「走って逃げろ」と小さい頃に言っていたのは精神病院だった。
私が住んでいる町には自転車道路という自転車と人だけが通る道があり、そこが私の小さい頃は安全な遊び場となっていた。
我が家から自転車道路に入り200m程で私が通う小学校の校区外になっいて、先生からは「校区外には行かないように!」と耳が痛くなるほど聞かされていた。
しかし、そこはまだ好奇心旺盛な子どもだ。春になればつくしを探しにずんずん奥へ進むし、変な鳥居が向こうに見えれば覗きに行きたくなる。
そうやって、校区の端っこに住む子どもの私たちは、こっそり校区外に抜け出すこともあった。
しかし、そんな子どもたちの中でまことしやかに囁かれていたのが…
「あの病院の前は、走って逃げろよ。
危ない人が追いかけてくるからな」と。
だからその病院の前は、猛スピードで自転車をこいで、私たちは通り過ぎていった。
その後、中学から町を離れてその病院を意識することはなかったが、26歳で病気になってからやっとそれが精神病院だと認識したのだった。
実家のお向かいの同級生のお母さんが、躁鬱病を患っていると前から聞いていたのだけれど、ここに通っていると知って、ぐっと身近に感じた。
無知って恐ろしい。
子どもって残酷だ。
って思うけれど、子どもがただ思っていることを口に出すだけで、大人も思ってることはそんなに変わらないのかもしれない。
だって精神障害者の私も、特定の精神障害や人格障害の人とは上手くやっていけそうにないなぁとか思ってしまうし、怖いと感じてしまうパターンの人もいる。
世の中、口に出すことだけが変わっただけで、思ってることまで本当に変わったのかな?ってたまに思うこともある。
そうやって世の中を眺めてみたとき、でもやっぱり昔より鬱やPTSD、発達障害など理解は進んできたよなぁと思うのだった。
理解されたからといって、偏見がなくなるとは限らない、しかし、嬉しい進歩だ。
ただ、精神障害で苦しいのは、周りが変わらないなら自分が変わるしかないとよく言われるけれど、それを治療するために通ってるのが精神科だというところかな。
まだまだ、自分にも偏見があるように、完璧求めずに、少しずつでも理解が広がっていくことを願っている。
本当は、おこがましいけれど、愛が広がりますようにと言いたい。