進路が決まった日のこと。
私は生い立ちこそごく普通ですが、仕事の経歴はなかなか一言では説明ができないものがほとんど。
↓私の来歴についてはこちら。
はじめまして。|すみれ子|note
この春、また新しい挑戦を始めた事をきっかけに、キャリアの棚卸しも兼ねてこれまで歩んできた道を、時間をかけて丁寧に書いてみたいと思ったのです。
今回は本当にその一番最初、進路を決めた時のエピソードです。
来た。見た。決まった。
私が進学したのは音楽系専門学校のダンスコース。
きっかけは高校3年生になる春休み。
クラスメイトとディズニーランドへ行った時のこと。
夢の世界にすっかり魅了された私は決意します。
「日本にはこんな場所が…!!ここで働きたい!!」
ここまではよくある話。その経験からディズニーのクリエイターや社員を志す話は世界規模で耳にします。
ただ、17歳高校生。難しいことは考えられません。
ミッキーの耳付き帽子かぶってきゃっきゃとはしゃぎながら、チュロスを食べながら、パレードを待ちながら真剣に考えます。
「じゃあここで何をして働きたいかな。」
やがて身体の芯まで響いてくる爆音のメロディーと共にきらびやかなフロートが近づいてきたその瞬間
「あ、これだわ。」
進路決定です。この時点でダンス経験はゼロ。
音楽系の専門学校への進学を検討していたけれど、これだ!!よし決めた!
私「お母さん、私テーマパークでパレードに出る人になる。」
母「!?!?あなた音楽やるって言ったじゃない!」
私「うん。でもそれよりこっちのがやりたいから。」
母「やりたいってあんた…ファミレスでメニュー選んでるんじゃないんだから!!」
(※本当にこう言ってました。)
おお…上手いこと言う。
私「じゃあ死んだ魚のような目で大学に通う私と、専門学校でやりたい事に一生懸命頑張る私と、どっちが見たい?」
(※本当にこう言いました。)
もはや脅しです。
いったいどこからそんな言葉が出てきたのか。恐ろしい子…!
確かにいきなりの思い付きで決めましたが、私の中で何かがカチッとはまった感覚がありました。
それまでは、特に大学で勉強したい事がないし、当時好きだったアーティストに感化されたこともあり専門学校への進学を決めていました。
ただそれもいまいちピンと来ておらず、どこか他人事のようだったのに
楽しくパレードで踊っている自分はありありとイメージ出来たのです。
(※もう一度いいますがこの時点ではダンスは全く出来ません。)
その時の熱心さはこれまでと比べ物にならなかったのでしょう。
言い争いには全くならず、両親は承諾してくれました。
悔しさが起爆剤に
これは後々気づいた事ですが、姉への対抗心もあったのだろうと思います。
一般的に長子は何かと注目される事が多いもの。
姉が成長する度、進学する度に親戚やご近所さんが姉をもてはやします。
私が大きくなろうが進学しようが、二人並んでいる時ですら話の中心になるのはいつも姉。同級生ですら姉を話題に出してきました。
周囲に対する、私の中の満たされない承認欲求がこの時爆発したのでしょう。
姉と同じように大学に行けばまた私は埋もれてしまう。
周りから「妹」としてではなく「自分自身」を見てほしかった私の、無意識かつ精いっぱいの主張でした。
この時代にSNSがなくてよかった…。
かくして私の進路が決まりました。
ここから私のおもちゃ箱のよう人生がはじまります。
おまけ
この時の事は、折に触れて家族の間で話題になります。
私「よくこの進学許したよね」
父「まあやりたいなら仕方ないわな。」
母「お父さんもお母さんも大学には行ってほしかったけど、子供にあんなこと言われたら反対できないわよ。
それにあなたはやらないと気が済まない性格だから。」
私が親なら「そこまで言うなら自分で学費稼いで来いコラァ!!!」と一蹴するなぁ、きっと…。