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お茶とお菓子と

今日は何としても、あのお菓子を食べたいと決めていた日である。

あのお菓子とは、丸善カフェの「檸檬」である。

梶井基次郎の小説「檸檬」の舞台となり、その後移転を繰り返し現在、河原町の商業ビル内にある丸善書店名物の、檸檬ケーキだ。

とはいえ、ここで素直に河原町三条に向かわないのが己である。

まず、御所の西端の烏丸通り、今出川通りを上がり「京菓子資料館」に向かう。目的地とは北と南、で逆方向である。

俵屋さんの公式サイトも合わせて参照されたい。

https://kyogashi.co.jp/shiryoukan/#gsc.tab=0

ここは菓子「雲龍」で有名な俵屋吉富さんの烏丸店の横にあり、二階が見学無料の資料館、一階はお茶席となっている所だ。蛇足だが雲龍、といっても航空母艦ではない。この菓子は全国の百貨店や京都物産展なぞで一回は目にしたことがあるだろう

この資料館内は撮影禁止。なにより、眼福であり目に毒な展示品たちは、展示品ごとに徹底して撮影禁止の注意パネルが出ているのもうなずける。

ここに足を踏み入れると迎え出てくれるのは工芸菓子、細工菓子とも呼ばれる砂糖や飴の細工で花鳥をかたどった見事な菓子。これは全国菓子博に出品された紅葉の枝と菊花。そうして実際の生け垣にあるものより大振りな、ドウダンツツジ。此処のお店では「糖芸菓子」と呼称されている。あまりの美しさに圧倒される。そうしてこの資料館には定期的な展示替え、がある。今回は酒井抱一の掛け軸「藤花図」と「桜に小禽図」を糖芸菓子で再現したものが白眉だ。

掛け軸の表装からこちらに向かって立体的に張り出している砂糖の白い藤棚から、若葉色の蔓が延び、葉が茂り、二房の青藤が垂れ下がって花を咲かせている。その青藍の色も、花一つ一つ丹念に青の花びらと白の花びらが重なり細やかに作られているのは息をのむ美しさだ。

二つの軸の間に投げ入れられるように飾られている桔梗色と桃色、白の乱れ座いている朝顔も、糖芸菓子。花池の中をのぞけばそこにたたえられている水も白の、大粒の砂糖、なのは息を飲んだ。そうして「桜に小禽図」も見事。

掛け軸の紙幅の中から桜の枝がこちらに飛び出し、ルリビタキが枝と花に憩っている。その一つ一つ作られた桜の花の細かさに、小鳥の精巧さに息を飲む。

そうしてある図案(巣案というのはデザイン見本やデザインそのものを指す言葉である)

昭和後期に発行された「菓子考 源氏物語五十四帖 菓子図案」

源氏物語絵巻の一場面とともに、それぞれの帖から抜き出された花鳥風月が菓子のデザイン案としてまとめられている。糖芸菓子図案の第一人者であった図案家が描いたものであるが、この年で図案家という存在はやはり日本画を学び友禅や西陣織の染織の図案を描いてきた人間である。

次はこの菓子舗が資料として集めている菓子に関する風俗画や小物などの展示で、我が国の菓子の発祥から、現代の菓子の基礎とも言えそうな本格的な砂糖の伝来、つまり南蛮絵とカステラや金平糖などの南蛮菓子。江戸期の円熟し繁盛した菓子屋の様子を重箱や看板で余すことなく見せつけた後、明治期の二度目ともなる西洋菓子の到来と流行を語る。もうこれだけでお腹が空くが、最後は完成に職人たちが数か月費やした糖芸菓子「華燭」がとどめを刺す。

婚儀の飾り菓子なのであろう。島台に飾られている松竹梅、大輪の富貴花には息を飲む。全部砂糖と飴の細工でできていると思うと迫力と執念たるや。

そうして忘れてはならないのが、高松宮殿下からいただいた飾菓子の「礼状」、さるお公家のお使いになっていた菊花紋の絢爛な梨地蒔絵の重箱。眼福である。

あぁ、ここは都なのだ。そうしてその矜持を持った名店が現存する。この都の根底を流れ今も愛され続ける美意識には、王朝の香りが色濃く残る。そうして数多の時代、やんごとなき宮様にお仕えし、月卿雲客たちの要望に応えてきた、王朝の末裔なのだ。

そうして展示品に息を飲んだ後は、一階のお茶室を無視するのは難しい。ここではお薄と季節の上生菓子、名物菓子の雲龍のうち一つを選び頂ける。

今回選んだのは求肥生地に白餡の入った「すみれ」という春告の花の菓子である。丹念に点ててくださったお抹茶と菓子に舌鼓を打ち、帰り際には坪庭を抜け、烏丸店に設えられている裏千家の鵬雲斎大宗匠命名のお茶席をのぞかせていただき、資料館を出る。出口からは烏丸店直通なのが憎めない。

 この次に向かったのはお向かいの相国寺。ここにはお茶人である愛らしい狐殿がいらっしゃる。

 時は江戸時代のはじめ。「宗旦狐」と呼ばれる相国寺境内に住んでいた一匹の、いやお一人の白狐殿を祀っている「宗旦稲荷」がある。この狐殿、相国寺の禅僧に化けて雲水らとともに座禅を組み、その愛称の通り、千利休の孫、宗旦に化けて茶を点てたという。悪さといえば、宗旦に見事に化けては、近隣の茶人宅に上がり込み茶をたしなみ菓子を食い荒らした、そうな。

彼の化けの皮がはがれたのはある茶席でのこと。

宗旦に化けて相国寺に新たに落成した茶室にて一席を建立していた宗旦狐。そこに、遅れてやって来たのは千宗旦本人。まさか、である。本人もお手前の見事さに舌を巻いたというから見事なものだ。狐殿のほうは、バレた、と焦り正体を現して茶室の窓を突き破って逃げた、という。だからこの寺に現存するある茶室は狐に突き破られ窓が大きい、のだとか。この狐殿の最後は、店先の油揚げを食い逃げしようとして溝に落ちたとか、犬に襲われた?と聞いた気がするが、あとは猟師に撃たれたなどの説があるが、人に善を施し、慕わわれた風流人の狐殿をしのんで、雲水たちが稲荷を建立したという。

お茶のお手前がうまくなりますように、とお願いし、お菓子を食べに行くんですという報告をしておいた。小さな祠にはこれでもかとお稲荷の狐様が鎮座なさっている。彼の死が諸説あり定かでないのは、彼に菓子を食い荒らされた茶人たちや、ともに仏道の修業をした禅僧たち、近隣の住人達、皆が彼どこかで生きているんじゃないかと願ったからに違いない。しかも、生前から化けていた本人公認だから大したものだ。どこかの菓子舗や茶舗に、彼はまだ潜んでいるんじゃないか、さっき菓子を包んでくれたお店の人、あれは前掛けのひもだったのか白い尻が見えたような・・・?そういえば河原町三条を下がったところにある有名パフェ店には、とんかつやエビフライが載ったパフェがあるが、これは油揚げに命を散らした狐殿の供養にと、風流なお方やったさかい、モダンなもんのほうがよろしおすやろ、と創業者が考案したものである(大嘘)

それから、直接目的地へは向かわない。御所を抜け柳馬場夷川のお花屋さん「Maestoro」へ。

ここは蘭と季節の洋花に特化した、店構えが美しいお花屋さん。ここは花園や西欧貴族が屋敷に拵えた温室の中にさまよいこんだかのような錯覚を覚える。そうして、ここはお店の一角に瀟洒なバーカウンターがあり、カフェを併設している。テイクアウトも対応可能だからぜひ利用してみてほしいが、おすすめは店内利用。陳列されたむせ返るほどの花を背にいただく、名物ソフトクリームは忘れられないものになるに違いない。

カウンターに並ぶオーキッド

ここ名物は「オーキッドソフトクリーム」。緑色の、蘭の香りをこれでもかと封じ込めた、一口で花の中に頭を突っ込んだミツバチのような気分にさせてくれるソフトクリームだ。さわやかな甘さに馥郁と香る蘭。あまりにも鼻に抜ける香りが蘭の花そのものなので、蘭や薔薇なぞの強い花の香りや、特定の香水が苦手な方にはお勧めしかねるほどだ。銀皿の上に散らされた花びらは飲食不可だがクリームに乗っているのはエディブルフラワー。花をそのまま食べている背徳感と強い花の香りに酩酊できる。

此処のお店はお花も丹念に選び抜かれて、イメージや色を伝えれば店名の通り丹念に職人気質に花束を仕上げてくださる。アレンジメントやドライフラワー、カメラマンなどの創作業の人々の利用が多いようにも感じた。ここのカフェではフラワーアレンジメントの写真集を拝見することもできる。、セミオーダーの様に花束を仕上げてもらうのはとても贅沢だ。お花は今が見ごろとばかりに開いたものから日持ちを考えて硬い蕾のものから都合に合わせて組み合わせてくださる。

お店そのものは生花店である特性上、店内は涼しい。オーキッドソフトクリームはけっこうな冷菓であるので、温かい飲み物を一緒に頼むか、春から夏、残暑厳しい秋のご利用をお勧めする。

さて、やっと今日の目当ての丸善カフェにやってきた。

そうして、やっと目的地だ。本屋さんの一角に漂うハヤシライスとコーヒーの香りは大正昭和の文学作品の中に入ったかのような、あるいは書生さんや文士先生の浪漫や贅沢にご相伴させてもらっている気分になる。

この書店にはこの書店が舞台となった小説、梶井基次郎の檸檬コーナーがあり、丸善の沿革とともに籠に盛られた檸檬、積み上げられた書籍の上に檸檬、これでもかと文庫版やブックカバー、グッズの檸檬がある。

自分も梶井基次郎の「檸檬」は大好きだ。窮屈な学校生活の癒しは週末に大垣書店と丸善書店を梯子すること、であった。美術書に囲まれて育った自分にとって鬱屈した感情の果てに書店で美術書を積み上げてそこに檸檬を置くのは非常にリアリティーがあった。ここまで己の魂に寄り添ったというか同じ思考の生き方の人物がいるのだと安心したものだ。いつまでも彼の小説は繊細で感受性の敏感すぎる青年、少年少女の魂を持った人間には突き刺さるらしい。味蕾に突き刺さる柑橘の酸味のように。

 ここの檸檬ケーキ「檸檬」はお持ち帰りもできる。自分は店内でこれが運ばれてくるのを楽しみに待っていたが、これを頼んだ先客がスプーンで口に運んだ一口で数秒固まっていらした。

そう、思ったよりも酸味が強い。甘酸っぱい、レモン風味のスポンジの生地の甘みの残る並のレモンケーキを想定してはいけない。レモンの酸味が生きていてとてつもなく檸檬なのだ。語彙力を失ってしまうが、砂糖をかけて檸檬を丸かじりしている感覚、を想像してもらうと口に運んだ直後、魂消ることもないだろう。下半分は檸檬をくりぬいた檸檬ゼリーになっている。これも見事にさわやかな酸味が心地よい。是非飲み物をセットにできるので、そういう時は砂糖多めの紅茶、かコーヒーもミルク砂糖を入れた京都式にして飲むのが良いだろう。甘味に癒され、文学作品の見事な言葉が心に刺さるように、舌先に踊る柑橘を楽しむ余裕も生まれる。

だが己も先客と同じ轍を踏むこととなる。レモンティーの檸檬すら、結構酸味の強いことに油断してむせてしまった。がこれだけは言える。このカフェの檸檬スカッシュは絶対美味しい。

夏場はぜひ挑戦したい。が舌先に刺さる酸味が檸檬爆弾というより榴弾砲、くらい威力があったら怖いな、とか思う。

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