目線が外れると手放せる
ほんとは〇〇ってわかってるのに、ついこういう行動とってしまう!
これやめた方がいいかもなのに、いろいろ考えると無理だと思う・・・」
なんて経験ありますか?
「手放す」という言葉を、毎日のように眼にするくらい、わたしたちは
いつの間にか身に付けてきたものや今持っているものが、無くなることに
恐れを感じます。
わたしも、小さなことから大きめなことまで、いっぱい執着があります。
でも最近、ずっと手放せなかった、行動や習慣やプライドが、するっと離れていくということが、立て続けにありました。
(もちろんまだまだ、残っているものもたくさんあります)
そのとき何が起きていたか、というと、目線が外れたのです。
どうやって目線が外れたかというと・・・
ひとつは質問です。
「そもそもあなたは・・なの?」という直球の問いかけを受けて、原点に戻ったとき、「あ、これ惰性だわ、執着になってるー!」と気づいたんです。
もうひとつは、未来の想像。
ネガティブバージョンでは、
「これでこれでこうなってわ、このままだと何も変わらないまま、こうなっちゃう・・・」と気づいたとき、
「こんなことしてる場合じゃない!」とそれまで死守していた習慣が、急にどうでもよくなりました
ポジティブバージョンは、
「うわ、これやりたい」となったときに、今の人生の中でそれを叶えるには?と逆算したら、もう時間の使い方を変えるしかないと腹をくくりました。
目の前の小さな動きや人の反応、短いスパンでの損得勘定から、大きく視線が外れたんです。
これってけっこう日常でも起きていて、
「運命の人はこの人!他の人は考えられない」と思ってたけど、別のすてきな人が現れたらいきなり薄れていったとか
「このままでは3年後にまずい!」と想像してぞっとしたら、今までのパターンを捨てる覚悟が決まる、とか、
あると思うのです
そうすると、「手放せる」というより、自然と「手離れ」ていきます。
そこに向かうために何が必要で何がいらないか、目的が決まると、不要なものが手離れていきます。
ただ、自分の言動のパターンとか、考え方の癖は、抱えているときは、腕の中にあることにも気づかないのがやっかいです・・・
だからこそ
「このままの人生じゃほんとはつまらない!」とか
「もっとときめく人生を生きたい!」というときには
自分のいきたい方向を一緒にみつめて、
目をそらしてあっちを向いていたら、ぐぐぐっと押し戻してくれる人が必要だなあと思います。
行きたい方向は生きたい人生
あなたは、どんな人生をいきたいですか?