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阿Q正伝|魯迅|※ネタバレ注意※
「阿Q正伝」は、中国の文豪魯迅によって1921年に発表された短編小説です。この作品は20世紀初頭の中国社会を背景に、主人公阿Qの悲喜劇的な人生を通じて、当時の中国の社会問題と人々の精神状態を鋭く批判しています。阿Qは教養がなく、貧しい農民で、自尊心が強いにもかかわらず、常に社会の底辺に位置しています。彼の最大の特徴は「精神勝利法」と呼ばれる自己欺瞞の方法で、これにより現実の苦境から逃避し、自尊心を保とうとします。物語は阿Qの日常生活、他の村人との交流、そして最終的に彼が革命に巻き込まれて処刑されるまでの経緯を描いています。阿Qの悲惨な運命を通じて、魯迅は当時の中国社会の後進性、封建的な価値観、そして民衆の無知と愚かさを痛烈に批判しています。この作品は、単なる一個人の物語を超えて、中国社会全体の縮図としての役割を果たしています。阿Qという人物像を通じて、魯迅は読者に自己反省を促し、社会の変革の必要性を訴えかけています。
```mermaid
graph TD
A[阿Q<br>主人公] -->|嫌悪/恐れ| B[趙太爺<br>地主]
B -->|雇用/蔑視| A
A -->|好意/欲望| C[呉媽<br>女中]
C -->|拒絶/軽蔑| A
A -->|対立/競争| D[小D<br>使用人]
D -->|対立/競争| A
B -->|雇用/支配| C
B -->|雇用/支配| D
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classDef aQ fill:#ffcccc,stroke:#ff0000,stroke-width:3px,color:black;
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class A aQ;
class B zhao;
class C wu;
class D xiaod;
```
第一章 序:阿Qの正伝を書く困難
一の一:正伝執筆の決意と困難
私は長年阿Qの正伝を書こうと考えていたが、度々躊躇した。不朽の筆は不朽の人を伝えるものだが、阿Qを伝えようとすると思考が霞み、結論が曖昧になる。この朽ちやすい文章を書くにあたり、まず文章の名目という困難に直面した。
一の二:正伝の名称選定
伝記の名称には列伝、自伝、内伝、外伝など多くあるが、どれも適さなかった。列伝は正史に排列すべきではなく、自伝は私が阿Q本人ではない。外伝は内伝がなく、内伝は阿Qが神仙ではない。別伝も適さず、家伝も血縁関係が不明確。結局、「正伝」という名称を選んだが、文体が下卑ているため僭越な感は否めない。
一の三:阿Qの姓名の不確かさ
阿Qの姓が何か分からない。一度趙姓を名乗ったが、すぐに否定された。趙太爺に叱責され、村人からも出鱈目だと言われた。結局、阿Qの本当の姓は不明のままだ。
一の四:阿Qの名前の表記方法
阿Qの名前の正確な表記も不明。生前は「阿Quei」と呼ばれていたが、死後は誰も言及しなくなった。阿桂や阿貴の可能性も考えたが、確証がない。最終的に、洋字を用いて「阿Q」と表記することにした。
一の五:阿Qの出身地の不明確さ
阿Qの原籍も不明。姓が確定できないため、郡望の旧例も適用できない。未荘に長く住んでいたが、他所に住むこともあった。「未荘の人也」とするのも史伝の法則に反する。
一の六:正伝執筆の限界と展望
唯一確実なのは「阿」の一字のみ。他の詳細は学識の浅い私には突き止められない。将来、歴史考証に長けた学者が新たな端緒を見出すかもしれないが、その時には阿Q正伝は消滅しているかもしれない。
第二章 優勝記略:阿Qの人物像と精神的勝利法
二の一:阿Qの素性と生活
阿Qは姓名も出身地も不明確な人物だった。未荘の人々は彼を使役し、からかうだけで、彼の経歴に興味を示さなかった。阿Qも自分の過去を語ることはなかった。彼は土穀祠に住み、定職はなく、日雇い仕事をこなしていた。仕事の内容は、麦をひく、米を搗く、船を漕ぐなど多岐にわたった。
二の二:阿Qの自尊心と偏見
阿Qは非常に自惚れが強く、未荘の人々を見下していた。彼は自分が以前は裕福だったと主張し、城内に何度も行ったことを誇りにしていた。しかし、同時に城内の人々の習慣も批判的に見ていた。例えば、腰掛の呼び方や料理の作り方の違いを指摘し、未荘の方法が正しいと考えていた。
二の三:阿Qの容姿と他人からの嘲笑
阿Qの頭には多数の瘡蓋のある禿げがあり、これが彼の弱点だった。彼は「癩」に関連する言葉を嫌い、そのような言葉を聞くと怒り出した。未荘の人々は彼のこの特徴を利用して、「明るくなってきた」などと言ってからかった。阿Qは怒りの表情で対抗しようとしたが、効果はなかった。
二の四:精神的勝利法の発明
阿Qは度々喧嘩に巻き込まれ、負けることが多かった。しかし、彼は独特の「精神的勝利法」を編み出した。例えば、子供に打たれても「子供に打たれただけだ」と自分に言い聞かせ、自分を「虫ケラ」と呼ぶことで精神的な優位を保った。この方法により、阿Qは常に自分が勝者だと感じることができた。
二の五:博打と挫折
阿Qは時々博打をしていた。彼は大声で賭けをし、多くの場合負けてしまった。ある祭りの夜、彼は珍しく勝ち続けたが、突然の喧嘩で全てを失ってしまった。この経験で初めて挫折を味わったが、最終的には自分の顔を平手打ちすることで、再び精神的な勝利を得た。
第三章 続優勝記略:阿Qの虚栄と屈辱
三の一:趙太爺との関係による阿Qの地位向上
阿Qは趙太爺から叩かれた後、自分が趙太爺の父親になったと思い込み、優越感に浸った。この出来事以降、村人たちは阿Qを特別扱いし始めた。
未荘の習慣では、名の知れた人物との関わりがあってこそ評判になる。阿Qが趙太爺の本家だと言って打たれたことで、村人たちは阿Qを尊敬するようになった。これは、聖廟のお供物のように、一度聖人の手が触れれば粗末にできないという考えに基づいていた。
三の二:虱取りをめぐる王鬍との喧嘩
ある春の日、酔った阿Qは王鬍が虱取りをしているのを見かけた。阿Qは王鬍を馬鹿にしていたが、並んで座り、自分も虱を探し始めた。しかし、王鬍の方が多くの虱を持っていることに嫉妬した阿Qは、王鬍を侮辱した。
これがきっかけで喧嘩が始まり、阿Qは王鬍に辮子を引っ張られ、頭を壁に打ち付けられた。これは阿Qにとって生まれて初めての大きな屈辱だった。阿Qは世間の噂で皇帝が登用試験をやめたために趙家の威風が落ちたのかと考えたが、そんなことはありそうもないと思った。
三の三:偽毛唐と若い尼との遭遇
その後、阿Qは錢太爺の息子(「偽毛唐」と呼ばれる)に出会った。この息子は日本留学から帰国後、辮子を切っていたため、阿Qは彼を嫌っていた。阿Qは彼を侮辱したが、杖で叩かれるという二度目の屈辱を味わった。
しかし、阿Qはすぐに気を取り直し、靜修庵の若い尼に遭遇した。阿Qは彼女を侮辱し、身体に触れた。酒屋の人々の笑いに乗せられ、阿Qはますます調子に乗った。最後に尼は泣きながら阿Qを呪ったが、阿Qは得意げに笑った。この一連の出来事で、阿Qは先の屈辱を忘れ、すっきりした気分になった。
第四章 恋愛の悲劇:阿Qの女性観と欲望の顛末
四の一:勝利者の心理と阿Qの特異性
勝利者は通常、強い相手に勝つことで歓喜を感じ、弱い相手には無聊を覚える。また、全てを征服した後は孤独を感じるものだ。しかし阿Qにはそのような欠乏感がなかった。これは中国の精神文明の優越性を示すものかもしれない。
四の二:阿Qの変化と女性への執着
若い尼との出来事後、阿Qは変化を見せ始める。土穀祠で眠れず、指先に尼の脂が粘りついた感覚に悩まされる。「女!」という思いが頭から離れなくなり、子孫を残す必要性を考え始める。これまでの「男女の区別」を厳守する態度が大きく揺らぐ。
四の三:阿Qの女性観と社会批判
阿Qは元来、女性を害悪とみなし、特に尼や外国人を嫌悪していた。彼の考えでは、歴史上の多くの騒動や破壊は女性が原因だった。普段から「男女の区別」を厳守し、異端を排斥する正気があったはずだった。しかし、三十歳になって若い尼に魅せられ、その態度が一変する。
四の四:趙家での出来事と呉媽との遭遇
ある日、阿Qは趙家で米を搗く仕事をする。夕食後、台所で煙草を吸っていると、女中の呉媽が現れる。呉媽との会話で、阿Qの欲望が刺激される。突然、阿Qは呉媽に対して不適切な行動をとる。呉媽は驚いて逃げ出し、騒ぎとなる。
四の五:制裁と追放
阿Qの行為は趙家の人々に発覚し、秀才に竹の棒で打たれ、追い出される。阿Qは痛みと恥辱を感じながら、土穀祠に逃げ込む。村全体に事件が知れ渡り、阿Qは社会的に孤立する。
四の六:村役人との交渉と罰則
村役人が仲裁に入り、阿Qに厳しい条件を提示する。趙家への謝罪、道士を呼んでの祓い、趙家への出入り禁止、呉媽への責任、賃金放棄などの条件を受け入れさせられる。阿Qは経済的にも大きな損失を被り、自尊心も傷つく。
四の七:賠償と結末
阿Qは棉入れを質に入れて賠償金を工面する。趙家では謝罪の品を別の用途に流用し、阿Qの上着は赤ん坊のおむつや呉媽の靴底に使われる。阿Qは残ったわずかな金で酒を飲み、自暴自棄になる。
第五章 生計問題:阿Qの窮乏と窃盗への転落
五の一:阿Qの窮状と社会的孤立
阿Qは破れ袷を身に着けて街に出るが、未荘の女たちに忌避されるようになる。五十歳近い鄒七嫂までが彼を避け、十一歳の女の子を呼び込む様子に、阿Qは不思議を感じる。馴染みの家々を訪ねるが、どこでも男が出てきて乞食を追い払うかのように「無いよ無いよ」と手を振る。阿Qは状況の変化に困惑し、怒りを覚える。
五の二:小Dとの闘争と阿Qの没落
阿Qは自分の仕事を奪った小Dに遭遇する。「畜生!」と罵る阿Qに対し、小Dは「俺は虫ケラだよ。いいじゃねぇか」と応じる。二人は辮子を掴み合い、錢府の白壁に映る藍色の虹形となって半時間ほど格闘する。見物人たちは「いいよ」「よし、よし」と声をかけるが、二人は耳に入らない。結果は引き分けとなるが、この一幕は阿Qの社会的地位の低下を象徴している。
五の三:飢えと寒さに苛まれる阿Q
夏の訪れを感じさせる暖かな日であっても、阿Qは寒さを感じる。腹は減り、蒲団も帽子も上衣もない。棉入れを売ってしまえば褌以外何も残らない。破れ袷一枚では金にもならず、街で拾うお金の予定も実現しない。阿Qは食を求めて外出するが、見慣れた酒屋や饅頭屋を素通りする。彼は何を求めているのか、自身にもわからない。
五の四:靜修庵での窃盗と逃走
阿Qは靜修庵の菜園に忍び込む。菜種や芥子菜、青菜は食べられそうにないが、大根畑を見つける。四本の大根を引き抜いて著物の前に隠すが、尼に見つかってしまう。阿Qは言い逃れをしようとするが、番犬の黒狗に追われる。垣を跨いで逃げる際、人も大根も垣の外へ転げ落ちる。阿Qは大根を拾いながら小石を集めるが、狗が追って来ないのを見て石を捨てる。
五の五:窃盗後の自省と城内行きの決意
逃げ切った阿Qは歩きながら盗んだ大根を噛む。この行為は彼の道徳的な堕落を示すとともに、極度の窮乏状態を物語っている。三本の大根を食べ終えると、阿Qはこの村にはもう見込みがないと悟る。彼は最後の選択として、より大きな機会があるかもしれない城内に行くことを決意する。この決断は、阿Qの生活がさらなる変化を迎えることを予感させる。
第六章 中興から末路へ:阿Qの一時的な栄華と急激な転落
六の一:阿Qの驚くべき帰還
中秋節直後、阿Qが未荘に帰ってきた。彼の姿は以前とは大きく異なっていた。新しい袷を着て、腰には重みのある大搭連をつけ、酒屋で銀貨と銅貨を見せびらかしながら酒を注文した。未荘の人々は、この変貌ぶりに驚き、敬意を示すようになった。酒屋の番頭も、阿Qに対して丁重な態度で接した。
六の二:城内での経験と自慢話
阿Qは、城内で挙人太爺の家で働いていたと語った。未荘の人々にとって、挙人太爺は高名な人物であり、その家で働いていたというだけで尊敬に値した。しかし、阿Qは挙人太爺を「馬鹿者」と呼び、もう働く気はないと豪語した。さらに、城内の人々の習慣や行動を批判し、未荘の人々には見たことのない首斬りの様子を自慢げに語った。彼は聴衆を前に、革命党処刑の様子を生々しく描写し、周囲に恐怖と驚きを与えた。
六の三:未荘での新たな地位と評判
阿Qの評判は瞬く間に未荘中に広まった。女性たちは彼から安価な衣類を買おうと群がった。鄒七嫂が阿Qから購入した絹の袴や、趙白眼の母親が買った子供用の瓦斯織の単衣の話が、女性たちの間で噂になった。趙家でさえ彼を呼び寄せ、品物を見せるよう要求した。趙太爺は阿Qに対し、今後良い品があれば真っ先に自分に見せるよう命じた。
六の四:阿Qの真相露呈と急激な没落
しかし、阿Qの栄華は長続きしなかった。彼の本当の姿が明らかになったのだ。実際、阿Qは小さな泥棒の手伝いをしていただけだった。彼は垣根を越えることも穴に潜ることもできず、ただ外で見張りをしていた。ある夜、仲間が家に侵入した際に大騒ぎになり、阿Qは恐怖に震えて逃げ出し、夜通し歩いて未荘に帰ってきた。この経験から、二度と泥棒をしないと誓ったという。
この真相が明らかになると、村人たちの態度は再び変化した。以前のような敬意は消え、代わりに「敬して遠ざかる」態度に変わった。村役人は彼の持ち物を没収し、毎月の上納を要求するまでに至った。阿Qは再び村の底辺に追いやられ、かつての栄華は夢と消えてしまったのだった。
第七章 革命:未荘の動揺と阿Qの幻想
七の一:挙人老爺の船到着と村の混乱
宣統三年九月十四日の深夜、趙屋敷の河添いの埠頭に大きな黒苫の船が到着した。翌朝、この船が挙人老爺のものだと判明し、未荘に不安が広がった。昼前には村全体が動揺し、様々な噂が飛び交った。
多くは革命党の入城を恐れた挙人老爺の避難説を唱えたが、鄒七嫂は単なる荷物預かりだと主張した。しかし、革命党に関する噂は拡大し、白装束の革命党が城に入ったという話まで出回った。挙人老爺と趙家の和解説も浮上し、村の不安は増大していった。
七の二:阿Qの革命への態度変化
阿Qは以前から革命党を嫌悪すべき存在と考えていたが、名高い挙人老爺の恐れる様子や村人の慌てぶりを見て、興味を抱き始めた。近頃生活費に窮していた阿Qは、内心で不満を募らせていた。酒の影響も相まって、革命に好意的な考えを持ち始め、自身も革命党になったような錯覚に陥った。
七の三:酔った阿Qと村人たちの反応
阿Qは街中を歩きながら革命を宣言し、村人たちの恐れる様子に快感を覚えた。趙家の人々の前を通る際も、彼らの不安な問いかけに高慢な態度で応じ、自分の優位性を誇示した。彼の言動は村全体に不安と緊張をもたらし、趙家の親子は長時間相談し、趙白眼も貴重品を隠すなど、村人たちの動揺は増していった。
七の四:阿Qの夜の妄想
その夜、阿Qは土穀祠で革命の妄想に浸った。革命軍が村に来て自分を誘う様子、村人たちを支配する場面、財宝を奪い取る光景、女性たちを品定めする様子などを想像した。彼は自分が権力を握った世界を夢想し、村の重要人物たちへの制裁や財産の略奪を思い描いた。しかし、これらの妄想の最中に眠りに落ち、夢と現実の境界が曖昧になっていった。
七の五:靜修庵での出来事と阿Qの取り残され
翌日、阿Qは靜修庵を訪れ革命を宣言しようとしたが、老尼から革命は既に終わったと告げられる。趙秀才と錢毛唐が先に「革命」を行い、靜修庵の皇帝を讃える札を壊したことを知らされた。実際には、二人は革命党の城内入城を聞いて急遽同盟を結び、この行動に出たのだった。
さらに、観音様の前にあった宣徳炉も紛失していたことが判明した。この話を後から聞いた阿Qは、自分が取り残されたことを悔やむが、同時に自分はすでに革命党の一員だと考え、慰めとした。この出来事は、阿Qの革命への幻想と現実の乖離を浮き彫りにし、彼の立場の不安定さを示すこととなった。
第八章 革命を許さず:阿Qの挫折と未荘の変容
八の一:未荘の表面的な平穏と潜在的な不安
未荘の人々は日々安静を取り戻していった。噂では革命党が城内に入ったというが、特に大きな変化は見られなかった。知県の名目が変わっただけで、挙人老爺の新しい役職も不明瞭だった。兵隊の到来は珍しくなかったが、不良分子による内部の騒乱が懸念された。特に辮子を切られる危険があったため、人々は城内に行くことを控えるようになった。阿Qも友人に会いたいと思っていたが、この状況を聞いて断念せざるを得なかった。
八の二:未荘の小さな改革と阿Qの追随
未荘でも些細な改革の波が押し寄せ、辮子を頭に巻き込む者が徐々に増加した。最初は茂才公、次いで趙司晨と趙白眼、そして阿Qがこれに続いた。秋の終わりにこのような変化が起こったことは、辮子を巻き込んだ人々にとって大きな決断だったと言える。阿Qは秀才の真似をして辮子を頭の上に巻き込み、勇気を出して外出した。しかし、人々の反応は期待外れで、阿Qは不快感を覚えた。
八の三:阿Qの不満の増大と小Dへの怒り
阿Qの生活は以前よりも幾分改善されていたが、彼は革命後の変化に失望を感じていた。人々は彼を見ると遠慮し、店では現金を要求されなくなったが、阿Qはこれで満足できなかった。特に小Dが同じように辮子を巻き込んでいるのを見て激怒した。阿Qは小Dを懲らしめたいと思ったが、結局大目に見ることにした。この頃の阿Qは怒りっぽくなっており、革命に対する期待と現実のギャップに苦しんでいた。
八の四:趙秀才の自由党加入と阿Qの焦燥
城内に入ったのは偽毛唐だけだった。趙秀才は辮子を切られる危険を避けつつ、偽毛唐を通じて自由党に加入した。銀のメダルを手に入れた趙秀才は、未荘の人々の驚嘆を集めた。これを見た阿Qは自分の立場に焦りを感じ、革命党に加入する方法を模索し始めた。阿Qは自分の知っている革命党員が限られていることに気づき、偽毛唐に相談することを決意した。
八の五:阿Qの革命党加入失敗と挫折
阿Qは偽毛唐に会うため錢家を訪れたが、冷遇された。偽毛唐は黒い洋服を着て銀メダルを付け、ステッキを持っていた。阿Qは革命党への加入を願い出たが、洋先生に追い出されてしまった。この出来事は阿Qに大きな打撃を与え、彼は自分の前途が閉ざされたように感じた。白鉢巻、白兜の人々が彼を迎えに来るという希望も失われ、阿Qの抱負や志向は一瞬にして消え去った。
八の六:趙家の掠奪事件と阿Qの複雑な心境
ある夜、趙家が掠奪されるという事件が起きた。阿Qは小Dから情報を得て、現場近くまで行った。しかし、実際に行動を起こすことはできず、ただ遠くから様子を窺うだけだった。白鉢巻、白兜の人々が物を運び出すのを見て、阿Qは複雑な思いに駆られた。結局、何もせずに土穀祠に戻った阿Qは、自分が呼ばれなかったことや分け前がなかったことに怒りを感じた。彼は偽毛唐を激しく罵り、自分が革命に参加できなかったことへの憤りを爆発させた。
第九章 大団円:阿Qの最期と社会の反応
九の一:阿Qの逮捕
趙家の掠奪事件から4日後の深夜、未荘に軍隊、自衛団、警官、探偵らが到着した。彼らは土穀祠を包囲し、機関銃まで設置する大規模な作戦を展開した。阿Qは捕らえられ、城内へ連行された。
阿Qは壊れかけた役所内の小屋に押し込められた。そこには既に二人の囚人がいた。一人は古い地租の未納者で、もう一人の罪状は不明だった。阿Qは自分が捕まった理由を尋ねられ、謀反を企てたからだと答えた。
九の二:初めての尋問
大広間での尋問で、阿Qはくりくり坊主の高官や長い着物を着た役人たちと対面した。彼は緊張のあまり立てず、膝をついたまま質問に答えた。高官は優しく接し、全てを白状すれば許すと言った。しかし、阿Qは趙家襲撃の仲間について問われても、自分は呼ばれなかったと主張するのみだった。
九の三:供述書への署名と処刑の決定
二日目の尋問で、阿Qは供述書への署名を求められた。しかし、彼は字を知らなかったため、丸を書くよう指示された。阿Qは必死に丸を書こうとしたが、筆を上手く扱えず、歪な形になってしまった。
その夜、挙人老爺と少尉の間で阿Qの処遇を巡る議論が起こった。挙人老爺は盗品の回収を重視したが、少尉は見せしめの処刑を主張した。結局、少尉の意見が通り、阿Qの処刑が決定した。
九の四:処刑への道
三日目、阿Qは白い袖なし上衣を着せられ、手を縛られて引き回された。車の上で、彼は初めて自分が処刑されるのだと気づいた。最初は動揺したが、次第に人生とはこのようなものだと諦めの境地に達した。
群衆の中に呉媽を見つけた阿Qは突然羞恥心に襲われた。彼は最後に何か言おうとしたが、適切な言葉が見つからなかった。結局、二十年経てば全てが過ぎ去るという意味の言葉を半ば呟くのみだった。
九の五:最期の瞬間
阿Qは群衆の視線に恐怖を感じた。彼は以前出会った狼の目を思い出し、さらに恐ろしい眼差しを群衆の中に感じ取った。それらの視線は彼の魂に食らいつくようだった。最後の瞬間、彼は心の中で助けを求めたが、すぐに意識を失った。
九の六:社会の反応
処刑後、最も影響を受けたのは挙人老爺だった。盗品を取り戻せなかったことで家中が嘆き悲しんだ。趙家も多額の懸賞金を失い、革命党に辱めを受けたことを嘆いた。
未荘の人々は阿Qの処刑を当然のことと受け止めた。悪人だから処刑されたのだと考えた。一方、城内の人々は阿Qが最期に歌も歌わず静かに死んだことに不満を感じた。彼らは、もっと劇的な最期を期待していたのだった。
この事件を境に、趙家を含む一部の人々の間に旧体制を懐かしむ気質が芽生え始めた。社会全体が大きな変化を経験する中で、人々の意識も複雑に変化していった。