みやこの春
京都に春が戻ってきた。春を告げる桜に先立つ梅のように、上七軒の北野をどりが開演する。
青い地色に枝垂れ桜、毎年変わる裾模様の衣装に身を包んだ祇園甲部の立方がヨーイヤサーと声をかける。その掛け声で舞台にも祇園にも春が来る。コロナ禍で困窮し、働く場すら失いかけた宴席や座敷に花を添える彼女たち。
数年ぶりにいつもの日程での開催に、北野をどりが始まり、改築を終えた祇園後部歌舞練場に都をどりが帰ってくる。そうして京都の春は華やかに柳桜をこき混ぜて始まるのだ。先斗町の鴨川をどり、宮川町の京をどりには晩春の景色を添えて、御室や愛宕の遅咲きの桜も満開になる。
京都に春が戻ってきた
3月20日、今日発刊の京都新聞。
あまりに美しかった。こんなにも美しい新聞はないだろう。
新聞丸ごと都をどりの特集。12面丸ごと特別記事で、表紙と言わんばかりのビジュアルは、二面ぶち抜いて祇園甲部の立方地方総出演の都をどりのポスターになっている。
紙面を捲れば芸舞妓の学校である八坂女紅場学園の理事長先生や芸妓組合のトップのお姐さんのコメントが載っている。
おどりの井上八千代先生のインタビューや井上安寿子先生の密着記事。
お衣装、髪結い、小道具のお話もあり、芸舞妓を花柳界を支え共に守り育ってきた京都の珠玉の伝統工芸も紹介。今年初舞台をふむ芸舞妓のプロフィール。密着取材の記事。
今日の京都新聞は、まるで大きな都をどりの公演パンフレットだ。皆が待ち望んでいた、本来の京都の春の艶姿。京都の春が戻ってきた。それを寿ぐにふさわしい飛びきりに本当に美しい新聞だ。
文化と隣り合わせで守り伝え、時にその文化格式に守られ美しい夢を紡ぎ続ける京都という都市の在り方を再認識する。
さて。上七軒の初日の北野をどりに寄せさせていただいた。
お芝居ものがあるのがこの北野をどりの特徴である。
心優しい御伽噺の世界で、仲の良い夫婦、村娘たちの踊り、妻の絵姿が風に誘われご城下の若君様の目に止まり、お城に召し出されてしまい…
男おどりの見事さ。劇中劇のようにちゃり舞を踊る若君、大道芸人に扮して南京玉すだれを披露する旦那…見事だった。
第二部は東西粋曲抄と題して全国の花柳界に残る民謡や小品を、お座敷の雰囲気よろしく舞妓ちゃんの舞姿、芸妓衆の艶姿。
新山中節は「せめて二天の橋までも」の歌詞を
〽︎せめて七軒茶屋までも と歌い変えている。
元の民謡の振りも入れ込んで、山中の芸妓衆とお客の一夜の恋を描く。
長崎ぶらぶら節も長崎検番のお茶屋景色を唄いこんで襖の向こうに波の見える長崎の街さながらの背景でいかにもな情緒たっぷりだ。
軽妙ながらも上品で入れ替わり立ち替わる展開はダンスレヴューのようである。
先月の五花街合同公演では、長唄「梅の栄」を舞妓ちゃんのふじ千代ちゃんはお三味線、さと葉ちゃんはお笛を見事に奏でていたが、その舞も美しく息を飲む。
フィナーレの上七軒夜曲は夜桜にぼんぼりの灯る恒例の背景に、北野の景色や茶の稽古を歌い込む。花道からお姐さんたちが登場なさる度、舞妓ちゃんが並ぶ度にため息の出る美しさ。
ご盛会、おめでとうございます。
数年ぶりに恒例通り、京都に春を告げる幕があがった。これからは爛漫の春。
百年の先も、次の千年も、ずっと続いて欲しい景色である。