お客さまの人生をお運びする
電車の運転士という職に就き
1人でハンドルを握ってから半年が経ちました。
免許取得のため研修を共にした仲間の中には既に違う業種へチャレンジしていった方もいます。
子供たちにとっては憧れの職でも、鉄道会社の中の運転士とはそういった側面もあるのです。
さて、ついこの間の出来事でした。
2022年4月3日は日曜日
この日は始発特急列車の担当
顔を洗い、重い瞼に喝を入れながら出区点検にとりかかる
異常もなく車掌に出区点検終了の連絡を入れると
「よろしくお願いします!」と元気な挨拶
見習いの時から何度も顔を合わせた、新人にも優しく話しかけてくれる中堅の車掌
また2つ目の停車駅で運転室に来てくれるかなと思いながら、いつものように挨拶を返した。
さて発車まで15分
朝日を眺め珈琲を啜りながら発車時刻までの時間を過ごす。全長120m、最高速度130km/hの乗り物を動かす緊張を解くための必要な時間、私はこの時間が好きなのです。
発車の時間まであと少し
解いた緊張を紡ぎ合わせ集中力に変えていく
「発車1分前 本線3番出発進行 逆転機前進」
車掌の「閉まるドアにご注意ください」という放送の後、戸閉め灯が点灯。一拍おいて発車に支障のないことを知らせるブザーが鳴る
「戸閉メよし 出発進行 制限35」
力行1ノッチを入れ5km/hでノッチオフ
「緩解よし」
1時間56分、営業キロ153.9キロの長旅の始まり
この始発特急列車は停車が少なく、かなりスムーズな列車であり、私のお気に入りの列車だ。
朝の線路は滑りやすく、いつも以上の緊張の中1つ目の停車駅を難なく停め、2つ目の停車駅を目指す。
「お疲れ様です!」
車掌が改札を終え、運転室に来てくれたようだ。
2つ目の停車駅、車掌がドアを開ける。
「発車します。閉まるドアにご注意ください」
と放送の後、2.3拍の沈黙
すると車掌が
「お母さんが泣いてる」と呟いた。
私は状況が理解できず、車掌の方を見る
「ホームにいるお母さんが泣いてる。乗車されたのは息子さんかな。明日から新生活で独り立ちなのかもね。握った手を離さないんだ。」
心なしか車掌の声が震えている。
そうか明日は4月初めの月曜日、新年度の始まり
泊まり仕事の不規則勤務形態に慣れると曜日感覚も無くなって季節の変わり目さえ気にせず過ごしていた。そういえば桜の写真を撮ったばかり。春は出会いの季節であり、別れの季節でもある。
普段この列車は地方から都市部へ向かう1番列車。多くのビジネスマンの通勤列車として利用されている。
今乗車された方は地元から離れ、遠く離れた場所での生活が始まるのでしょうか
私も大学入学から一人暮らしをし始めたが、社会人になることをきっかけに地元から遠く離れ、縁もゆかりもない今の場所へ引っ越すことになった。
大学入学の時は寂しさを見せなかった母親も、私の就職が決まってからは会う度に「後何回あんたとご飯食べれるかなぁ」と呟いていた。
列車を運転するということはお客さまを安全に目的地まで運ぶことであり、お客さまの人生、そしてお客さまの家族、友人、関わりのあるすべての方の思いを運ぶことだと考えています。
普段から通勤通学で利用される方、大きな決断をして遠くへ向かう方、利用される場面は様々で運転士はそのハンドルを握っている。お客さまの日常の1ページに過ぎない車内の時間を良い思い出に変えることも、逆に最悪の思い出になることも私の手に委ねられている。
改めて職責の重さを感じる
そんな朝の出来事だった。
車掌がドアを閉め、ブザーを鳴らす。
「戸閉メよし 出発進行 制限45…」
流行病を気にかけ2年半地元に帰っていないことを思い出した。花粉か朝の肌寒さなのか鼻の奥がツンと痛む。鼻を啜り、涙が出てきたがマスクがそれを隠してくれる。