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2009年の松本山雅の軌跡を今さらだけど暑苦しく語ってみる。

【はじめに】


松本山雅FCの試合会場に行くとホームでは必ず目にする一番大きな段幕
「雷鳥は頂を目指す」
それは国の特別天然記念物であり長野県の県鳥でもある高山帯に棲む雷鳥は、通常は歩いて移動するという生態が知られており、そこから「一歩一歩山頂(Jリーグ)へと登っていこう!というサポーター発のスローガンです。
現在試合ごとに活動しているのは三代目で、この写真のが初代になります。
頂の字のへんにJリーグのロゴを当てているのが当時の私達の目指している「頂」がJリーグそのものだったことを物語っていますよね。

これから書くのはこの「初代雷鳥ダンマク」とチームがまだJリーグの手前のまた手前、社会人リーグの北信越であがいていた時代の話。
2009年のことです。
過去の山雅のことを知っている、遡ったことのある方ならご存知かと思いますがあのドキュメンタリー映画「クラシコ」が撮影された年で、
『あれは山雅が昇格する前提で撮られたんだ』みたいなことを聞いたりしますが、
撮影開始時点でスケジュールとして決まっていたことは「12月にアルウィンでJFLへ昇格を賭けた決勝大会が行われる」ということのみで、参加チームは未定。
当然のことながら資格がなければ地元でありながらエントリーは叶わず指を咥えて見送るだけ、なんてこともガチで全然ありえたのです。
実際8月2日にレギュラーシーズンを終えた結果、北信越リーグ4位だったので、この時点までだと屈辱的な「お見送りルート」でした。


それでもご存知の通り最終的にホームで大勢の地元市民に見守られJFL昇格という実にめでたく、あの多幸感あふれる絵になったのですが、その過程は危なっかしくて
いつ崖下に落っこちてもおかしくない細い山道を駆け抜けるような日々でした。
そこらへんの話を残しておきたくてこれまでも機会をみてはやってきたつもりですが、改めて連続性を持たせて書いてみようかと思いついた次第です。
もしよろしかったら読んでくださいませ。
澄山シン

2019年3月、雷鳥ダンマク三代が揃い踏みした日に撮影

【そもそも全国地域サッカーリーグ決勝大会へ参加できる資格とは?】

JFLへと昇格できる唯一の関門全国地域リーグ決勝大会(通称地決)
2009年の大会では16チームで争われ
社会人リーグである全国各地の地域リーグ
北海道・東北・関東・北信越・東海・関西・中国・四国・九州
以上9つのエリアのレギュラーシーズン優勝チームがまず権利を獲得。
山雅が属する北信越からは混戦を制し優勝したジャパンサッカーカレッジのみが進出決定。

それ以外の残されたチームが自力で権利を得るためには「敗者復活ルート」となった全国社会人サッカー選手権大会(通称全社)からの(最大で)2枠を目指すことになります。
最大で、と書いたのは上記のようにすでに権利を持っている地域リーグの優勝チームが全社でも勝ち残った場合はリーグ戦の権利が優先されるためです。

山雅を主語にすると北信越で優勝出来なかったので、地決へは全社からの2枠に滑り込む以外に道はなく、
つまり連日の試合をどんな形でも負けた時点で昇格への道が消滅してしまう、崖っぷちの一本道を駆け抜けなければならない難しいタスクでした。

実際過酷ではありますが、シーズンの結果から巻き返すのはこのくらいの事を乗り越えないとならないって訳ですね。

なお、それ以外の出場枠についてはその年ごとに変わるので割愛させてください。
興味のある方は以下を!⇓

【ぶっちゃけ山雅、どうだったの?】

ぶっちゃけヤバかったです。
もちろん悪い方向の意味で、ですよ
当時のレベルを簡単にかつざっくり例えるなら
全国各地9つのリーグの横並びで9リーグ×4位までのチーム=社会人サッカー内で36位タイってことです。
直接対決が出来ないから強さの比較は出来ないけど、
全社という全国の有力チームが集まる大会を勝ち抜くような強かさは夏までのチームからは感じていませんでしたし
まあ年末の全国の強豪チームとトップオブトップを争う地決に行けるとは到底思えませんでしたよね。
でも結果的には勝ち取れたんだから相当奇跡っぽいことを起こせたんだと思います。

【2009年の社会情勢は?】

前の年に起きたリーマンショックからの世界同時不況で暗いニュースが多かったですよね。

個人的にもそれまでいた勤めていた工場から3月で契約満了を伝えられ求職活動に入ったものの、ハローワークの雇用保険受給説明会が松本の勤労者福祉センターのホールで行われぎっしりだったり求職活動に行っても駐車場はいっぱいロビーの長椅子は満員でそこにいる職員さん含め、だれもがウンザリ顔でいたのを覚えています。
この年で人生のルート変更を余儀なくされた方も多いんじゃないでしょうか?
まだ記憶に新しいコロナ禍の時のような個人ではどうにも抗えない時代の波、みたいなのって時々ありますよね・・・

そんな社会情勢はみんなの心の拠り所である山雅にも影を及ぼします。
有り余る時間で平日行われている練習見学に行くと「あれ?今日もひま?」みたいな感じで景気の悪い仲間たちと見学がてら会話してると
「こんな感じが続くとエプソンさんや他のスポンサーさんからだって支援してもらいにくいよなぁ」「縮小されちゃうよな、今だって対して露出ないのに」
「予算出せませんって言われても仕方ないよなぁ」

「そういやニュースでやってたけど松本空港の定期便廃止になっちゃうみたいじゃん」「どーすんだよせっかく新しくしたばっかなのに空き家ってさぁ」「なぁ・・・」「まぁ人さまの心配できる身分じゃねーけどな」
と笑うネタもシニカルな日々でしたねぇ。

その後松本空港は空き家にはならずFDAが就航してくれて、これが山雅の昇格と合わせて「久しぶりの良いニュース」として県内メディアに歓迎されたのが地元民としても嬉しかったです。
先ごろ引退した山雅グリーンの色鮮やかな機体が発着のをアルウィンから眺めるのはなんとも誇らしい気持ちになったものです。

松本市公式サイトより

【脱北信越を賭けて】

話を山雅に戻してここからは戦績順に書いていきます。
すでに書いたように山雅がJFLへと昇格するために残されたルートはたった一本の全社勝ち抜きのみ。
北信越はすでにシーズン終盤に入ってはいたけどその先の全社も見てレンタルも含めて選手を獲得をしていました。
元々いた柿さんこと柿本倫明、タクちゃん・アベタクこと阿部琢久哉や今年からクラブの取締役社長になったオザッシュこと小澤修一や経験豊富な北村隆二らに加えて
横浜FCから若くテクニックのある中田健太郎などがレンタル加入して選手層の充実を図りました。

さてチームの浮沈を賭けた全社へ!なのですが、いきなり全国大会にはエントリーはできずその手前に北信越地区大会を勝ち抜かねばなりません。
脱北信越!の前にその地区を制さねばその先に進めないもどかしさ・・・
いや手順としては正しいのだけど、その混戦具合を評して「地獄の北信越」と異名をつけられた力の接近したチーム同士の対戦は予断を許しません。
手の内を知る同士の対戦はやりにくく、
できれば避けたいところなのですが、優勝をジャパンにかっさらわれた山雅・ツエーゲン金沢・長野パルセイロの3チームが「全社賭け」でいわば足を引っ張り合う状態になっていました。
そしてこの北信越大会からの千葉県市原市で行われる全国大会への枠は「3」

もしも大会結果でこの3枠の一角に北信越を優勝したジャパンが入ることがあれば、はじき出されたチームはその時点でその年の道が途絶えます。

大会は本戦と同じく連日の連戦。
この年はお盆の14、15、16日に新潟県新発田市を会場に熱戦が行われたのです。


あまり社会人サッカーを知らない人からすると「プロじゃないから成果はそこまで求められないでしょ?」「家族や同僚に見守られて牧歌的なんでしょ?」と想像するかもしれませんが、真逆で限られたリソースでキツイ日程で酷使され、かつ結果を求められる状況でした。
応援してる我々も「無茶させんなぁ」と思ってはいてもこの修羅場を抜けなきゃその先もないんで必死で食らいついていきましたねぇ。

そんな北信越・全社の準決勝、勝てば3枠以内確定の組み合わせは
長野パルセイロとの信州ダービー。
この日勝たなきゃ次の相手は相性の悪いジャパンか北信越最終節に負けたツエーゲン金沢と最終決戦です。
どっちともやりたくないけど目前のパルセイロも簡単な訳ないじゃないです。
でも何度も書くけど勝ち抜かないと先がないならどんな道だろうと突き進むしかないですよね?

その試合の様子は録画でテレビ松本さんが放送してくれたのがありますので、お時間のある方はどうぞ⇓

前半立て続けに失点し2点のビハインド。
しかも連戦を考慮した40分ハーフでのゲームです。
ヤバい。今日消耗して明日なんて・・いや目の前のことだけやりきろうや!
そんな事をハーフタイムに話してた、ような気がしますが
兎にも角にもシーズンでは感じられなかった底力を見せて後半3点を取り返して逆転勝利で道を繋ぎました。
チームの大黒柱、柿さんが最後のゴールを決めた瞬間の沸騰具合は
いきさつを知らない人が見たら「なにかに優勝したんじゃねーか」くらいの高温でしたが笑
まぁとにかくドラマチックな勝利です。

そして翌日の決勝戦はツエーゲン金沢と。
試合前に「もう権利は持ってるけどさ、目に見えるタイトルを勝ち取ったらアイツラも自信持てるし、いい流れもこっちに来るんじゃね?」
と意気込んで対峙したものの0−2で敗戦。

まんまスコア通りの内容に少し不安になりつつも帰路につきました、がお盆とあって高速道路が渋滞でヘロヘロで松本に着いたのを覚えています。
もの好きにも大会を取材された木次さんというライターの方の記事が残っていますのでこちらもあわせてどうぞ!⇓

こういうのって今となっては本当に貴重なレポートですよね!
木次さん、そしてゲキサカさんありがとうございます!

【天皇杯県決勝で再び信州ダービー、その行方は】

もうリーグ戦は終了しているため残った公式戦は目指す全社と天皇杯。
勿論天皇杯に進んだとて目標のJFLへの道はないものの貴重な実戦、ましてやメディアに取り上げられる機会がまだ少ない社会人サッカーにとってハレの場、なによりも負けちゃならねぇ信州ダービーです。
上記の全社・北信越での前回対戦からあまり間もない半月後、8月30日の対戦も再びもつれた展開に。

これもテレビ松本さんのニュース映像が残っていますのでどうぞ⇓

両者無得点のまま延長に入り絶体絶命のPKを与えてしまったものの、GK原のセーブ!
その混戦から怒涛のカウンターを発動、今度はゴールエリア近くでFKを獲得しキッカーを務めたのはシーズン途中加入しすぐに定着、その後もチームがJ1に至るまで活躍し、現役引退後の現在もクラブに貢献している鐡戸裕史が見事に決めて勝利と県代表を勝ち取りました。
際どいながらもレギュラーシーズンには見られなかった勝負強さが自分たちのものになりつつある手応えが本物になってきている、そんな気配を感じました。
それにしてもこの一連のプレーの結果が勝敗を分け、天皇杯でのあのアマラオ要する一回戦FC刈谷に勝利、そして二回戦浦和レッズをホームアルウィンに迎えて歴史的なジャイアントキリングに繋がるとは紙一重とはいえ「勝負のあや」の怖さ面白さをまざまざと実感させられます。

個人的な想いとしてはこの浦和がアルウィンにやってくる天皇杯のトーナメント表を知ったときに『ちょっと嫌だな、やりたくないな』と感じたのを覚えています。
決して負けるのが嫌だとかではなく、逆に絶対に燃えるし盛り上がるじゃないですか。負けたとしてもね。誰にとってもいい経験じゃん?
なによりも地元に対しては「山雅がJリーグに行けばこんな感じですよ」
サッカーファンで浦和を目当てに来た層には
「松本にアルウィンが、サポーター擁する山雅あり」というアピールができる格好の場になる事は間違いない。

でもそこに面白そうな、ある種の祭りにエネルギーを注ぐあまりにその後に控えている、地味だけど大事な大事な全社の大会に疲労やモチベーション不足を持ち込まないで欲しかったんです。
選手たちも、そして周囲の僕たちも。
前年度のベルマーレ平塚に勝ったものの、その後に遠征した全社の大会で試合ごとにテーピングだらけの、それでも連日闘って目標に届かなかった、あの悔しさ歯がゆさを繰り返したくはなかったのです。

【全社という毎日一発勝負の鉄火場へ】

てっか‐ば〔テツクワ‐〕【鉄火場】
ばくち場。賭場とば。
もしかすると「スポーツとギャンブルを混同するとはけしからん!」と怒られるかもしれませんが、球技である以上対戦する両者の素の実力の他に『運』の要素が必ずつきまといます。
ボールがラインを割るか割らないか、ほんの僅かな差がプレーを続行させるか一旦切れるのかそれが勝敗の分かれ目になる。
もしかするとそれを左右するのはその時吹いた一陣の風なのかもしれない。
実際にスタジアムではない街の片隅にある吹きさらしの起伏のあるグラウンドでも公式戦を行う社会人リーグでそんな場面を何度か目撃しています。

そこにあるのは運としか言いようのない偶然性、だけどこれが「今シーズンのすべての結果に繋がる大会」「来シーズンのカテゴリを自力で切り開けるチャンス」となれば無視はできません。
特に昨年の失速や上記のように社会的な不景気で今年に賭けたい、ジャイキリしただけじゃ終われないよな、等々の思いが積み重なるとみんななぜか信心深くなって神社にお参りなんか始めちゃったりして。
後で話せば笑い話ですが「やれることは惜しみなく!」はみんなの共通認識だったと思います。

さてそんな風な準備期間?を経て
本当にひとつも落とせない、落としたら即シーズン終了の全社が始まりました。毎日が崖っぷちの連戦です。
この年の会場は千葉県市原市、比較的松本からも来やすく、そして首都圏とあって「ジャイキリを起こした噂の山雅」を見に行ってやろうかというサッカーファンの方も多く訪れていましたね。

ここまででおなじみのテレビ松本さんで放送された番組から切り出した映像で三日目まで⇓

希望というか願望では連戦のこの大会、当然体力を温存しつつ勝ちに徹していきたいのは山々でしたが
もう二日目には延長戦、三日目には延長で決まらずPK戦まで行ってギリギリの勝ち上がり。
どの試合も何度か負けを覚悟しかかりましたが辛くも生き残れた
、という感じです。
チームとしての強さ、というよりも生き残るんだ!明日に繋ぐんだ!という意識がチームにも平日にも関わらず思い詰めた顔で駆けつけた我々サポーターにも充満していたと思います。
でもやっぱりのちに振り返ると「負けて終わってたかも」が一番色濃かったのはここです。
連戦を勝ちっぱなしで駆け抜けるって絶対運も味方にしないと叶いませんからね。そこはやっぱり助けられた場面あっただろうなぁ。

この会場では観覧席がないグラウンドだったのでピッチサイドで選手たちと同じ目線に立っての応援でした。
本来私達のような多くの観客を想定していない大会で、それでも大会を運営されている皆さんは入れ替えの導線など配慮していただきチームの応援をさせて貰ったことを本当に感謝しています。

で、ここまでの大会のハイライトとして語り継ぎたいのは
やはりPK戦の「5人目のキッカー」でしょう。
阿部琢久哉選手、前の年の最後のゲームになった鳥取での地決最終日にやはりPK戦で最後に外してしまったタクちゃんが勝負を決する場面でまた出てきたのです。
ピッチサイドの僕たちは一瞬驚き、直後に本当に真剣に「頼む!入れ!」と願いました。
結果、難なく成功させ勝ち上がり。
しかしあの痺れる極面で蹴るって蹴れるって・・・すげえ心臓だね!
と仲間たちと安堵と喜びを爆発させたのでした。
木次さんの記事によると本人もやっぱり気にしていたようですが笑


そしてこの日の結果でベスト4が決まりました。
翌日からはメイン会場である市原緑地運動公園臨海競技場に戻り
準決勝そして決勝戦を同会場で行います。

生き残った4チームの準決勝は
長野パルセイロ(北信越2位)対松本山雅(北信越4位)
ツエーゲン金沢(北信越3位)対tonan前橋(関東2部2位)
もう一度この大会から地決への出場枠を記しておきますと「2」
つまり四日目の勝者2チームがその先へ生き残り、
負けた2チームは順位決定戦へと回るのみ。
とんでもなく痺れる展開でこの年5回目の信州ダービーです。

ここまでの対戦結果は山雅の2勝2分けですが、どのゲームも接戦でした。
そして「ここまで負けてないから」といって誰も侮ってはいませんでした。
むしろここまできて最後に負けて長野に先行を許すことはここまでの結果を無に帰してしまうことになります。
それだけ「重い試合」になることは間違いなく
「ぜってー向こうはペース握るためになりふり構わずやってくるよな」
「なんかやってきてもカッカしないでこうぜ」
などと仲間たちと話し解散したのでした。

そうなんです、その日の試合会場にはそれぞれバラバラに集合して勝ち残ればまた翌日現地集合です。
しつこいようですが毎日DEAD or ALIVEを土曜日を振り出しに最大で水曜日まで繰り返すのが全社という大会なのです(社会人の大会なんですよ?)

まぁ私は前記のように失業中なので迷惑をかける相手はいませんでしたが、お金もありませんでしたので連日道の駅などの駐車場をお借りして車中泊で滞在していました。

カーオディオを地元のFMに合わせて何度か試合会場の周辺を通ると元は知らなかった土地にも馴染んできて土地勘みたいのも生まれてきたりします。
何人かいた車中泊組同士で「あそこにホームセンターあったぜ」とか「公営の入浴施設」「スーパー銭湯の場所」や「泊まりやすい道の駅」「飯屋情報」を教え合ったりしてね。
観光するほどエンジョイはしない、頼まれた仕事なのかと問われれば勝手に来てるだけのなんとも公にはし難い旅ですが
「寝ても覚めても毎日応援」ってある意味サポーターにとっては、やり甲斐しかない日々でもありました。
嗚呼、筋肉痛と喉がれと金欠の日々よ!笑
そんな日々の中で生まれた面白エピソードもいくつか記憶に残っていますが、長くなってしまうのでここで披露するのは控えておきましょう。

【全社で北信越同士の決着戦】

いよいよ夏以降目指してきた地決出場権まであと1勝。
再びの信州ダービーで一歩でも先んじた方が地決へ、そして全国リーグであるJFLへと大きく近づく事ができる大一番の日。
バックスタンド側の開放と横断幕の設営の許可がおりたと聞き僕たちの気持ちはより一層昂ぶりました。
「あの噂のパルテノン神殿で思いっきりやれるのか!」
通常なら柱が多く死角がある評判の良くないエリアもプラス思考です。
工場地帯のため少し気になる臭いのする空気だってなぜだか自分たちの後押しをしてくれてるように錯覚します。
『なんか、勝てる気しかしねぇ』口に出さずとも確信して臨んだ準決勝。

戦前の予想をあっさりと裏切る形で先制に成功し、それ以降も精彩を欠く相手にほとんど主導権を渡さず勝利し大目標だった地決出場権を勝ち取り決勝戦進出!夢へと大きく前進しました!
天皇杯での格上撃破以降に注目し始めた方ならこの結果に「そりゃ実力上不可能じゃないよね」という感想を抱くかもしれませんが、8月までの歯がゆさの方が多いチームも知っている人間からすると「どこかでまた噛み合わなくなる日があるんじゃないか」のおそれの気持ちが残っていました。
一戦一戦が「もしかすると次のが今年のメンバーでやれる最後の試合かも」
毎回そう内心思っていました。
そのおそれにも似た気持ちがみんなの中にあったから、選手たちもサポーターも本来の実力を超えたものが出せれたのかもしれません。

そして翌日の決勝戦。
対戦相手は同じく地決の権利をこの大会で得たツエーゲン金沢です。
北信越予選と同じカードの再現がまた全国大会で、です。
前回は完封されましたがここでは?

⇑は宇都宮徹壱さんによる大会レポートです。

前日と大きくスタメンを変えた山雅が北信越ライバル対決できっちりリベンジを果たし2009年の全社優勝チームに!
8月2日の北信越リーグ最終節でまったくいい所を見せれずに「クラシコ」の中ではまるちゃんを呆れさせ途中で帰っちゃったあの相手がツエーゲンです。因縁の仲ってありますよね(今も続いてますね)
その試合、当然私達は帰っちゃうわけには行かないので応援を続けていましたし、優勝はないけどなにか希望めいたものを期待していたのに
「こんなんで全社はおろかアルウィンの地決、出れんの?」と先行きに大いに不安を感じた
あの日から二ヶ月半後、ここまで自信が漲っている選手たちと歓喜できるとは!

動画の中の表彰式の場面で新中選手が受け取っていたトロフィーですが先日松本市立博物館のロビーで行われている「信州ダービー展」で展示されていました。
実をいいますと私がこのnoteを記し始める後押しをされたのがこの展示なのです。
残り期間いくらもありませんが機会がありましたらぜひ!

2009全社優勝トロフィー

大きな土産を手に入れて地元に戻って来たチームと僕たちを歓迎してくれたのはサポーターたちや働く選手たちを送り出してくれた各企業のみなさん、そして地元メディアでした。
あの天皇杯以降、山雅の動向が伝えられる機会が増え、ニュースでは「今後どうなったら昇格できるのか」などの説明を流してくれるようになってきました。それがいよいよ本格化してきたのです。
それ以前とは比べようもない大きな露出に戸惑いながらもせっせと録画する毎日。
いつだか当時のチェアマンが松本で行われたイベントの際に「チームが強くなきゃいけないのは当然だけど、観客・サポーターも、地元自治体も、メディアも一緒になって盛り上がって、そして上がってきてください。Jリーグは待っています」そんな風に言われたのが現実味を帯びてきたな、と相変わらず自分の職探しの方は停滞していましたが気持ちは充実していました。

【続く破竹の快進撃 そしてRoad to Alwin最終章】

ここまで書いてきたような社会人クラブにとってアマチュアカテゴリーのトップ、全国リーグであるJFLへと昇格へ向けての大会「全国地域サッカーリーグ決勝大会」へ、そのスタートラインに着くことさえ難しい事は余程そこに興味を持つか、実際当事者になってみなければ知り得ないと思います。
そんな全国からの出場チームはいわばライバルであるとともに「昇格を目指した同期生」でもあります。
ここに一次ラウンドにたどり着いた16チームの組分け表を残すことで敬意を表しておきたいと思います。

第33回大会出場チーム・組分け表

11月21・22・23日で各グループ内対戦し90分内の勝者に勝ち点3、延長戦は行わず同点の時はPK戦を行い勝者に勝ち点2、敗者には勝ち点1が与えられ、各グループの1位のみが決勝ラウンドに進む事ができる。

3年連続3度目の挑戦となる今回はその決勝ラウンドはホーム・アルウィンで開催される事が決まっています。
何がなんでも過去と同じような敗退はできませんでした。

一抹の不安もなかったか?と問われれば勝負の世界なので油断や怪我は心配でしたが、
全社を制した今のチームの実力と結束は揺るがず3試合とも危なげない運びでグループを悠々と1位通過を鳥取の地で決定し、最後の舞台アルウィンへと歩を進めました。

【日本一拍手で満たされたスタジアムへ】


ここまで主に戦績について書いてきましたが、僕たちもただただ試合にくっ付いて行って一喜一憂をしていただけではありません笑

「今年の地決の会場はアルウィンらしいぞ」
そこからどう地の利を最大に活かすのかを練った結果「今年一年掛けてゴール裏だけじゃなくどの席からでも拍手を定着させて巻き起こそう」と始めたのが「日本一拍手に満たされたスタジアムへ」です。

「クラシコ」の中でも南長野で段ボールにメッセージをデカく書いたボードを掲げてお願いして歩くサポーターたちが映っているのを確認できますが、そうやって試合会場に足を運んでくれた観客に、更にもう一歩前へ踏み出して貰う働きかけを続けてきたのです。

恥ずかしかったり体力的に難しかったりする応援へのハードルをグッと下げて参加して貰おう。
仲間たちみんなの共有イメージは年末のアルウィン地決に来た地元のお客さんたちが目の前のプレーと連動して拍手でピッチの選手たちに気持ちを伝え続けるんだ。
そんな風景を完成図にして皆さんに働きかけていました。
ご存知のように、この意図は効果的でしたよね。

【僕たちが勝ち取ったもの】

いつしか季節は冬を迎えた決勝ラウンドは12月4・5・6日で開催されました。
決勝ラウンド第1戦で惜しくもPK戦で敗れたものの(金沢め!)
2戦目のY.S.C.C.戦を勝って、3戦目日立栃木ウーヴァSCとの対戦を残すのみ、自動昇格への枠は「2」限りなく現実に近づいてきた昇格へのカウントダウンは新聞やTVニュースで伝えられ多くの観客が詰めかけてくれました。

「クラシコ」でみんなが好きなあのお孫さんとおばあちゃんをまるちゃんが案内するシーンが象徴するように、山雅の昇格を賭けた試合がずっと続いていた不景気なニュースの中に差し込んできた一条の光だったんじゃないかと思うんです。
地元のクラブの活躍がこれほどまでに人々を引き付け希望の光になるのだ、とゴール裏の真ん中から感激しながら応援したのを覚えています。

俺達の山雅が「みんなの山雅」になった日、それがあの日だったんだと思います。
そしてなによりもチームのみんなが頑張ったからこそその姿が観客の心を掴んだのだと。

あのシラけた雰囲気とまばらなブーイングで終えた北信越最終節8月2日から数えて126日、同じアルウィンで今度は歓喜の花が開きました。
⇓これは大会後にクラブが歴史の扉を開けた証として残したクリップです。
よろしかったらご覧になってください!

⇑木次さんのレポート、優勝当日の松本の街の様子まで書いているのが面白い。
ホントこの方は山雅が気になって仕方ないんだなぁ


対戦記録付記
北信越リーグ・最終節(松本) 08/02 ●0-3金沢

天皇杯予選準決勝(松本) 08/08 ○2-1塩尻

全社北信越予選(新発田)
08/14 ○5-0富山
08/15 ○3-2長野
08/16 ●0-2金沢(二位・本選進出)

天皇杯 (県予選・決勝)
08/30 □1-0(1EX0)長野(県代表)
天皇杯 (1・2回戦・松本)
09/19 ○1-0刈谷
10/11 ○2-0浦和

全日本社会人選手権(市原市)
10/17 ○4-0小山田
10/18 □1-1(2EX1)岐阜
10/19 △1-1(5PK3)栃木
10/20 ○3-1長野 
10/21 ○2-1金沢 (優勝)

天皇杯3回戦(秋田) 10/31 ●1-4岐阜

地域リーグ決勝大会 (グループC・鳥取)
11/21 ○6-0浜松
11/22 ○3-1沖縄
11/23 ○3-0山口(グループ一位)
(決勝ラウンド・松本)
12/04 ▲0-0(4PK5)金沢
12/05 ○1-0横浜
12/06 ○2-1栃木(決勝ラウンド一位)


こうして振り返ると天皇杯のジャイキリも素晴らしい結果だけど、この期間で成し遂げることの難しさをしみじみ感じますよね。
この得難い経験はきっとクラブに有形無形の財産として刻まれていると私は信じています。

【個人的まとめ】

私個人の2009年は4月からの就活が不況下もあって不発の連続でした。
「どこも大変なんだよな」とは頭では分かっていても、私が加わらなくても全然社会が回ってるのを見ると『もしかして、俺ってこのまま省かれたままなのか?』と落ち込む事もしばしばありました。
そんな私の身の置き場であり情熱を掻き立ててくれたのが山雅の応援でした。
こんな俺でも必要としてくれる場や仲間たちがいてくれた事でどれほど心が救われたか!

そうやって極めて個人的なモチベーションのもと続けていた応援活動が年末の地決で、アルウィンの観客の皆さんの喜びや報道を通じて知ったみなさんのグッドニュースになった事は驚きであり、人生の大きな節目となりました。
この見る人の限られた場所ではありますが当時関わった全ての皆さんに大感謝です!

それでは長くなりましたのでここらでこのnoteは終わりにしたいと思います!
ここまで読んでくれてありがとうございます!
ではでは!

おまけ
09年の年末に放送された特番です。
時間のある方どうぞ!
応援しているサポーターたちの表情に寄っていくシーンも多くあり、私も映り込んでてちょっと恥ずかしいのですが▶️




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