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プロのシナリオライターの視点から見る東京ディズニーシーの凝った世界観【アメリカンウォーターフロント②~ポートディスカバリー編】

 皆さんこんにちは、華月です。

 最近、前書いたシナリオでなんかバズりました。

 おん?

 もしこのツイートで気になった人は買ってみてください。(ダイレクトマーケティング)
 ……ちなみに、この作品がいくら売れても僕の手元には一銭も入りません。悲しいね。

 さて、それでは、さっそくアメリカンウォーターフロントの、前回解説しきれなかった部分について解説していきましょう。

 前回と前々回の記事は以下になります。

 そして、前回も前々回も書きましたが、筆者がDヲタであることもあり、ストーリーに明るくない方々に向けて説明していることもあり、そもそも大本の世界観設定が細かすぎてそれを全部一度に説明しようとしていることもあり、この記事もマジで長くなります
 一回で読み切るには大変な量だと思いますので、つらくない程度に小分けにして読んで、ぜひディズニーの世界にのめりこんでくださいね。

 それでは、さっそく本編をどうぞ。



◇レストラン櫻

 さて、前回のアメフロの記事でも軽いジャブから入りましたので、今回の記事でも軽いジャブから入りましょう。

 アメリカンウォーターフロントのレストランはいくつかありますが、その中の一つ、レストラン櫻のBGSから入りましょう。

 アメリカンウォーターフロントは、二十世紀初頭のニューヨークを舞台としています。
 このレストラン櫻のオーナー、「田中さん(愛称・チャーリー)」は、大阪で漁師をしていましたが、自由と夢を求めてニューヨークに移住します。

 そんなチャーリーさんは、ニューヨークに移住してから、これまで貯めてきた貯金をはたいてレンガ造りの魚市場、「リバティ・フィッシュマーケット」を購入します。

 このリバティ・フィッシュマーケットはいつしか日本人移民の憩いの場となり、1905年、チャーリーさんは同郷の仲間たちのために故国の料理を楽しめるレストランを開店することを決意します。

 それが現在のレストラン櫻です。

 そのため、1912年の現在でも、店内に入れば魚介類の看板や、漁業会社の事務所跡などを見ることが出来ます。

レストラン櫻の一ドル札

 また、壁にはチャーリーさんが初めて稼いだ一ドル札が飾られており、これはディズニーランドの「グランドエンポーリアム」にも、同様に初めて商品を売ったときの一ドル札が飾られています。

ディズニーランド「グランドエンポーリアム」の一ドル札

 一つのレストランを取っても、これだけのBGSが出てくるディズニーシー、どこまでこだわっているのか、皆目見当もつきませんね。

 しかも、開園から二十三年経っているにも関わらず、まだまだBGSが新たに見つかるというのも、凄いところです。

◇街の地下には地下鉄が

 アメリカンウォーターフロントをニューヨークデリの付近まで歩いて行くと、周囲の道の脇に、地下まで続く階段を見ることが出来ます。

 これはアメリカンウォーターフロントのブロードウェイと、クイーンズを結ぶ地下鉄である、ということがこの看板から分かります。

 しかし、この入り口、実はまだ入ることが出来ません。
 その理由は、看板の上の地図を見ると知ることが出来ます。

 この地図を拡大してみると、このような形となっています。
 地図の左上、インターボロー・ラピッド・トランジットと書かれていますが、この会社は1903年から1940年にかけてニューヨークで実在した鉄道会社なのです。

 これが駅に入れない理由とどんな関係にあるかというと、実はこのクイーンズ行きの鉄道は、歴史上では1918年に開通しているのです。
 アメリカンウォーターフロントの時代は1912年ですから、アメリカンウォーターフロントのある現在はこの鉄道はまだ開通に向けた工事中である、ということなんですね。

◇ブロードウェイとウォーターストリートの違い

 さて、アメリカンウォーターフロントに入ると、まずこの道の分岐点があることに気づくと思います。

 この画像では、左側がブロードウェイ、右側がウォーターストリートとなっている訳ですが、この二つの道は、街並みに大きな違いがあります。

 ブロードウェイに関しては人が集まる大通りとなっているため、きらびやかな装飾となっており、街灯も電灯となっています。
 が、ウォーターストリートは一般住民たちの居住区となっているため、街灯はガス灯になっているのです。

 実は、アメリカンウォーターフロントの時代の1912年は街灯がガス灯から電灯に移り変わっていった丁度境目の時期のため、街灯にもそんな違いがあるのです。

◇エレクトリック・レールウェイ

 お次はエレクトリック・レールウェイです。

 さて皆さん、このエレクトリック・レールウェイ、ただの足として使ってはいないでしょうか?
 これ、実はかなり奥深いBGSが隠れているんです。

 そもそも、どうしてエレクトリック・レールウェイは過去と未来を行き来できるんでしょうか?
 そうです、ポートディスカバリーのテーマは「時空を超えた未来のマリーナ」。
 本来であれば、この別の時代をつなぐ鉄道は、ディズニーシーの世界観を壊してしまうため、むしろ悪手なのです。

 しかし、ディズニーシーにはあえてこのエレクトリック・レールウェイが存在しています。
 それはなぜか?
 理由は二つあります。

 一つは、「エリアに立体感を持たせるため」。

 エレクトリック・レールウェイ、走行音がかなりうるさいと感じたことはありませんか?
 実際の所、現代の技術を用いれば、数か月のリハブをすれば走行音なんてものは静かにすることはできます。
 しかし、あえてそうしていません。
 走行音をエリアに響かせることによって、ゲストたちに実際の1912年のニューヨークを三次元的に感じさせているのです。

 そして、もう一つの理由が、「タイムスリップをしているから」。

 そんな突飛な設定を出されても信じられないかもしれないですが、本当です。

 実はこのエレクトリック・レールウェイ、エリアとエリアの境目で、急に加速し始めるのです。
 それが、時間を飛んだ、という演出になっているのです。
 そして、その時間を超えている、という演出は視界が木々で遮られることによって、よりシームレスにエリアの移動を体感できるようになっているのです。

 ちなみに、エレクトリック・レールウェイの駅の外壁には、1912年当時のニューヨークの市民たちが空想した未来の街の絵が飾られています。

 1912年のケープコッドの市民たちは、ハリケーンに悩まされていました。
 そんな彼らが、ハリケーンを克服した未来を空想したのが「ポートディスカバリー」なのです。

◇ケープコッド

 さて、お次はアメリカンウォーターフロントをちょっと進んだところにある、ケープコッドに移りましょう。

 ケープコッドとポートディスカバリーの繋がりは先ほど解説しましたが、それ以外にもケープコッドには多くのBGSがあります。

 そんなケープコッドにも、モデルとなった村が存在します。
 それがニューイングランドの漁村です。

 ケープコッドは1689年に設立され、現在まで220年以上続いている村です。

 ケープコッド(タラの岬)とは、名前の通り、タラが名産でした。
 そのため、街の名前を決める際にも紆余曲折ありましたが、タラの岬となったのです。

 そして、このケープコッド、実は独立戦争と深く関わっています。

 その証拠に、村内には独立戦争の際に使われた「レボリューションキャノン」と呼ばれる大砲が置かれていたり、独立戦争で戦った子孫たちの会「自由の娘たち」から寄贈された灯台など、エリアの各所に独立戦争の影が見え隠れします。

 そして、ケープコッドクックオフの地面には、「1789」という数字が書かれており、これはアメリカの初代大統領選挙の年となっていたりします。

 このケープコッド、舞台がニューイングランドであり、その名前も示す通り、イギリスの植民地時代があり、それを忘れないように独立戦争の片鱗を至る所に残しているのです。

◇S.S.コロンビア号

 さて、アメリカンウォーターフロントでは、タワー・オブ・テラーの次にBGSが濃いと言えるのが、この「S.S.コロンビア号」です。

 このS.S.コロンビア号を所有しているのは、以前の記事でも解説した際に登場した、「コーネリアス・エンディコット三世」です。

 このコーネリアス・エンディコット三世は、アメリカンウォーターフロント内にもいくつも会社を所有しており、S.S.コロンビア号を所有している「U.S.スチームシップカンパニー」の他にも、「ニューヨークグローブ通信社(THE NEW YORK GLOBE Telegraph)」、鉄道会社や製鉄所、果ては金鉱まで所有している大企業の社長なのです。

 以前の記事でも解説しましたが、彼はハリソン・ハイタワー三世と犬猿の仲であり、そんな中でハイタワー三世が失踪したことから、ホテルハイタワーを解体してホテル業に手を出そうとし、エンディコットグランドホテルの建築も計画していました。

 娘のベアトリス・ローズ・エンディコットによってホテルハイタワーの解体は叶いませんでしたが、しかし、それでも大成した実業家であることに間違いはないでしょう。

 そんなS.S.コロンビア号、なぜダイニングが「テディ・ルーズヴェルト・ラウンジ」という名前であるかご存じでしょうか?

 実は、1912年3月19日に開催されたS.S.コロンビア号の祝賀会に、セオドア・ルーズベルト元大統領が出席していることが関係しています。
 ルーズベルト元大統領が出席しているのはS.S.コロンビア号の中に掲示されている新聞で確認でき、そして彼がスピーチした台は今もドッグサイドダイナーに展示されています。

 いかにエンディコット三世がルーズベルト元大統領を敬愛していたかがわかりますね。
 ちなみに、ルーズベルト元大統領のスピーチは二時間半にも及んだとか。

 以上が、アメリカンウォーターフロントの、前回解説を書ききれなかった部分になります。

 二記事にわたって書いてしまいましたが、それだけアメリカンウォーターフロントは奥が深いエリア、ということなんですね。

◇ポートディスカバリー

 さて、記事の文字数も前回までの記事に比べて少々短くなってしまったので、ポートディスカバリーについても解説していきましょう。

 さて、皆さんポートディスカバリーには何で行きますか?
 徒歩? エレクトリック・レールウェイ?

 今回はエレクトリック・レールウェイで移動したことにしましょう。

 エレクトリック・レールウェイの出口を降りると、右手にはプロメテウス火山の山肌が見えると思います。

 が、この山肌、メディテレーニアンハーバーから見えるプロメテウス火山の山肌とは違うことに気が付くでしょうか?

 そもそも、ポートディスカバリーのテーマは何でしたか?
 ……そうです。「時空を超えた未来のマリーナ」です。

 ということは、ポートディスカバリーの時代のプロメテウス火山は活火山ではなくなっている、と考えることができそうじゃないですか?

 その証拠に、プロメテウス火山の山肌には、青々とした植物たちが芽吹いており、耳を澄ませても、プロメテウス火山の噴火している音は聞こえません。

 そうなんです。
 実はポートディスカバリーの時代には既にプロメテウス火山の活動は終了しており、たとえメディテレーニアンハーバー側で噴火が起ころうと、その音は聞こえないし、噴火の炎も見ることはできないのです。

 エリアによってシンボルの表情を変えようという思考に何を食べたらなるのか、正直もう良くわかりません。

 そして、今度は地面の色にも注目してみましょう。

 ポートディスカバリー、地面が赤色になっているのがわかるでしょうか?

 これは、ポートディスカバリーに過去存在していた「ストームライダー」の開発を祝い、レッドカーペットを敷いているからなんです。

 そして、その祝賀会ムードの中、海上を自動で走ることが出来る、まだ開発段階の技術を特別に公開しよう! となって、来客者が試乗できるようにコースを設置して一般公開されたのです。

◇終わりに

 ということで、今回は、解説を残していたアメリカンウォーターフロントの一部と、ポートディスカバリーのBGSを解説していきました。

 もちろん、今回解説したBGSがアメリカンウォーターフロント、ポートディスカバリーのBGSの全てではありません。

 しかし、これだけを知っていても、存分にパークに足を運んだ際に楽しむことができるでしょう。

 ということで、次回はとうとうロストリバーデルタに足を踏み込んでみます。

 それでは、また次回。

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