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観劇日記 ラブネバ編①

1/22マチネ公演でラブ・ネバー・ダイを観劇しました。アンドリュー・ロイド・ウェバー版の『オペラ座の怪人』の10年後を描いた物語です。実はまだあとチケットが2枚残っているので、とりあえず①ということで…。続編があるかはわかりませんが…(笑)


あらすじ&キャスト

あらすじ

あのオペラ座の怪人事件から10年後、ニューヨークのコニーアイランドが舞台です。そこにあるファンタズマというサーカス小屋?見世物小屋?には、かつてオペラ座にいたジリー親子(マダム・ジリー&メグ・ジリー)がいます。実はファントムは生きていて、マダム・ジリーが彼をアメリカに逃がしたのです。彼の音楽の才能のために献身するジリー親子。しかしどうやら怪人はクリスティーヌのことを忘れられないようです。そこへ、とあるオペラハウスの杮落しで歌うため、クリスティーヌがアメリカへやってくるという知らせが舞い込みます。夫ラウル、息子グスタフを伴ってアメリカにやってきたクリスティーヌ。ところがかつてあんなにキラキラしていたラウルはこの10年の間にすっかり変わってしまっています。酒浸りでいつも不機嫌、ギャンブルにはまって借金まみれ。そしてそんな彼を献身的に支えるクリスティーヌ。音楽の才能にあふれる息子グスタフ。彼らがコニーアイランド、ファンタズマで再会し、何が起こるのか…。
(初めてあらすじを書いた割には上手いのでは??←自画自賛すぎ)

キャスト

私は田代万里生さんが好きなので、万里生さん目当てでチケットを取っているのですが、本当に素敵なキャストの皆さんです。

キャスボです

万里生さん、2幕頭の『何故愛する?』を本当に伸びやかな声で歌っていて、ああやっぱり似合うなあと感動していました。声が甘やかだからこその切なさが見え隠れしますし、何より表情が私の好みです。ああいう感じの切ない顔に惹かれるんです。それから小南さんのメグがキュートで、ずっとキュンキュンしてました。終盤に変貌する様があまりにもゾクゾクさせてくれました。いや本当に私好みだったんです、あの可愛さも、そしてあの辛そうな表情も。

ストーリーについて思うこと

ラウルについて

ラウルについて1番気になるポイントは、グスタフが自分と血が繋がっていないということに気付くのは本当に怪人に言われてからなのかということです。
正直、そもそもなんで酒浸りなの?ギャンブル依存なの?というところからです。本人の話によれば、クリスティーヌの音楽を理解してあげられないこと、自分が音楽家でないことへの引け目、そしてそのせいで酒やギャンブルに溺れて彼女を不幸にしているという事実、そこから逃れるために次の酒次の酒と手を出しているようです。でも納得できません。そんなことは結婚する前からわかっていたことです。類稀なる音楽の才能を持ち、オペラ座のプリマドンナの代役を簡単に務められるくらいの歌手クリスティーヌ。対する自分は、若きオペラ座のパトロン。傍目に見れば十分釣り合っていますし、ラウルが実際芸術を解するかどうかに関わらず、世間は別にそこまで彼に冷たくしないでしょう。一体どうしてそんなプレッシャーを抱えてしまったのか。第一に考えられるのは怪人への嫉妬。クリスティーヌもどこか怪人を忘れられないような素振りでもしたのでしょうか。それともなんとなく勘づいてしまったのでしょうか。自分が彼女にとってのthe angel of musicになれないという事実に打ちひしがれてしまったのかもしれません。どんなに愛しても、どんなに支えても、1番ではないのかと。第二に考えられるのは、世間はもしかしたら冷たかったのかもしれないということです。どこかのタイミングで彼が音楽を解さないことがバレてしまったら。あの天才歌手に釣り合わないと噂されるのかもしれない。たとえバレなくても、もしそうなったら?という被害妄想に苦しんだのかもしれない。
かくして酒浸りとなったラウルですが、私は、なんとなく彼はグスタフの出生の秘密を知っているような気がします。本当に怪人に言われて初めて気付いたとは思えないのです。グスタフが音楽の才能を有していることは彼も知っているはずです。そしてその才能がどこかあのファントムに似ていることも。だからこそ彼の孤独は深まったのではないかと。家族の中で自分だけが違う存在だという思い。でも愛する人たちの音楽の翼を折りたくないという気持ち。けれどもその孤独に耐えきれずに結局折ってしまう自分の弱さ。どこにも居場所がないと思ってしまったのかもしれません。自分の存在を自分ですら認めてあげられなくなったのかもしれません。
このくらいしんどくないと、子爵家が傾くほど借金まみれになるなんて考えにくいですよね。そもそも彼は若くしてオペラ座のパトロンになれるほどはお金持ちなんです。それが借金まみれなんて、さすがにやりすぎです…(苦笑)

ジリー親子へ

ジリー親子に言いたいことがあります。お母ちゃん、娘のことを見てあげてよ。ちゃんと愛しているなら、ちゃんと愛していると伝えてあげて、認めてあげて。大切だともっと早く言葉で伝えてあげてよ。
実際のところ、最後にメグが自暴自棄になったのは、自分は誰にも認められていない、怪人に愛されない自分に価値はないと思い込んでしまっていたからだと思うのです。怪人に認められたいと願う母。その願いを叶えたいと思う娘。その関係の中で、怪人に愛されないと母にも愛されないんだと思い込んでしまった娘。でもマダム・ジリーはそんなこと関係なく、ちゃんと娘としてのメグも愛していたみたいです。それが態度にもっと出ていれば。もっとあなたのことが大切よと言葉にしていれば。そして何より、怪人のためという言葉で娘にあんなことをさせなければ。防げたはずの悲劇だったのに。と思うわけです。
メグにも言いたいのは、気持ちは分かる。とってもよくわかる。自分の価値が認められなくなった時、とても視野が狭くなって、思い込みが激しくなって、今自分から見えている世界の解釈が絶対で全てだと思ってしまうけれど、そうじゃなかったんだねってこと。ラウルにも言えるかもしれませんが。実際、メグが消えた!と騒ぎになった時、怪人だけがメグの行き場所を知っていました。あの時バーで聞きかじったから覚えていただけなのか、はたまた実はちゃんとメグのことも見守っていてくれたからなのか分かりませんが、私は後者だと思いたいです。メグが「私はこんなことまでしたのに!」と言った時、彼はとても驚いて悲しそうな顔をしたから。怪人だって、自分がジリー親子に支えられていることに気付いていたし、メグのこともきちんと見守っていたのだと信じたいです。そうじゃないと悲しすぎる。

ファントムへ

ファントムさん。あなた、10年前にクリスティーヌに言われたこと覚えてますか。真実の美しさは外見ではなく心にあると。なのに、なのにまだ外見が醜いことに囚われてるんですか…?クリスティーヌとの交流の中で何を学んだんですか?結局何も変わってないんですか?
彼こそ本当につらい生い立ちなのはわかる。でもさ、クリスティーヌはあなたの外見を毛嫌いしたりはしなかったでしょ?差別もしなかったでしょ?愛を与えてくれたんでしょ?何を学んだんだ。いい加減にせい!と思いましたね。

おわりに

ラブネバ、すごい心に刺さったんですよ。弱さを前面に押し出したキャラクターにとても共感できたから。メグやラウルがすごく愛おしかった。逆にクリスティーヌやファントムにはあんまり共感できなかった。自分が追い込まれたとき、視野が狭くなるとき、自暴自棄になるとき、そして死んでしまいたいくらいみじめでつらいとき。誰かのための努力が全て無意味と知ってしまったとき。自分の生きていく価値が突然消え去ったように感じるとき。愛しているのに優しくなれないとき、理想の自分になれないことに絶望して、さらに悪くなってしまうとき。生きていく中で、多かれ少なかれそういう瞬間が訪れるんだと思います。人によって、重さも、タイミングも違うけど。狂ってしまう方が楽だと思ったり、消えてしまう方が良いんだと思ったり。何か溺れられるものに溺れてすべてを忘れ去る努力をして、でも変わらない現実に打ちひしがれて。でも生きている。それって愛おしいなと思います。いつかそうやって生きてきた過去の自分を愛おしいと思えるようになるのでしょうか。メグやラウルのことを愛おしく思うのと同じように、過去の自分も認めてあげられるのでしょうか。

個人的にはミュージカルはキラキラハッピーで終わるほうが好みなんですが、久しぶりに心にずんっと刺さったので、長文&時間をかけてまとめてみました。


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