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情事に溺れて
「子供ができたの」
「えっ、本当?マジで?」
「うん、旦那の子供」
「えっーー!! オレの子供じゃなくて?」
「うん、ちがうよ。旦那の子」
「旦那とはもうレス状態って言っていたじゃん! あれは嘘だったの?」
彼女は何も言わず、ただ涙を流して黙っていた。
「この部屋でオレ達愛し合ったのに、家に帰ってかれも旦那に抱かれていたんだ…」
彼は責めるような口調で、彼女に言い寄った。
彼女は流れ出る涙を我慢しながら、少しかすれた声で言った。
「旦那とやり直そうと思う。
…
…
だから、別れよう」
彼が聞きたくなかった言葉だった。
◇ ◇ ◇
彼の名前は、川中翔、22歳。情報処理専門学校を卒業後、ソフトウェア開発会社に入社。新人という言葉がとれた二年目の若手社員だ。
そして、彼女の名前は武宮清美、25歳。同じく彼が勤めるソフトウェア開発会社に勤める三期先輩の社員だ。既婚者で未就学児の子供が一人いた。旦那とは社内結婚で、彼女より二期上の先輩だった。
彼のソフトウェア開発会社は、社員の半分以上が保険会社や証券会社など、大企業のシステム部に出向で飛ばされて、出向先の社内システム開発に従事している。
川中が武宮先輩と出会ったのも、出向先の保険会社のシステム部だった。
彼の会社から保険会社に出向に出ているのは、川中とが武宮先輩の二人だけだった。毎日毎日、出向先の社員に気を使いながら仕事をするのは、かなりのストレスとなる。そんなストレスの中、同じ会社の二人が情事に溺れていくのに時間はかからなかった。
川中と武宮先輩の関係が旦那にバレたのは、秘密の交際が始まって半年くらい経った頃だった。
川中は社員寮に住んでいた。その社員寮は1K。玄関のドアを開けると、部屋の中はまる見えとなるくらい狭い部屋だった。
そんな狭い部屋で、二人情事にふけているところに、武宮先輩の旦那がやってきたのだ。
旦那は妻の不貞を感づいていたのだろう。子供を保育園に預けたあと、会社に行くのとは違う電車に乗る妻を、旦那本人も会社を休んで尾行したのだろう。
そして浮気相手の部屋にたどり着いた。
玄関の呼び鈴を鳴らす旦那。裸のまま、ドアスコープを覗く川中。
「旦那!」
川中は即振り向き、声には出さずに口の動きで、部屋の奥にいる武宮先輩に旦那であることを伝える。
そして、川中はゆっくりと玄関を離れた、部屋の奥へと戻った。二人は居留守を装うことにした。
ダン、ダン、ダン、ダン
玄関のドアを叩く音が寮中に響く。幸い平日の昼、社員寮には誰もいない。
「清美!! いるんだろう! 出てこい!」
二人はとりあえず、部屋に脱ぎ捨ててあった服を拾って着た。
ダン、ダン、ダン、ダン、ガチャ、ガチャ、ガチャ
「清美!! 清美!! 清美!!」
…
…
「清美、一緒に帰ろう。保育園、お迎えの時間だよ」
旦那の声が突然優しい声に変わった。
「一緒に家に帰って話そう。これからどうするか話そう。いいよ、清美がオレと別れたいのなら、それはそれで仕方ない。とりあえず今日は帰ろう。
子供、待っているから」
「翔……、あたし…、帰るね」
ベッドから立ち上がろうとする武宮先輩の腕を川中は掴んだ。
しかし、武宮先輩は強く掴んでいる川中の指を、腕から一本ずつゆっくりと外した。
武宮先輩はテーブルの上に置いてあった、川中の部屋に来る時に持ってきたトートバックを肩にかけると、玄関に向かってゆっくりと歩いて行った。
「カチャ」
そして武宮先輩はゆっくりと玄関の鍵を開けた。
旦那は部屋の中に殴り込んでくることもなく、武宮先輩を連れて帰っていった。
武宮先輩の匂いが残る部屋に一人残された川中。
「子供……か?」
◇ ◇ ◇
こんな事があったにもかかわらず、回数は減ったものの、武宮先輩はときどき川中の部屋に来た。
そして半年後。
「翔、話したいことがあるから、今日、そっちに行っていい?」