鈴木涼美さんへの漠然とした"ずるい"という謎感情を考えてみる
※ご本人のことは軽く調べ、メディアで見聞きしてる程度であまり詳しくないのでご容赦ください
昔から、鈴木涼美さんがメディアに出ているのを見ると、無関係なはずの自分の心がなぜかざわつく。
フェミニズムの本として出版された上野千鶴子さんとの往復書簡も、散々周りに勧められるのに、何度も本屋で手を伸ばしかけたのに、いまだ手に取れていない。
なぜか読むのが怖くて。
彼女をみると関係ない私が"食らう"のは、いったいなんでだろう。
その理由が最近、やっと言語化できるようになってきた。
私はきっと、エリート街道な学歴・キャリアとを手にしながら、アングラで刺激的な夜の世界を経験し、人生経験が豊富、というアンビバレントな要素がある著名人に対して、ざわつくのだと思う。
人間は多面的だと、大学で学んだはずなのに。
鈴木さんはアルコ&ピースさんのpodcastで、
女子高生時代は渋谷で遊ぶお金のためにブルセラをやり、大学は慶應、そのあと東大の大学院へいき、キャバクラで働き、AV女優へ。
卒業後は日経の記者になり、その後芥川賞候補の作家になったと明かす。
これを聞いているうち、自分のなかにある偏見や差別的な側面がチラ見えした。
親をざわつかせないように、自分の欲望を抑えて小さい頃からずっと優等生をやってきた自分は心のどこかで人のことを、
勉強して「いい大学」にいき、いい就職し、お金に困らず安定してやっていき、万人に受けいられやすいまじめな優等生タイプか、
アングラな方面で活躍し、華やかかつ刺激的な人生を送るけども、勉強はそんなに好きじゃないしやらない、社会からの陽の目は浴びにくい不良タイプという、
超絶<<雑>>な2種類に分類していたことに気づく。
自分が典型的なまじめないい子だから、それを絶対的にな正とし、そうでない人たちはアウトローというか、「別のルートのたち」とみなさないと、やってられなかったんだと思う。
でも私だけじゃないでしょう。彼女の元AV女優という肩書きと、慶應〜東大〜日経の記者というギャップのある肩書きに注目してしまった時点で、少なからずその二つの組み合わせを「意外」であると思っているから注目されるわけで。
私にとって、鈴木涼美さんのような人がいては、自分が培ってきたものとの辻褄の合わなくなり、勝手に苛立ってしまうのだと思う。
自分の欲を抑えて親の言う通り勉強し、「社会的な善さ」から逸れないよう逸れないように...と生きてきた自分の人生が、なんというか「面目丸潰れ」、「おもんない」と思わされ、
また、自分の中にある「性を売る」ということへの、強いタブー感と同時に憧れを刺激されてしまうのだ、多分。
知的で冷静な眼差しを持ちつつ、自分がやれない「女を謳歌する」を、やれている人に見えてしまうんだと思う。
書いていて嫌な気分になる。"女"を謳歌するならバカにならないと、という考えを内面化している自分がいた。
私はいまタイムスリップできたとしても、絶対に自分の下着を売れない女子校生だし、水商売の体験入店も過去に勇気が出なくて断った。
まあ断ってよかったと思うが、そういう世界に軽やかに飛び込んでいって、でも搾取されきらない自由な女をみると、自分の中の何かコンプレックスを刺激される。
自分がタブーと言いきかされてきた世界に、軽やかに飛び込んで、その経験をもとに研究して、本書いて、それでいて輝かしい学歴も仕事も手にして、本を書いたら芥川賞候補で、待って、そんなのありかよ?!と、
なんだかうまく書けないけど、彼女をみていると飛び道具を使われた、みたいな謎の劣等感でいっぱいになるのだ。笑
器用に生きてそうなところが、羨ましくなってしまうのだろうか。エリートなのに夜の仕事もして、"そっちの世界も知っている"、というアンビバレントな存在に強く惹かれ、嫉妬してしまうのか?
最近では豊富な人生経験を活かして、人生相談の連載などをやっているところも含めて、うわああああっと、言語化不明な感情に襲われる。
夜の世界をたっぷり見てきて、「私フェミニズムにはあんまり乗れないんです」と豪語し、物分かりが良さそうな、俯瞰してみているところ、器用そうなところ、それでいてさっぱりしているところに、憧れてしまっているのだろうか。
....これじゃ、この前書いたこの記事は、自分へのブーメランじゃないか。
こんな社会でも、しなやかに、俯瞰して器用に生きる、物分かりがいい感じを出したいのだとしたら、まず自分がなぜそう考えてしまうのか考えないとだよな。
しかし、podcastを聞いて、そのあと色々調べて、まあ鈴木さんもなかなか難儀な人生で大変そうだし、もちろん本人の努力もあってのことだろうな、と思えたのでひとまずよかった。
今回考えてみて、学生の頃からなんとなくモヤモヤしていたことが晴れ始めた気がする。上野千鶴子さんとの往復書簡も今ならば読めるかもしれない。