どんなに二人の時間を重ねても
たぬきの親子さんの企画に、二回目の参加になります。
◇ ◇ ◇
同じ部屋で着替えても、たとえ同じベットで寝ても、間違いが起きない生物学的異性(中身は同性ってことですが・・・や、ややこしい)の友達が私にはいます。
実際、10回くらい同じベット寝てますが、何も起きてません!!まぁ、当時は抑えるのに結構大変でしたけど・・・。
その子との出会いは、高校二年生の夏の始めでした。
ボーカル募集中だったうちのバンドに、Kちゃんが入ってきたのです。
別のバンドの女の子(N子)が、ボーカルのいないうちらのバンドに彼女を紹介してくれました。
第一印象は、「ぶっ飛んでる」
男ばかりのバンドに、女の子がメンバーとして入ると、大体は男女問題でぎくしゃくしてバンドがダメになる。
そういう話をよく周りから聞いていたので、バンドの男メンバで紳士協定を結びました。
「メンバー同士の恋愛禁止!」
それが守られるとは、誰も思っていなかったのですが、予想通りその紳士協定は、彼女がメンバーに加入して一週間で破られてしまった。
早!
その紳士協定を速攻で破ったのは、ベースのG君だ。
このG君は恋多き人で、お近づきになった女の子をすぐ好きになる。
私も恋多き人でしたが、彼ほどにスキ・スイッチが入ることはなかったと思う。
で、そのG君ですが、Kちゃんにコクってしまいました。
そしてまた驚くことに、彼女もOKを出してしまったのです!!!
あたし、許しませんよ。(私の許可なんぞいらないのだけどね・・・)
バンドの練習の後、Kちゃんを呼んで実際のところを訊いた。
G君のことは別にスキではないけれども、N子に勧められて、スキになるかもしれないしということで、付き合う事になったという。
そっか、そうだったんだね、「よし、Kちゃん、別れましょ!!」
好きでもない人と付き合ってしまって苦しむ彼女。そんな彼女の相談に私は乗ったが、私自身にも彼女に対する、紳士協定を破る感情が混ざっていたのも確かだった。
結局、Kちゃんをめぐっては何人かの男が争い、また、他バンドからも参戦してきて、もう、ごっちゃごちゃ!!
あたし?
彼女にとって私は、いい人、男として不合格だったようです(笑)
(これから先何十年も不合格になり続けます。)
メンバー同士の恋愛のゴタゴタは続いていたけれども、何とかバンド活動は維持していた。
週末はよく近くの食堂で昼ご飯をみんなで食べにいった。
お店に入り(Kの隣の席をゲットするには店に入る順番が重要)、さりげなくKちゃんのとなりの席をゲットできた時は、その日に食べる昼ご飯は、言葉で言い表せない美味さへと変わる。
しかし、別の人に隣を取られたときには、その日の昼ご飯は10円でも高すぎるくらいの味となった。
平日も週末も練習を重ね、そして、1987年07月12日(たしかその日)、私たちバンドは、初めてライブハウスの舞台に立った。
このライブの主催は、当時、沖縄で人気ナンバーワンだったバンドのライブで、私たちバンドはその前座として舞台に立ったのです。
これが私たちバンドの初ライブとなりました。記事トップの画像が、その時のライブの写真です。
本番前、胃が痛いと楽屋でうずくまっていたKちゃん、彼女に「大丈夫?」って声をかけたのが、人気ナンバーバンドのドラマーKNさんでした。
その時は、うずくまっている所を大人の男の人に見られて、ちょっと恥ずかしい・・・、それだけの感情だったみたいですが・・・。
ライブ本番
本番前は楽屋でうずくまっていたKちゃんだったのですが、いざ本番になると、はしゃぐ、自分のスカートを捲ってパンツ(スパッツ?)を見せる、もう舞台でやりたい放題。
ライブは、この動画(本物のレベッカ)の完コピ?です。
◇ ◇ ◇
ライブが終わって、打ち上げとなるのですが、KちゃんはドラマーKNさんの側にずっといるのに気づいた。
(これはまずいな~)
いつもは当てにならない直観が、今回は当たりそうだ。
その日を境に、彼女の頭の中は、KNさんのことでいっぱい。バンドの練習のたびに、KNさんの話ばかりするようになった。
「ガンバレ!」って私は、まぁ、心にもないこと言って、彼女を応援してたりもしたけど・・・、
その度に胸を刺されるような痛みは、私のこころをかき乱していた。
Kちゃんをバンドに紹介したN子は、絶対遊びだから反対だと全力でKちゃんを止めた。
月日は少し過ぎ、バンドも活動休止状態になり、メンバーも集まらなくなった頃・・・・・。
それでも、Kちゃんとは電話や手紙のやり取りなど、彼女と私はまだ繋がっていた。
そして、久しぶりの電話があった。
私から電話を掛けたのか、Kちゃんが私に掛けてきたのかは覚えていない。
「えっ、そうなんだ。よかったじゃん」
(なぜ、そんなことオレに言う?)
(KNさんが初めての男・・・)
この日、電話から聞こえるKちゃんの声は、もの凄く遠かった。
◇ ◇ ◇
その後、たくさんの電話と手紙のやり取り、ドライブに旅行、そういった二人の時間をいくら積み重ねても、Kちゃんと私が結ばれることはなかった。
あの頃を振り返ると、辛くて苦かった青い時代は、本当は甘かったんだなと、今にして思う
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