青いバナナのごとく、未熟な親としての私
先日、ミニカップラーメンについて
NOTEに書いたのですが・・・。
その続きをもう少し。
もういいよと言わず、、もう少しお付き合いください。
なんだかんだ言っても、私も一応大人なので
冬場の体育館でミニカップラーメンを食べれなくなったくらいで
大騒ぎするのもみっともないと思っています。
それに誰かが良くしようと決めてくれたルールにはできるだけ
従おうと思ってはいます。
小姑みたいにならないように。
そう、「思っています」
じゃなくて、『思ってはいます』
ってのが、日本語の難しいところ。
思っているのにうまく飲み込めない。
考えないようにしようと思うのに、眉間にシワがよる。
そんなこと、ありませんか?
で、これからは冬場に体育館でミニカップラーメン食べれなくなる事実を
ある保護者に伝えたところ、
「え?なんで?」との返答だったので、
飲み込もうと思っていたのに、飲み込みきれなかった想いが引っ張られ、
『え?いいの?私、出てってもいいの?出ちゃうよ。
私だって、本当はずっと出たいんだから』ってな具合で
少しばかり、自分の思うところを話してしまったのです。
ミニカップラーメンが体に良いとは思っていないけど、
一日中試合にも出ずに、お昼だけが楽しみなんてこともあるんだから、
私は別に良いと思うんだけどねぇ。
なんて具合に。
そしたら、彼は言いました。
「じゃあ、試合に出てる子はカップラーメン食べるなってことになるじゃん」と。
おや?
違う。
彼の意見は基本的には私と同じ。
ミニカップラーメン食べても良いじゃない派。
さっきの発言は別に深い意味はないのかもしれないけど、
私が言った『試合に出ない子』は我が子のことで
彼の息子は『試合に出る子』だった。
そこで私は猛省した。
まさに青いバナナのごとく未熟な私は
我が子への愛ゆえに『試合に出ない子』に身を寄せてしまい
その発言の逆が『試合に出る子』に向けられるという解釈の仕方を
想定していなかった。
『試合に出ない我が子に
ミニカップラーメンくらいの楽しみがあっても良いじゃない。』
その発言は、
『試合に出る我が子は
ミニカップラーメンみたいな楽しみがなくても良いじゃない』
と置き換えられてしまうのだ。
もう何も言えない。
違う違う、そうじゃ、そうじゃない〜
って言いたかったのに、そのタイミングで試合が始まってしまった。
さらにはミニカップラーメン禁止を決めた保護者が隣に来てしまった。
あぁ、もう、『試合に出る子』の保護者も『ミニカップラーメン禁止』を決めた保護者も、私は大好きな人たちなのに。
いつも助けてもらっているし、尊敬もしているのに、
たかが、ミニカップラーメンごときでこんな事になるなんて。
(二人とも私が思うより何も感じていないかもしれないけれど)
もう、良いよ。
ミニカップラーメンは禁止で。
この件で私は己の青さと
そして、子供を介した保護者同士の繋がりの難しさを
改めて痛感したのだ。
全ては『愛』がゆえ。
私は我が子を愛しているし、
あなたも我が子を愛している。
だから、同じ言葉でも、
受け取る意味が変わるのね。
『試合に出ない子』に私が反応するように、
逆説的に『試合に出る子』を読み取られてしまうなんて。
全ては『愛』がゆえ。
それは間違いのない事実であります。
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