アメブロは私の中ですごい長文向きで 語り始めると長くなる私には もってこいな場所なのだけれど noteはなんかぽんっと思い立った事を メモのように残しておきたくなる場所 ヒトは忘却の生き物だから どんなに覚えていたくても どんなに胸が締め付けられても 1週間後には薄れているし どんな感触だったか... あの時と100%のものは思い出せない だから、少しでもその純度が一番高い時に 残しておきたいとおもうし その時その瞬間を味わいつくして 生きなくちゃっておもうの
わたしたちは小さな終わりと始まりを 日々繰り返している "いまこの瞬間を生きる" を本気でやったことはあるだろうか 世界が透き通ってくる 日常の解像度をぐーっとあげてこう 今日もぬくもりを心の中心において生きるのだ
私たち人間はみんな 誰かを愛す方法や愛される方法を探す前に 『自分を愛する方法』 を全力で知る必要があるのだ。 一刻もはやくね! .
おはようございます 早寝をしすぎて早起きをしたので 頭が冴えてるうちに終わらせたい お仕事をひとつ終わらせ 時間があるので白湯を片手に本を読み ヨガと瞑想をした 本も白湯を飲んだマグカップも 大好きな人が贈ってくれたもの 私の日常には、生活のあちこちには、 大好きな人たちの存在が沢山ある。 そんな温かなぬくもりを感じながら いつもより何倍もスローペースに 今日という日がスタートした。 いつかは死ぬんだっていつも思う (朝からぶち込みます) そう思うと繰り返しの
心はちゃんと示してくれてる 心がザワつく? グチャっとする? モヤモヤっとする? 思考より先に私たちに教えてくれている その違和感を見て見ぬふりするのか または信じていくのか... それで結果は大きく変わってゆくもの。 私たちは今日も選択の連続 ずっとずっと死ぬまで小さな選択を し続けていかなくちゃならない 無意識でするものだからこそ いつも心の温度を程いい人肌くらいに しておきたいなぁと思う。 "心の温度"によって 自分の選ぶものは変わってくる そう、
時々 深い深い海に潜るように 深海へと落ちてゆく 冷たく光も届かない場所には あの時キラキラした日々の中で 気づかずに落とした大切だったものが 輝きを失ってそこにあったり または色褪せずに私が拾い上げる その瞬間を待ち続けるものもあったり 深く深く潜っていく 深く深く落ちていく そこでしか見えない、 気づけない事がある もう無理かもしれない もう疲れてしまった そうなった時にしか 感じられないことや 得ることが出来ないものもある むしろそういう時にこそ 真実や大
"ただ私はそれに気づいている" と、気づいている それが本物のわたし 悲しい 痛い 嬉しい 楽しい そう感じているのは 肉体をもった人間の私 誰だったか... 仏教とかの教えだったか... (人の名前を本当に覚えられない) それをツインソウルから聞いて あ〜〜、わかるぅう〜〜〜となった。 この世界に正解も不正解もないと思うけど 真実はあると思っている ジャッジできるものでは無い この世界の真実 それを魂は知ってるってわけだ 思考と感情と行動の矛盾について
人は愚かだなと思う それはずっとずっと昔から。 それでも愛を生きるんだと決めたのは そこを見て生きることを決めたのは 闇を知ったから... もう底ついていたから... 何も無くなって 海底の底に着いた時 心の矢印は愛と光の方へと向いた 私はまだまだ未熟者 でも大切にしたい事があって 大切にしたい人がいて 大切にしたい環境があって... 経験から学んだ自分なりの哲学がある そんな中からひとつ。 本当の意味で愛し合うということ、 愛を知るということは、 もちろん欠
内側からふつふつと湧き上がる 言葉にならない声が 叫びたがっていた 帰り道、 ひとりの世界で考え事をするのが好きで そんな今日の帰り道は いつも以上に触れた優しさや愛に どんどん感情が溢れて 気づけば電車の中で目にたっぷりの 涙をためていた。 愛についていつも自分に問うている 生きる意味を問うている ずっとずっと私には私の試練があって 1番といっていいほど大きくこびりついた、 とってもとっても取れきれないものがあった ここがスッキリしたらいいのに... ずっと思って
本当の愛とは 相手を縛るものではなく 相手を自由にするもの .
寂しくない人なんてない 寂しさを知らない人に 人を愛することはできない 本当に寂しさを1ミリも 知らない人がいるのなら それはちょっと もったいないなあと思う 人って 完璧な状態で生まれてくるのに すぐに身近な大人のエゴや 環境によってその後の人生の 大きな試練をすぐに背負わされる。 本当の自分を隠してしまうものを みんな一斉に背負うの。 神様はなんてむごいんだって思ってた そんな事しなくていいじゃんって でも 人ってさ、 本質とは真逆のことを知らないと、
自分の意識が自分から離れて 自分も世界も宇宙も全てを 俯瞰して眺めているような 心地になる時がたまにある そこにはただ"意識"だけが ぽーんと存在しているようで 姿かたちがない私。 何百億年生きてきたんだ? という程の落ち着きと 全てを見据えているような、 あの感覚は自分ではないようで 不思議な感覚にいつもなる 大きな大きな今も広がり続けている 宇宙の中のちっっさな地球に 生きる私たちはもっとちっぽけだ 私たちがあっちの世界で魂だったとき そこには幸福感しかないという
自分と他人の変容について いつも考えている気がする 自分がどう動いたら周りに影響があるのか 自分がどんな思考と感情をもったら 相手はどう変化していくのか... 全ての物事から 思考して学んで 自分の心の辞書をつくってる でも時々あるんだ 理解しようとしても 分からないことが 私は分からないことが嫌い。 白黒はっきりしたいの。 基本はね でも時々、理屈ではわかるけど 心にその形がハマらなくて ストンと腑に落ちなくて "分かるけど分からない" を繰り返す時がある
色んな経験がつくるその人の美しさが好きだ。 語らずともその佇まいや言葉遣い、 ただそこにいるだけで伝わってしまうものがある。 どれだけの悲しみを どれだけの孤独を どれだけの別れを 経験してきたんだろう それすらもすべて 光に変えてしまう その吸い込まれそうになるような まっすぐな瞳はずっと見ていたいと思う。 色気について、私はみんなに聞きたい あなたにとって、色気って何でしょう? 私にとって色気は その人が過ごしてきた日々の濃度... ただそこにいるだけでも
2021.5.6 のアメブロの記事を今日はこちらに。 過去の自分の言葉に ふと励まされたり気づかされることも ありますねえ〜👶🏻🫧 ─────────────────── "愛に生きること" 学生時代人生のどん底を味わって もうこれ以上は底がないっていうくらい 深海の深い深い底までいったあと その真っ暗闇な光もない 心が死んだ先に生まれたものは 何だったと思いますか…? 愛 だったのです。 不思議だよねえ… 人は生きながら生死を 経験することができるのだと。
何かにイライラしたり モヤモヤする時って 実は自分が自分に許せてないこと だったりする。 その度に気づいたらいいし その度に自分を許したらいい。 距離をとることも愛だって 今までの人生で学んでから すごくあったかい距離間で 大切な人たちとも関われるようになった 気がするなぁと思う 見守る愛、信じる愛... 何もかも一緒がいいわけでもない。 自分が優しい愛でいられるところで 愛おしい人たちを大切に出来たら それでいいんじゃないかと思うよ👼🏻🌕