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「海に眠るダイヤモンド」に思う、幸せとは

※ネタバレありです。

「海に眠るダイヤモンド」に
心奪われ続けた2月だった。

普段、私はドラマを見ない。

だから「海に眠るダイヤモンド」も
リアタイはできていないし

ドラマを見ること自体が
おそらく「白い巨塔」以来の出来事だ。

でも、インスタで時折流れてきていた
「海眠」の名シーンが気になりすぎたため
意を決してUNEXTに入会。

1月も終わる頃のある日、一気見をしたのだった。

もう、とてつもなく素晴らしかった。

そしてその日を境に、頻繁に見直している。

また先日、ザテレビジョンの
ドラマアカデミー賞5冠の
インタビューを読んで
私はとてつもなく、感動してしまい。

私も「海眠」を通して感じたことを
覚書として残しておこうと思い
この文章を書いている。

鉄平の人生に、思うこと


「鉄平は、幸せだったのだろうか」
「あまりにも悲しすぎる」

「海眠」が終わったあと、ネット上では
鉄平の人生について議論が巻き起こっていた。

鉄平の境遇、決断
そして実際に起こった事実だけを並べたら
その人生の大半は
「平穏」とは言いがたいものだったと思う。

でも、なんだか思うのだ。

鉄平の人生は
いわゆる波乱万丈なものだったけれど

鉄平は、人生のどんな場面でも
彼の内側にある「大切なもの」を
ただ守り続ける人生を送れたんじゃないかって。

そして、その「大切なもの」は
彼だけじゃなく
彼を愛した人々にとっても
「大切なもの」だったはず。

それを守り続けることは
決して容易なことではなかっただろうし

それを守り続けた結果
大切な人たちとは
物理的に離ればなれになってしまった。

そこには、たくさんの悲しみや絶望が生まれた。

それでも。

どんなに自分では
到底コントロールしようのない
出来事に見舞われたとしても

最後まで「大切なもの」を守り続けた鉄平は
幸せだったんじゃないかと、私は思う。

幸せは時に、分かりやすい形では
表れてくれないものなのだ。

じゃあ「幸せ」っていったい何だろう


思い描いた通りの人生を生きられることが
「幸せ」なんじゃなくて
(いや、それはとても幸せなことだけれど!)

与えられた人生を
「これでよかった、ありがとう」
と思えることが「幸せ」なんじゃないかと、ふと思う。

人生は、思い通りに行くこともあるし
行かないこともある。

そのどちらをも「与えられたもの」とし
自分の内側にある「大切なもの」に従って
ただ、行動していくこと。

そうすることでしか
納得できない人生の領域が
あるんじゃないかと思うのだ。

最終回、明らかになった鉄平の晩年。

その生き方は
朝子が愛した鉄平の心そのものだった。

鉄平は、朝子と結ばれることはなかった。

でも、鉄平の中にはずっと
朝子への愛が生き続けていて

その愛が、彼をどんな時も
「自分らしく生きる道」へと
向かわせたんじゃないかと思う。

そして、その人生の先で
YAMA HOUSEは生まれ
鉄平は、そこに集まる人々に
寄り添い続けた。

「外勤」としての生き様を
最後までまっとうしたのだ。

愛は、結ばれることだけで
結実するものじゃない。

鉄平の姿から、そう思った。

最後、朝子へのひたむきな愛が
朝子本人に伝わったのも
本当によかったなと思う。

そして、鉄平の人生は
色んなことがあったけれど

その都度その都度
「これでよかった。ありがとう」と思って
乗り越え続けたんじゃないかと
私は勝手に、想像していて。

「これでよかった」は
願い通りにならない人生に対する
諦めの言葉ではなく

与えられた境遇を
最大限に生きた先に出てくる、感謝の言葉。

鉄平は彼の人生を、最大限に生きたと思うのだ。

まだ答えが見つからない問いがある


私の胸に迫ったのは、鉄平だけじゃない。

登場人物1人1人の人生から
考えさせられることが
あまりにも多いドラマだった。

このドラマから生まれた「問い」は
まだまだある。

これからもきっと私は
海眠を見続けるだろう。

その先で抱いた思いを
また、綴っていこうと思う。

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