私が吹奏楽部に入っていた頃。もう思い出したくないこと
私は小学生の一時期、吹奏楽部に入っていた。
親の仕事の都合で引っ越してきて、嫌なことばっかりで寝てばかりの私に母親が吹奏楽部に入るのを勧めてくれた。いや、ほぼ強制的に入らされた記憶がある。
その頃私はすでに小学6年生で 年齢では後輩なのに吹奏楽部歴としては先輩という人がたくさんいた。
そしてよりによってその吹奏楽部の顧問の先生は熱血で、絶対に全国大会に行ってやるという感じで、香水の香りのする男の先生だった。 この先生のおかげで私は香水をつけてる人があまり得意でない。 今でも何か香水の匂いがすると あの頃のことを思い出してお腹が痛くなる。
部活が始まる前に「気合だー」と何度も叫んだり、色紙にネバーギブアップと先生がサインしていたのをなんとなく覚えている。 今思えばなんだか狂っていたし、どうかしていた。「気合いだー」と何度も言っているとそれはだんだん「嫌いだー」というふうに聞こえてくるのも覚えている。
せっかくだからいいことも書こう。私が吹奏楽部に入って今でもよい影響受けていることは、挨拶ができるということだ。 当たり前だと思うかもしれないが意外とみんなできていない。誰かにおはようございますと言われた時に、瞬発的におはようございますと言えることはある種の訓練を積んだ人だけができると思う。
今日は散歩中にこの吹奏楽部の頃に演奏していたウエストサイドストーリーの挿入曲が頭に流れてきたのでこの文章を書こうと試みた。
吹奏楽部の顧問の先生の指導風景を頭に思い浮かべると、あれはほとんど軍隊と言うか、ある種の宗教のような感じだったような気がする。よくあんなところを耐えてきたなあ。今はとても幸せだなあと思うのだ。
一応、私は大人と言われる年齢になったのだが、あのような先生の指導をする人のことがあまり理解ができない。狂っていたんだろうか。