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“GO FOR IT”

 プロフィール:

SUMIRE AOKI
2005年、北海道旭川市生まれ。市立小学校を卒業後、 市立の中学校に入学。中学2年生で埼玉にあるインターナショナルスクールに転校、その後高校1年生の夏から北海道にあるインターナショナルスクールに編入。現在は通信制の高校に通っています。






目次:

〜 はじめに 〜

第1章:変える勇気
 〜自分の道を切り開く練習
ー 英語に魅了されて

第2章:出会いを大切に
ー 初めての1人海外
ー サマーキャンプで

第3章:未知の世界へ飛び込む
ー インターナショナルスクールでの生活

第4章:起こることには必ず意味がある
〜後悔ゼロ人生
ー 大丈夫、辛くてもいつかは笑えるから

第5章:どうなるか分からないから全力で
〜通信制高校は夢に向かうための場所
ー 毎日変わっていく自分
ー 通信制高校と言う選択

第6章:ただただ面白いおばあちゃんになるために 
〜自分の経験を残したい
ー もしも明日自分がこの世からいなくなったら?
ー 人生最大の目標

第7章:みんな、今だ!いつかじゃなくて今しかない! 
ー 行動すること
ー 生きていく上で私が大切にしていきたいこと

〜 さいごに 〜










ー はじめに ー

”あれ、自分何歳だったっけ?” (高校2年生、17歳です。)

最近、とっさに聞かれるとわからなくなります。そのことはさておき、こんな私ですが、はじめて自分の経験をエッセイにしてみました。このエッセイはある時ふと思った素朴な問いから生まれました。最初は、もしも明日自分が死んだらどうなるんだろうと、軽く考えていました。でも、考えていくうちに、このまま今この世から私が消えたらどのくらいの人が私のことをその後も覚えていてくれるだろうと思うと、実は、それほどいないということに気が付きました。有名人のように何万もの人の記憶に残りたいというわけではないのですが、もう少し自分の経験などをみんなに伝えておきたいなと思いました。だから、今、私はこれまでの自分の17年間のライフストーリーをここに残します。
では、”Go For It!”







第1章:変える勇気
    ー自分の道を切り開く練習

>英語に魅了されて

私の父は小さいころからたくさん旅行に連れて行ってくれました。特に私が好きだったのは海外旅行です。しかし、海外に行くたび、私は英語が話せたわけではないので、常に父に頼ってばかりでした。幼稚園、小学校低学年ぐらいまでは英語が話せない事なんて関係なくて、ただただ楽しいなーと思いながら旅行していました。ですが、小学校高学年ぐらいから海外に行くと、父が私に英語で周りとコミュニケーションをする機会を増やしてくれるようになりました。今思うとありがたいことですが、当時は英語ができなかったので、とても嫌で仕方ありませんでした。こういった経験を通して、伝えたいけど上手に伝えられないことのもどかしさを知り、ちゃんと英語を勉強して外国の人と話したい、しっかり自分で言いたいことが言えるようになりたいという思いが、強くなっていきました。しかしながら、その時そう思うだけで日本に帰ってきても全く英語の勉強など続かず、結局なにも進歩しないまま時は過ぎていました。英語をちゃんと勉強する機会ができたのは、中学生になり、英語の授業を受けはじめてからでした。それから英語の授業を通して、英検に挑戦してみようと考え、英語専門の個人で開いている塾に通うようになりました。そこでは特に英検の勉強、学校の教科書を使ってという学習の仕方だったので、会話中心というよりは文法など基本的なことを学びました。塾の先生がとてもお話好きの方だったので、日本語で世間話を楽しんでいました。確か、中学1年生か2年生の時に英検三級を取得しました。塾に通い始めてから、学校での英語がさらに楽しくなり、ガンガン教科書をとにかくネイティブっぽくカッコつけて音読をしたりしていました。わからないところは父のところに駆けつけ、発音を教えてもらっていました。中学2年生になり、夏休みに海外でのサマーキャンプに参加したいと思い始めるようになりました。サマースクールに参加するために、少しでも英語で会話がうまくできるようになりたいと思い、ほかの会話中心の塾にも通わせてもらうことにしました。そこは、日本語で英語を教わるのではなく、英語で英語を学ぶことができるという理想的な環境でした。夏休みのサマーキャンプに向けて英語でのコミュニケーションをとる練習を何か月かしました。特にそこで力を入れていたのは、やはりリスニングとスピーキングでした。とにかく “聞く” ”話す” の繰り返しです。そして、中学2年生の夏に、人生で初めて1人で海を超えて国境をこえ、カナダへと旅立ちました。




―出会い―
サマーキャンプ:

私は都会のバンクーバーなどではなく、スキーなどの観光地として有名なウィスラーという場所に2週間滞在しました。有名と言いつつ私は実際に現地に行くまで、ウィスラーがどこにあるかもなにで有名なのかなども全く知りませんでした。今まで英語を話すことのできる父に頼ってばかりだったので、初めての1人海外では不安とどきどきとで頭の中は大変なことになっていました。(多分行動も。)行くと決める前は、英語がもう少し話せるようになったら行こうと思っていました。でも、話せるようになったらなんていつになるかわからないので、なんとなくしかできないけどとりあえず行ってみたいという気持ちで、父からもOKがでたので、参加することになりました。今思うと、本当に行っておいて良かったと思っています。カナダのサマーキャンプには日本人が多数参加していたのに加えて、メキシコ系の子供たちも多くいました。そこで気が付いたことは、各国の母国語を話す人たち同士で人は固まるということです。とくにメキシコからの子たちはスペイン語、日本人の子たちは主に日本語で会話をしていました。時々、2つのグループが混ざり、お互い数字の数え方などを教えあいっこしたりして、遊んでもいました。私は、この時にスペイン語で1〜10までの数え方を学びました。メキシコから来ていた子たちが発音などを丁寧に教えてくれたのを、今でも覚えています。母国語が同じ子たちで集まってしまうということはキャンプに参加する前に注意されていたことです。しかし、私もやはりほとんどの時間を、現地でできた日本人の友達と日本語で会話してしまっていました。情けないです。でもすごく楽しい思い出、経験にもなりました。今は、世界情勢も不安定で、なかなか難しいかもしれませんが、サマーキャンプでの経験は、私にとって人生の ”宝物” となっているので、ぜひ迷っている人は参加することを全力でお勧めします。しかし、自分に厳しくするべきです!私が言えることではないですが。英語オンリー生活を試してみたい人は、日本人の比較的少ないキャンプに参加して日本語を話せない環境に自ら足を運ぶのも1つの手だとは思います。ですが、そこで、ホームシックやカルチャーショックなどによってネガティブな思い出になっては、とてももったいないので、難しいところです。英語にある程度自信がある人は、英語オンリーの環境に飛び込んだほうがいいと思います!自分の力を実践できる絶好のチャンスだと思います!ですが、そこは個人の選択です。参加するまでの期間に、自分が楽しみっと思えるプログラムのものを選ぶのが、一番だと思います。私は最初ということもあり、英語にもほとんど自信がなかったので、同じ年代ぐらいの子たちと過ごすことのできる寮に泊まる形式のプログラムを、選びました。今思うと、寮で過ごした時間はとてもいい経験でした。私のルームメートはドイツからの子だったのですが、とてもやさしく、年上だったこともあり、常に私のことを気にかけてくれていました。メキシコからの子ももう2人いたのですが、1人は、毎晩枕を持って、ほかの部屋にこっそりミニお泊り会をしに行ってました。(本当は禁止されています。)このサマーキャンプで私が驚いたことは、みんな地べたにかまわず座ることです。まさに、カルチャーショック!(笑)日本の市立の学校に通っていた私は、廊下の床に座るなど考えたこともなかったので、最初座るときは戸惑いましたが、今では慣れっこです。おもしろい文化の違いです。今ではあぐらで地べた座りが結構気に入ってます。一歩間違えると日本では行儀の悪い人ととらえられてしまうので、場をわきまえます。サマースクールでの私の経験談を詳しく聞きたい方、相談したい方はインスタグラムなどでDMをくれればお返事します!お気軽にご連絡、ご相談ください!









>インターナショナルスクールという選択 

私は中3から市立の中学校からインターナショナルスクールに転校しました。私のインターナショナルスクールへの転校の大きな出会いのきっかけは、中学2年生の時に初めて参加したサマーキャンプでの出会いによってでした。私は小学校高学年頃から海外に留学したいと思っていました。しかし、まだ小さかったこともあり、なかなか実現することができませんでした。実現できないとわかっていながら、ただただ挑戦したくてしたくて、留学ジャーナルを見たり、インターネットで留学について調べまくっていました。中学生になって、海外が難しいのなら日本で英語を学べる方法はないか?と考えました。すると、日本にいながら英語の環境で学ぶことのできるインターナショナルスクールというものがあることに気が付きました。その後はインターナショナルスクールがどこにあるかなど詳しく調べ始めました。ですが、ほとんどの学校は英語ができることを前提としていて、英語がほとんど話せなかった私にとっては、入学する権利すらないという現実を、目の当たりにします。それでもあきらめずに調べると、ESL(English Second Language)という英語を母国語としない生徒のためのプログラムのある学校が存在することを、知りました。ここだ!と思ったのですが、またもや大問題が発生。義務教育と学校の寮の年齢制限です。私は当時中学2年生で義務教育の途中に加え、ほとんどの学校の寮は受け入れが高校生からというものでした。これじゃ無理じゃ。と思いきや。寮は何とか許可が下り、入寮させてもらえることになりました。残るは義務教育問題。しかし、親に何度も義務教育が終わって高校から行きなさいと言われ、インターナショナルスクールへの転校は夢に終わります。確かに、今考えると中学からの編入はとっても大きな決断で、どれだけ親に心配をかけたかと思うと、頭が下がります。そんな中参加したのが、カナダのサマーキャンプでした。そこで1人の日本人の女の子と出会います。彼女と話して私はびっくり仰天しました。あの、私が調べて一度断念したESLのプログラムのある学校に四月から中学1年生として入学するということだったのです!そこですぐさま義務教育問題はどうするのかと彼女に詳しく聞かせてほしいと言うと、と ”わからない” というまさかの答えが!どういうことだ!?とびっくりしましたが、ここで私は思います。じゃ、私も行けるじゃん!キャンプから帰ってすぐさま親にそのことを伝え、私も行きたいと全力で意思を伝えます。すると、学校側に相談してみようと前向きな答えが!親も相当悩んで、調べてくれていたのだと思います。今思うと、親が全力で反対するのも当然です。いきなりすぎるし早すぎるし、そしてなんといってもまだ子供の中学2年生が埼玉に単身寮生活だなんて。心配かけまくる娘ですみません。そして、なななんと!通っていた中学校に通学しなくても籍を置くことで中学校の卒業資格がもらえることになったのです。当時サポートしてくれた先生方には、本当に感謝しています。奇跡の出会いに驚きました。だって、日本から飛行機で約九時間7,597㎞ 離れたカナダという地で私が行きたいと夢見ていた学校に、入学するという人間に、出会うなんて。本当に驚きでしかありません。出会いに感謝です。そして、このキャンプの手配などをしていただいた当時の英会話教室の講師の先生にも、心から感謝しています。ありがとうございました。この出会いをきっかけに話が怒涛のスピードで進み、夏休み後、9月には埼玉にある学校へ母と実際に見学に行ったりなどと、4月の入学に向けて動き出しました。そして、中学3年生の春、家を離れ、夢に見ていた新たな生活がたくさんの方々の協力のもと現実となりました。当時通っていた中学校の担任の先生、校長先生、教頭先生、みんなが私の新たな挑戦を後押しして、応援してくれたことがうれしくて。そして、転校が決まった時に先生方が、”何かあったらいつでも戻ってきていいんだからな” と言ってくださいました。この言葉は絶対に忘れません。もし何かあっても私には居場所があると思わせてくれるようなそんな一言に私は支えられて、自分で切り開いた道を、今も力強く歩むことができています。







>未知の世界、インターナショナルスクールでの生活

私は14歳の4月から市立の中学校からインターナショナルスクールに転校しました。しかし、その時は英語が特別できたわけでもなく、ただただ英語が好きすぎたので、英語の環境に飛び込みたいといった感じでした。英語ができたわけではなかったので、インターナショナルスクール入学当初は、ESLという英語が母国語ではない生徒たちのためのクラスに入っていました。そこは、ほとんどが自習で、先生から出されている課題をひたすら自分のペースでこなしていくという感じでした。例えば、英語の長文を読んで名詞、動詞、形容詞などに色を付けていく課題や、ひたすらわけのわからない長文を読んで問題を解くものです。先生がちょくちょく声をかけてくれるわけではなかったので、わからないことや質問などがあれば自ら先生に英語で聞くというシステムでした。最初は、英語で聞くのが恥ずかしくて怖くて、先生に聞く前に、1人で頭の中でがんばって、質問したい内容の文をひたすら練習していました。もちろん、ほぼ毎日質問することがあったので、日に日に先生に質問するのも怖くなくなっていきました。先生も私のカタコトの英語を優しく聞いて理解しようと努めてくれていたので、安心してチャレンジすることができていました。最初から何でもできる人なんていないので、やっぱり毎日の積み重ねだなと思います。毎日少しずつです。急がず焦らずゆっくりです。(当時はめちゃくちゃ焦っていました。(笑)そのほかにももちろんすることはたくさんありました。例えば、英語の本を読んでその内容についてのクイズに答えるアクティビティや、readtheory という英語の長文問題の練習をするアプリを使って勉強したり。今振り返ると、英語が全然できなかった入学当時から、英語の長文に触れる機会はとても多かったと思います。これが大変なんです。そして、自分がむかつくんです。なぜなら、何回も何回も同じ単語を調べなきゃいけないからです。嫌っていうほど同じ単語を調べました。でも、その繰り返しなんです。忘れて調べて、忘れて調べて。もう少し記憶力のいい脳みそが欲しかったと何度思ったことか。悔しさをばねに、調べることを継続することです。努力すればするだけ後々結果として気が付いたら身についているものです。私の英単語力、記憶力はいまだに壊滅的ですが。これからも努力努力です。一緒に頑張りましょう。ここからは学校生活について詳しく書きます。私は入学当初、中学3年生にして英検3級ほどの英語力だったので、当然ほかの生徒たちと一緒に普通に授業を受けることができませんでした。だから、毎日ほとんどの時間をESLで過ごし、午後に体育や美術など、英語力がそこまで必要のない授業を、ほかの生徒と同じように受けていました。中学3年生での入学はやはり珍しく、ESLでも私以外の生徒は1つ年上が大半でした。そのこともあり、最初はなかなか友達を作ることを難しいと感じていました。午後の授業は同じ学年の子たちと受けることができるのですが、1日のほとんどの時間をESLで過ごしていたこともあり、なかなか馴染むのが大変でした。それでもESLの中で1つ年上のお姉え様方と仲良くなることができ、一緒にランチをしたり、放課後、遊んだり、週末に勉強を一緒にしてもらったりなお、徐々に毎日楽しく過ごせるようになっていきました。彼女たちと切磋琢磨することができたおかげで、私は2学期からESLを卒業し、メインストリームという同じ学年の子たちと授業を受けられるようになりました。テストに合格して先生から報告を受けた時はうれしすぎました。しかし、ここからがスタートだったので、これからもっと頑張らなくてはという決意の時でもありました。メインストリームに入ってからは、science、 business、 math、 English、 geography などなど、たくさんの科目を英語で学ばせてもらいました。とくに苦労していたのは business でした。とにかく覚えることが多く、テストが定期的にあったので、ほぼ毎日テスト勉強をしていました。プログラミングなど周りと協力しながら課題を終わらせていました。今思うと放課後に友達と図書室で課題をするという良い思い出ですが、当時は必死でした。でも、何とかなりました。特に最初の埼玉のインターナショナルスクールでは各クラス、プレゼンテーションも定期的にあったので、現在、人前に立つときなど、とても役に立っています。日本の学校だとなかなか立候補しないとそのような経験はできなかったのですが、生徒みんなに平等に機会が与えられ、フィードバックももらえるので、とてもためになる授業だと私は思いました。自分たちでプレゼンテーション用のスライドをグーグルスライドで作るのも1つの楽しみでした。毎回トピックに合わせてデザインするのが、楽しかったです。プレゼンのためにスライドを作って、そこでわかりやすく見る人を引き付けられる作品にしようという思いで取り組み、デザイン性も磨かれて、本当によい授業だと思いました。ここで大変だった business の授業が役に立つんです!なぜなら、グーグルスライドについて勉強した時に習った画像を動かしたり、字をおもしろい角度から出てくるようにしたり、より面白い仕掛けを作ることができるようになるからです。自分も他の人の作品を見ていて、動きのあるものはひきつけられます。何事もつながっているので、いくら businessのテストや暗記が辛くて大変だとしても、学ぶのがとても楽しかったです。そんなこんなで1年半が過ぎ、北海道のインターナショナルスクールに転校することになりました。北海道には一校しかインターナショナルスクールがなく、本当のところは家族にも近いので、最初からそこに入りたかったのですが、英語の基準が高く、一度入学を断念していました。しかし、1年半埼玉の学校で英語を学んでいたこともあり、英語がレベルアップしていたので、無事入学させてもらえることになりました。同じインターナショナルスクールでも、埼玉の学校はカナダのカリキュラム、北海道の学校はアメリカのカリキュラムだったので、多少の違いはありました。そして、勉強に対する意欲は、英語力の基準からもわかるように、北海道のほうが圧倒的だったと感じています。北海道インターナショナルスクールにはAP(Advanced Placement)という、選択した科目の大学レベルの内容を学べるクラスもあるというのが、特徴的でした。私は、作品を作ったり絵を描いたりすることが好きなので、AP ART を取っていました。このクラスでは、先生に出された課題だけでなく、自分たちで作りたいものを、教室にあるものを自由に使って作ることができました。先生も生徒たちのチャレンジにとても協力的だったので、何を自分はアートを通して伝えたいのかなど、深いところまで考えながらその思いを形にすることができるとても貴重な時間でした。他にもいろいろな教科でAPを取ることができるので、興味がある人は試してみると良いと思います。しかし、学年末に大きなテストがあるので、それに合格することで初めてAP 取得になります。北海道インターナショナルスクールは基本的に選択科目が多かったので、自分の興味のある物を自由に選ぶことができました。私が実際に取っていた中でおもしろい教科は、アウトドアでした。アウトドアのクラスでは、ハイキングに行ったり、山登りをしたり、冬にはイグルーというかまくらのようなものを作ったり(何度もちびっ子たちに破壊されて結局断念でしたが。)、スノーシューをしに行ったり、と、とにかくアクティブなクラスでした。しかし、外に出て何かをするだけでなく、この学校でもプレゼンテーションをする機会がありました。応急処置についてのプレゼンなど日常生活に役立つものも学ぶことができて、とても楽しかったです。すっごく驚いたのはクラスの始まりに瞑想の時間があることです。クラスが始まってから10分間瞑想してました。その他にも、ロープの結び方のテストなどいろいろなことに挑戦することができました。とにかくほかの教科でも日本の学校とは大きく違い、自分たちで何でも実際にやってみる、経験してみるというのが、多かったと思います。私はこれがとても大切なことだと思います。実際に身をもって体験することで、興味がわき、新しい自分に出会えると思うからです。私はインターナショナルスクールにいって良かったと心から感謝しています。この2年間で本当に多くの素敵な出会い、経験をさせてもらうことができました。感謝しかないです。








第2章:起こることには必ず意味がある
    ー後悔ゼロ人生

>大丈夫、辛くてもいつかは笑えるから

なんで中3から親元を離れてしまったのだー。度々そう思い悲しくなっていたことを思い出します。埼玉で1人、寮生活をするようになってから、学校に行く前、帰ってきてから、1人で寂しくなっては、しくしく泣いていることもありました。今になって思い返すと、そんな幼かった自分が懐かしいです。このご時世、マスクを着けていたので、何とか表情を隠すことができていました。もともと家を出たくて寮生活になったわけではなく、英語が好きすぎて気が付いたら家を出るしかなかった人間なので。気が付いたときにはひとりでした。とくに寂しくなっていた理由は、母がいないということでした。父よ、すまん。今は1人で全然平気ですよっ。1人でガストにだって行けるし、ブックオフに本だって買いに行けます。そんなことはさておき、当時、私の本当の悩みや相談を、何も言わずにただただ親身になって聞いてくれる母がいることが、当たり前でした。しかし、埼玉に来てから、母の存在の偉大さに気が付きました。感謝しています。当たり前だったことって、いつの日かふと気が付いたときになくなるんだなと、気が付かせてくれる出来事でした。大事なものって、本当に失ってから気が付くものなんですね。でも、ビデオ通話は今でも毎日しています。学校生活の報告や相談をしたいときにいつでもできるわけではありませんが、通話ができる時に話すようにしています。人と話すのはすごく大事です。私は話さなくなったら気持ち的にも危ない状況だと思っているので、母にはもし電話がかかってこなかったら母からかけてほしいと、お願いしてあります。話は少し変わりますが、私は1つのことに熱中すると、ほかのことが見えなくなったり、客観的に物事を考えられなくなるので、気持ちが何かの拍子に落ち込んでしまってネガティブになってしまうのではないかと、自分自身が心配になることがあります。だから、母に定期的な私の軌道修正の助言をお願いしています。これからまだまだ人生長いので、この短所を少しずつ直していきたいと思います。話を戻します。私は転校してからたくさんのいろいろな考えや経験を持つ人たちと関わってきました。人間関係って大変だなと思うような経験もしました。でも、いつも誰かが助けてくれたので、何とか乗り越えてこられました。その時は辛くて、苦しくてもそれが一生続くことってないと思うんです。まだ若いからわからないこともたくさんあります。でも、悪いこと、ネガティブな出来事だけでなくポジティブなことも自分次第でいくらでも起こると思うんです。だから、辛い時こそ ”大丈夫”と自分に言い聞かせて頑張ってみてほしいんです。その時悩んでいたことも後から思い返してみると、案外たいしたことではなかったりするものです。1人で抱え込まないで、もっと周りに頼ろう!そして、頼らせてもらった分、全力で周りのことも助けよう!この繰り返しで周りも自分も楽しい毎日を過ごせるのではないでしょうか。








第3章:どうなるかわからないから全力で
    ー通信制高校は夢に向かうための場所

>毎日変わっていく自分

私は明日の私が何を考えて何をしているのか、想像もつきません。なぜなら、この本を書くというのも、書き始める3日前までは考えてもいなかったからです。私というのは不思議な人です。自分でも自分の頭の中の、思考回路がよくわかりません。だから面白いんです。毎日毎日変わっていく自分を楽しみながら、でもやらなきゃいけないレポート、受験勉強も継続しながら、自分自身を面白がりながら毎日を過ごしています。時々、未来が読めないことが怖いと言う人がいます。でも、わからないからこそ全力で目の前にあることに尽くすことが大切だと、私は思っています。もちろん、私だって怖くなることは何度もあります。え、どうなるの、私って。でもそんなこと考えてもわかりません。今振り返ると、中学3年生から自分の年齢がわからなくなるほど、毎日いろいろなことで、頭がいっぱいでした。英語も頑張らなきゃ、でも、友達とも遊んだり仲良くしなきゃ、いい成績をとって親を安心させなきゃって。毎日とにかく必死で全力でした。忙しい中でも、寂しくなったり悲しくなったり、泣いたり笑ったり、何とかなるもんなんです。私はこの2年間で3回も自分の意志で学校を変えています。でも今に至るまでそんなことになるなんて、誰も想像していませんでした。しかし、こうして今毎日を自分なりに楽しく生きています。そして、現在はこの2年間の生活を経て大学進学、世界を飛び周るという夢に出会うことができました。だから、みんなにも未来を怖がらないで、ただただ今興味のあること好きなこと、もしないなら目の前のやらなくてはならないことに、全力になってほしいんです。全力で取り組むことで見えてくるものは、絶対にあるからです。そして、それが未来のあなたの力になるはずです。私は17歳です。人生100年の時代と考えると約5分の1にしか過ぎない年数です。ギャーです。どうなるんでしょう、私。楽しみです。とりあえず、健康には今から気を付けたいと思います。でも健康管理って、大変なんですよね。よく見た目で健康そうだよねーと言ってくれる人がいますが、いいえ。生活は割と健康かもしれません、が食生活というと(笑)です。ちなみに、私の両親は、現在、腸活にはまっています。私も実家で食事をすると、腸が絶好調です。結構栄養学について興味のあった時期もあり、スーパージュニアフードマイスターの資格を、高校一年生の時に取ったりしていました。学ぶのは楽しかったですが、なかなかこの資格を生かすことができていないので、どこかで使えたらなと思っています。興味があちこち飛びがちなので、興味を持った時にその都度取り組むようにしています。これからももっともっとたくさんのことに興味を持てるよう、いろいろなことにチャレンジしたり、異なった考えの人にたくさん会ったり、周りの人たちの経験などを聞いていきたいと思っています。非常に楽しみです。ワクワクしています。


>通信高校という選択

私が通信高校に転校して思ったこと、それは、通信制高校は ”可能性に満ちた場所” であるということです。私の周りには尊敬できる友達が何人もいます。なぜなら、彼らは全力だからです。夢があるからです。私の周りにはいろいろな辛い過去を乗り越えてきた人たちがたくさんいます。だから強いんです。そして、とにかくかっこいいんです。私も彼らに憧れながら、時間を最大限に有効活用できるよう、日々試行錯誤をして過ごしています。

そんな私の最近の生活スケジュールは、以下の通りです。

6:00ー起床、朝風呂
6:30~7:15ーストレッチ
7:15ー1階の食堂におにぎり(昼ごはん)取りに行く
7:20ースマホ時間+洋書の音読
8:00ー母とビデオ通話
8:15ー8:45ー身支度(歯磨き、化粧等々)
8:45―登校
9:00ー16:30ー勉強(ヨガがない日は大体5時半半まで)
17:00~18:00ーヨガ
18:30ー夕食
19:00ー風呂
19:30ースマホ+勉強+ストレッチ
22:30ー就寝

てな感じで、好きなようにスケジュールを組めて、毎日有意義に過ごしています。このように過ごせるのも通信制で、時間の使い方が自由だということのメリットだと、思います。自分で時間管理ができることが、とても大切になってきます。私の場合、”○○しなさい” と言われたら絶対にしたくないタイプなので、母は私に一度も ”勉強しなさい” などと言ってきたことがありません。この母の教育方針が、今の私の自主性を作ってくれたことに、とても感謝しています。通信制高校は自由で、勉強も好きな時間にできるというメリットがあります。しかし、大学受験を考えている人には、意外と大変だと思います。特に私は、中学2年生までしか日本のカリキュラムで勉強をしていなかったので、ほとんどわからない状態です。高校2年生にして、中学の内容から勉強しなくてはならないというブランクがあります。ですが、そんなのお構いなしに、周りの同じ年の子たちは、どんどん先に進みます。そこで、時間があるからとのんきに勉強を進めていると、受験生たちに追いつかないということです。私の通っている学校は定期テストのようなものがないので、勉強する目標が常に目の前にあるわけではありません。だからこそ、自分でスケジュールを立てて、自分がどこの位置にいるのか、何をしなければならないのかなどを、明確にしながら進めていく必要があります。こんな話をすると、大変そうだなと思うと思います。はい、全日制の学校に比べて与えられることがはるかに少なく、自主性がとても問われる環境ではあります。ですが、先生方のサポートや周りとの励ましあいを通して、自分をより高めていけると思います。先ほど通信制高校は ”可能性に満ちた場所” と言いましたが、同時に ”自立の準備ができる場所” でもあると私は思っています。私は、もっと多くの人に高校生のうちから与えられたものをただこなすのではなく、自分で何が足りないのか、何をするべきなのかなど自ら考えることのできる力を身につけることが大切だと思います。私だって、”勉強しろ” と言われたら、かたくなにしません。しかし、言われなかったら、その都度必要なことに自分で気が付き取り組むことができます。





第4章:ただただおもしろいおばあちゃんになるために
    ー自分の経験を伝えたい

>もしも明日自分がこの世からいなくなったら?

現在通っている学校で ”資産形成プロジェクト” というなんとも魅力的な集まりに初参加させてもらった時に、将来の自分について書くという時間がありました。1枚の紙には ”将来の夢、目標” ”5年後の自分” そのほかに “(  )年後の自分” という欄がありました。私は空欄を何の数字で埋めようか悩んだ末(100)と書きました。ということは、116歳です。いや、死んでるでしょ!ナイスなツッコミが聞こえます。その通り、多分死んでいます。しかし、生きていたらについて書きました。その時書いたのが ”自分の経験を後世に伝えたい” という願いでした。すると、講師の先生が ”死ぬことで一番悲しいことはみんなから忘れられることだからね。” と同感してくれました。その後、前になんとなく考えていた問いについて思い出しました。でも、百年後って言っても明日死ぬかもじゃん!と思ったわけです。だって、人生、何が起こるかわからないのが人生です。だから面白いのですが。だれにも明日生きているなんて言う保証はどこにもありません。学校の帰り道、私みたいにどうってことないことを考えていて不注意で、電柱にぶつかって救急車で運ばれる大惨事になるかもしれません。まだなったことはありませんが。いきなり最近会ってなかった友達がサプライズしてきて、びっくりしすぎて心臓が止まるかもしれません。何が起こるか本当にわからないんです。だから、私は今この本に私の17年間の記録を残しています。極端かもしれませんが、こうやって思いついた時が行動する時だと私は思っています。これもまた、後悔しない人生を送るために大切なことだと思います。死んだら後悔も何もないですが。(笑)





>人生最大の目標

私が今人生の最大の目標に掲げているのが ”ただただおもしろいおばあちゃん” になることです。それをかなえるためにはとにかく今を全力で生きることだと思っています。自分の経験を語り出したら死ぬまで止まらなくなるほど、数えきれないほどの物事にチャレンジしようと思っています。もはやただの話好きな ”迷惑おばあちゃん” になりたいの?と思われてしまうような気もしますが、物はとらえようです。ここではポジティブに考えることにしましょう。何事も経験、というように大事なので何度も言いますが、面白く楽しい人生にするためには挑戦、行動することに尽きると思います。ですが、それに加えて大切なことのひとつだと私が思っているのは ”読書” です。読書は至福です。そんな風に今は思える私ですが、小学生の高学年までは ``えー、本読み―、チーン。” という感じでございました。小学校の先生には内緒ですが、校区外の公園に、しかも自転車で行って乗り回したり、なんだかんだやんちゃっ子でしたので、静かにすることがとにかく苦手でした。5年生ぐらいで ”グレッグのだめ日記” という本に出会い、それから読書が好きになりました。この本との出会いに感謝です。理由は単純です。毎ページに絵があり、字がでかく、面白かったからです。シリーズ本だったので、続きも親に買ってもらって読みまくりました。その後は、いろいろな種類の本を読みましたが、読んでいくうちに、私は小説をあまり好まないことに気が付きました。こちらも理由は単純、前置きを読むのが面倒なのと、人物が覚えられず何度も前のページに戻らないといけないからです。本当にごめんなさい。私の脳みそはどうなっているのか自分でも理解不能です。話は変わりますが、よく相手が言ったことをまた聞いてしまうということが度々あり、親しい友達には ”それさっき言った。” と冷たく返される始末です。しっかり聞いてるつもりなんですけどね、つもりなんですね、多分。自分はまだまだです。親しくしてくれているみんな、こんな私ですが、末永くよろしくお願いします。話がそれましたが、私が中学生でよく読んでいたのは自己啓発本や著者の人生経験についての本たちです。父がこのような部類の本をたくさん持っていたこともあり、何冊かお薦めをきいて読ませてもらったりもしていました。もちろん、自分で選んで読みもしていました。これらの本たちは、話の中心がほとんどの場合、著者についてなので、名前も頑張れば覚えられますよ。がんばれば。いろいろな方々の本を読ませていただいたのですが、本はすごいです。なぜなら、自分が一度の人生で経験できないことを、他の人が代わりに経験してどうだったか、何を感じて、何を学んだか、などを本を通して教えてくれるからです。私もこの本を通して、より多くの人に自分の経験を伝えられればいいなと願っています。




第5章:みんな、今だ!ーいつかじゃなくて今しかない!!ー

>行動すること

なんといっても私が伝えたいことは ”行動すること” です。タイトルにもあるようにやってみることが一番いいと私は思います。もちろん、なんとなくの予想を事前に立ててみることも大事だと思います。しかし、ほとんどのことは予想通りにはならないものなんです。だからこそ、やってみないとわからないと私は思います。いい結果が待ってるかもしれないし、辛いと思うようなどうしようもないことが待っているかもしれません。でも、挑戦することに意味があります。そして、すべての起こることにも意味があります。もしも、辛いこと、苦しいことが待っていたとしても、それは自分を磨くため、より強くなるために与えられた試練だと思って、全力で正面からぶつかっていけばいいと思います。乗り越えた先には絶対に新しいものが見えて来るはずです。私もこの17年の人生、全く予想つかずにここまで来ました。その中ではたくさんの大きな決断もありました。一番大きかった決断は中3からのインターナショナルスクール転校です。当時はただただ英語の環境で学びたいという一心で、大学受験がどうなるかなんて一ミリも考えていませんでした。少なくとも父や母は考えていたと思います。そしてすんごく心配させてしまっていたと思います。この場を借りてごめんなさい。転校すると決めた時は全く大学のことは考えていませんでしたが、今はとても身近に大学受験を感じています。そして、とんでもない焦りも。あちゃーです。インターナショナルスクールで学んだ二年間は数学で関数計算機をバリバリ使っていて、計算機と親友だったのですが、受験では絶交しなければいけないという悲しい現実。こういうこともあります。でも、今の私には、関数電卓なしでも生きていける強い自分を作るための試練だと思って、全力で駆け抜けるしかありません。ここで関数電卓に頼らせてよーなんてなりませんし、なれません。これが現実。と受け止め、今やらなければならないことに全力を尽くすのみです。”やればできる” 精神で今も戦っています。





>生きていくうえで私が大切にしていきたいこと

ここまで私の今までの経験を語ってきましたが、この17年間という人生を通して私が一番大切だと思ったことは ”感謝” をどんなに小さいことにもすることです。私は今までの経験から、現在の時点では何事にも感謝することが、生きていくうえで私にとって一番大切であると感じました。私はここまでたくさんの方々に支えられて応援してもらいながら、ここまで来ました。そして、常に感謝を忘れずに生きてきました。もちろん、ご飯を食べる前と食べた後に ”いただきます” ”ごちそうさまでした、ありがとうございます” と言い忘れることは今も多々あります。しかし、感謝することはこのような小さなことの積み重ねで、どんなに小さな日常に起こる一見当たり前に見える些細なことにも感謝できるように徐々になっていくと、私は思います。幸せ、感謝すべきことはいつも当たり前の中にあります。そして、そんな毎日に感謝することができれば、幸せがすぐそこにあることに気が付くことができると、思っています。どんな小さなことでもいいんです。例えば、朝ギリギリに起きてしまって急がなきゃいけない時に、どの信号も青で一発で渡ることができたら、感謝です。待ち時間がなかったおかげで、ミーティングに遅刻せずに済んだかもしれない、そう考えると感謝せずにはいられないと思います。誰に感謝するの?っていうのは うーん。信号です。誰にと聞かれたら信号ですが、基本的にはその起きたこと自体に感謝するのでいいと思いますよ。考えすぎず、まず感謝です。私の場合、毎日はまだできていませんが、寝る前などすごくいい日だったなと思うときは無意識に ”今日も1日ありがとうございました” とつぶやくことがあります。声に出してですよ。最初のほうは自分でもビビりました。なんで1人でしゃべってるの?って。ここまで言うと変な人ですが、そんな感じで1日幸せだったなって思ったら感謝の言葉を口にするのも大切なことです。それは私みたいに奇妙な形だけではなく、人に対してもそうです。何かしてもらたっり、うれしいと感じた時は、迷わず感謝の言葉を口にするべきだと私は思います。そのことを心掛けるだけで、感謝した自分も感謝してもらった相手も、幸せな気持ちになれると思います。だって、感謝されて ”こんにゃろーっ” って怒る人いないですよね?そんな人がもしいたら教えてください。その人は私よりも相当変な人です。負けました。と負けを認めに行きます。





ー さいごに ー

私は17歳の高校生です、だからそれまでの自分をここに書きます。もう年齢など何をするかにまったく関係ない時代だとSNSを見ていてとくにそう強く感じます。私たちはそんな可能性に満ちた、どこにいても他国の人たちとつながることができる時代に、生まれました。だからこそ、私はもっともっとこの恵まれた世界で笑い、泣き、喜び、悲しみ、たくさんのことを乗り越えながら人生を楽しみ尽くしたいと思っています。そして、そう思いながら毎日を生きています。人生を大きく変えるきっかけはとても小さいことのつながり、そのことを知っていれば毎日を大切に、どんな出会い、起こることにも感謝できるのではないでしょうか。そして、このエッセイを完成させるにあたって協力していただいた中村先生、その他今までの私の人生に関わってくれた方々に心から感謝しています。ありがとう。
この世で一つ、自分だけの面白おかしい人生を作りましょう!― ”Go For It!”

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