「壮大な勘違い」が、人生の可能性を広げた! 【目が見えなくても、あちこたねえライフ】#2
こんにちは。「目が見えなくてもあちこたねえライフ」の角谷(すみや)です。
「あちこたねえ」とは、新潟の方言で「どうってことない」「大丈夫」という意味。
詳しくは、こちらの記事をご覧ください。
お医者さんが言った、ショックな一言
「あなたの息子さんは、障がい者の作業所で働くのが関の山でしょうね」。
この言葉をお医者さんから投げかけられたら、どんな気持ちになるでしょうか。
特に、お子さんをお持ちの方でしたら、どんな気持ちになるでしょうか。
これは実際に、私が6歳の時に言われた言葉でした。
どういう状況だったかというと、
生まれつき目の難病を患っていた私は、小さい頃から通院することが多い子どもでした。
最初は「この子は目が見えにくそうだね」と漠然としかわからなかったものの、
6歳の頃には、「網膜色素変性症」という難病であることがわかります。
ある日の大学病院の眼科にて。
苦痛な検査が終わり、私は診察室の外の待合ベンチに座っているよう指示され、母親だけが、診察室でお医者さんとお話していました。
なんとはなくベンチに座っていると、耳に入ってきたのが、
「あなたの息子さんは、障がい者の作業所で働くのが関の山でしょうね」
という、お医者さんの言葉でした。
ガーン
という衝撃を受けたのを、今でも覚えています。
「障がい者の作業所」が何を刺すのか。
それはよくわからなかったものの、
「自分の人生は大きな制約を受ける」というのは、子ども心ながらに伝わってきたのです。
当時は、「新幹線の運転手さんになりたいな」なんて無邪気に考えていた6歳にとって、夢を絶たれた瞬間でした。
「壮大な勘違い」が身を助けた
ただ、ここで「壮大な勘違い」をしたのが、結果的に良かったのかもしれません。
・お医者さんの言うことは、本当なのだろうか?
・自分は、もっとできるんじゃないか?
いま振り返ると、私の反骨心に火をつけた出来事でした。
はっきり言語化はできていませんでしたが、
「諦めたくない」「自分はもっとできる」という思いは、メラメラと自分の心の底流に流れ続けていたように思います。
黒板が見えなくても、教科書が読めなくても、どうにかこうにか食らいつき、
東大合格者が新潟県で1番多い高校に行き、
東京の大学に進学しました。
結果として、
やりたいことを諦めず、振り返ると充実した人生を送れています。
家族や先生、友人に感謝です。
まとめ
障がいがあると、いろんな方からいろんな言葉を頂戴します。
その中には親切心から、「無理だよ」「やめなさい」「所詮」などという、可能性にキャップをかける言葉もあります。
ただ、そうした言葉の全てを、魔に受けなくてもいいのです。
「あちこたない」のです。
何かの奇跡でこの記事を読んでくださった、障がいのあるお子さんを持つ親御さんへ。
時には、お医者さんの言うことすら聞き流して、
壮大な「勘違い」をしてみませんか?
テクノロジーは日進月歩で進化し、
黒板なんて見えなくても、勉強はできます。
家から出なくても、価値ある仕事はできます。
「この子はできない」「この子には無理」という言葉をスルーして、
壮大な「勘違い」をしてみませんか?
目が見えなくても、あちこたねえ
最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。
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