったのです。
誰かの運命の分岐点にふれる、とっさの瞬間ほど、自分がふだんどう生きているかが出るのかもしれません。
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どんな人なのだろう?
思い出いっぱいの
田んぼの畦道にて
誰かの運命とすれ違うとき
あなたはどんな人でありたいですか?